第五篇外伝 八章
ハナガラスが、朝日の眩しさに目を覚ます。
見慣れない天井。慣れない布団。
そして、窓際に座り、ぼんやりと外を眺めている女――アキラだ。
「……ああ、そうか。シモンにやられて……助けてもらったのか」
ハナガラスが体を起こすと、それに気づいたアキラが近寄ってきた。
「お目覚めですか? 全身痛むと思いますので、お気をつけて」
そういって、起き上がるのに手を貸してくれる。言われたとおり、全身が砕けてしまったかのように痛んだ。どこがどう痛いのか、考えるのも嫌なほどだ。
それでも何とか起き上がり、慎重に息を吐く。呼吸するだけで胸が痛む。
「……朝か。あれからずっと寝てたんだな」
ハナガラスが言うと、アキラはクスクスと笑った。
「勘違いしてるようだから教えておきます。あなたは、丸一日半、眠っていたんですよ」
「一日半? っってことは、俺は1回、朝日を見逃してるわけか」
「毎日見てるんですか?」
「いや、別に興味はねえ」
「なら、いいじゃありませんか。これからたくさん見られますよ。さ、お薬を飲んで、もう少し眠っていてください」
アキラが水と薬を用意し、盆に載せてハナガラスに差し出す。そういえば、体には包帯も巻かれている。医者を呼んでくれたのだろうか。
「いや、これ以上世話になるわけには」
ハナガラスが起き上がろうとすると、アキラは溜め息をついて、ハナガラスの頭を叩いた。
「痛え」
「動いたら、もっと痛いんですよ。もう、散々世話はしてるんです。今さらですよ」
「……すまねえ……絶対、まとめて返すから」
「楽しみにしてますよ。さ、お薬を飲んで、眠ってください」
ハナガラスは言われたとおりに、アキラに渡された粉薬を飲んだ。何の薬かは知らないが、飲むと痛みがどこかへいって、すぐに眠気が襲ってきた。
ハナガラスが眠るまで、アキラはずっと、そばにいてくれた。
それから、2日の間。ハナガラスはアキラの世話になりながら、体を休めた。まだ怪我は残っているが、何とか動けるようになった。殴られどころが良かったのか、薬が効いたか。ハナガラスが丈夫だったのか。理由はわからないが、とにかく、1人で歩けるようにはなった。
「骨が無事だったのが幸いでしたね」
アキラは包帯を変える時に、そんなことを言っていた。たしかに、どこも折れている様子はない。それならば、痛みを我慢するだけでいい。
それから、ハナガラスは何日かぶりに、まともに米を食べた。アキラの宿で一緒に夕食を取ったのだが、なかなか良い宿のようで、食事も美味かった。縞猫屋とは比べものにならない。
ハナガラスは、それはもう食べた。冬眠明けの熊のように食べた。アキラには、食べ過ぎると体に毒だと言われたが、食べて寝るのが何よりの薬だと言い張り、腹いっぱいになるまで食べた。食べ過ぎて宿の女中に嫌な顔をされたので、米代だと言って、多めに金を渡した。
食事が終わり、腹も落ち着いたところで、ハナガラスは家に帰ろうと思った。その前に、アキラに礼を言わないといけない。
ハナガラスは財布を出すと、そっくりそのまま、アキラに渡した。
「本当に世話になった。こんなものしか渡せないが、宿代、医者代さっぴいても、それなりに残るはずだ。受け取ってくれ」
アキラは黙って財布を開けると、半分だけ取って、後は返した。
「では、半分だけいただきます。本当はいらないんですが、それじゃあなたの気が済まないでしょうから」
「いや、待ってくれ。全部受け取ってもらわないと、俺の気が済まない」
ハナガラスは財布を突き返すが、アキラは笑って受け取らなかった。
「お金に困ってるわけじゃありません。もし、悪いと思っているなら、なんであんなことになったのか、それを聞かせてもらえませんか?」
「たいしたことじゃねえよ」
「たいしたことじゃなくてもです。ありのまま、全部を聞かせてください。それで、チャラということにしましょう」
「どうしてもか」
「どうしてもです。じゃないと、一生、女に借りを作ったままですよ」
アキラが冗談っぽく言うと、ハナガラスは困った顔で頭をかいた。
「……まあ、楽しい話じゃないと思うが、それであんたの気が済むのなら」
そしてハナガラスは、あの夜のことをありのままに話した。
花鳥神社のこと、天使禁制のこと、天使教会のこと、髪の長い不気味な女、シモンのことと彼が慶を嫁に寄越せといい、慶がそれを了承したこと。気が付いたらシモンを殴っており、後はその場の全員に袋にされて、アキラに助けられたのだと。
それから、自分の生い立ちについても、花鳥神社の系図の端っこにいるが、今は追い出されていると、簡単に説明した。
「――以上だよ。わけのわからん話だろう」
ハナガラスが話し終わると、アキラは神妙な顔でうなずいた。
「なるほど。よくわかりました。ハナガラス様は、巫女様がとても大事なのですね」
「それは……まあ、そう……だな……」
いまさら言い逃れもできないので、ハナガラスは素直にうなずいた。それに、アキラが好きだの愛だのという言葉を使わなかったのも、素直にうなずけた理由だったと思う。
アキラはそれからしばらく、じっと考え込んでいた。ハナガラスの話を整理しているのだろう。そして、おもむろに口を開いた。
「――気になることが、ありますね」
「気になること?」
「ええ。どうして巫女様は、シモンの言うことを信じたのでしょうか。天使禁制が消えてしまうなどと、どうしてシモンにわかるのでしょうか? どうして、巫女様はその話を受け入れたのでしょうか?」
「それは……なんでだろうな」
シモンは天使禁制が無いのだと、突然に言い出した。羽奈美の人間達は、当然嘘だ、はったりだと騒ぎ立てていた。しかし、慶だけは、そこに疑問を挟まなかった。気にしていたのは、シモンが本当に天使の力をはねのけられるか、神社を守れるのか、ということだけだ。そして、シモンが力を証明できたのなら、喜んで嫁になる、と。
「……まあ、そう言われるとたしかに妙だな。シモンと巫女様にしかわからない、何かがあるっていうことか」
「そう考えるのが自然でしょうね。それが一体何なのか――調べるのなら、そこです」
「調べるって、お前……」
「調べないのですか? 上手く行けば、シモンに巫女様を渡さずにすみますよ」
「それは……まあ、そうかもしれないが……」
何故だかやる気になっているアキラに、花鳥はとまどう。
「やるべきです。シモンを、彼の発言の根拠を突き止めるべきです。そしてそれは、天使教会の野望を食い止めることにもなる。神社だって守ることができる」
「いや、あんた、どうしてそんなに、この件にこだわるんだ? あんたには関係のない――」
ハナガラスがそういうと、アキラは、バッと前髪をかきあげた。
顔の左半分を包む、ヤケドの痕が見える。想像していたよりもひどく、広かった。片目も塞がっている。もう開けることすらできないのだろうか。元々の顔立ちが綺麗な分、よりむごく見える。
「これは天使にやられました。天使教会に相談したら、それは天使様からのありがたい贈り物だから、大事にしなさいと――みんなに見せてあげなさいと――晒しものにしようと――人をこんなにしておいて、ふざけたことを――だから私は、天使と、それを信じる天使教会が憎いのです。天使を人に押しつけようとするあいつらが、とてもとても、憎いのです」
そういうと、アキラはそっと髪を元の位置に戻し、ハナガラスの両手を握った。
「ハナガラス様。私はあなたを助けました。もし、恩があるというのなら、私の願いを聞いてください。天使禁制の花鳥神社がなくなるのは、私のようなものにって、とても悲しい。天使教会の思うようにさせるのは、とても悔しい。だから」
アキラは身を震わせている。悔しいのか、悲しいのか――言っているとおり、両方だろう。
「どうか、私の願いを聞いてください。天使教会を、やっつけてやってください。あなたは巫女様を守れる。私は天使教会に復讐が出来る――だから、どうか――」
ぎゅう、と。アキラがハナガラスの手を握る力が強くなる。
ハナガラスは、その手をそっと振りほどくと、アキラの肩に手を置いた。
「わかった――その依頼、ハナガラスが承った」
「ああ――ありがとうございます」
アキラはハナガラスにしなだれかかってきた。細く、冷たい手が、ハナガラスの背中にそっと回される。
ハナガラスは抱きしめることもなく、冷めた目で好きにさせていた。
抱き付いているアキラの顔は見えない。どんな顔をしていたのだろうか。




