第五篇外伝 七章
「左衛門ァァァ!」
叫ぶハナガラスの拳に、シモンの鼻血が糸を引く。
「ハナガラス!? あなた、どうしてここに!?」
一番最初にハナガラスに気づいたのは、静子だった。静子はハナガラスをうとましがっていた。虐めることすらしなかった。ただ、ひたすら無視していた。その静子が一番最初に気づくとは、皮肉なものだ。
「押さえろ」
シモンの隣りに座っていた、気味の悪い女が言うと、天使教会の人間達が一斉に立ち上がった。それを合図に、羽奈美の人間も大声を出して人を呼ぶ。近くで控えていたのか、若い男達があっと言う間に10人ほども集まる。
天使教会、羽奈美家の人間達が、ハナガラスを取り押さえようと一斉に飛びかかる。
「寄るな畜生が!」
ハナガラスは発狂したかのように怒り狂いながらも、無駄の無い動きで1人ずつ殴り倒していった。後ろから羽交い締めにされれば、そのまま後頭部で頭突きをかまし、鼻を潰した。
「押さえようとするな! 殺すつもりでやれ!」
シモンが鼻を押さえながら叫ぶ。天使教会が返事をする。羽奈美家も返事こそしないが、同じ考えだった。
「貴様等は! 巫女様を売るのかっ!」
ハナガラスは殴り、蹴り、投げ飛ばし、目茶苦茶に暴れ回った。昨晩の傷がうずくが、今のハナガラスには関係なかった。とにかく、全員ぶっ倒す。その後のことは考えていない。ただ、羽奈美も天使教会も、とにかく全員が憎かった。
半分以上が、ハナガラスに倒されていた。部屋中に血が飛び散り、人が倒れ、そのど真ん中にハナガラスが立っていた。
「お、鬼の子かあいつは……」
羽奈美の老人が、ぼそりと呟く。ハナガラスに睨まれると、廊下へと逃げた。
ハナガラスがシモンを睨む。シモンは鼻血を拭くと、立ち上がってにらみ返した。
「誰かと思えば……ハナガラスか……昔、よく可愛がってやったなあ? 覚えてるか?」
「ああ、覚えてるさ。いつか、礼をしようと思ってたんだ――いい機会が来た」
「はっ! 天井で盗み聞きしてたみたいだな。それで、巫女様が僕に奪われようとして、いてもたってもいられなくなった……ってとこだろう?」
シモンはククッと笑う。笑い声だけで人を不快にさせるとは、たいした才覚の持ち主だ。
「そのとおりだ! 慶は僕の嫁になる! 邪魔者は消えてくれないかな!」
「――てめぇぇぇぇ!」
ハナガラスがシモンに殴りかかる。シモンも腕に自信があるのか、拳闘の構えを取る。
そして、ハナガラスがシモンの顔面に拳を叩き込もうとした時。
目の前に、慶が現われた。
両手を広げて、シモンをかばうかのように。
「巫女様っ……!?」
反射的にハナガラスの動きが止まる。慶を殴るわけにはいかない――まずは、そう思った。
それから、なぜ慶はシモンをかばうのか? シモンの味方なのか? 本当にシモンのことを好いているとでも言うのか? 俺が悪いのか――そんな疑問が波のように押し寄せてきて。
「――バカがッ!」
シモンの鋭いパンチがアゴをかすめて、ハナガラスの脳が揺れた。
ハナガラスは白目を剥き、膝から崩れ落ちる。
「縛れ」
シモンの一声で、天使教会、羽奈美関係なくハナガラスに飛び乗り、縄で何重にも縛られた。
途中、どさくさに紛れて、何度も殴られた。
「さて、後はこいつを警察に突き出すだけですね」
シモンは縛られ、転がされたハナガラスの顔を踏みながら、慶に言った。
「おい、誰か。町まで行って、警官を呼んでこい」
シモンが部下の1人に言うと、慶が口を挟んだ。
「いえ、警察はおやめください。そんな男ですが、それでも花鳥神社の血縁です。騒ぎにはしたくないので、どうか穏便に」
シモンは部下を止めると、わざとらしく困ったような顔をした。自分の女のわがままでも聞いてやるか、とでも言うような、気障ったらしい表情だった。
「しかし、こいつは天使教会の人間を怪我させた。このまま放すというわけにも、ね」
「狼藉者1人を恐れて警察に頼る方が、天使を食い止められるのですか?」
慶に厳しい言葉を言われると、シモンは大げさに首を振った。
「わかった。わかりました。あなたが言うなら、警察には言いません。ただ、こちらで少し、説教をする必要がある――構いませんね」
「ご自由に。いくら痛めつけても構いませんが、不虞にはしないでください」
「わかりました――おい、外に行くぞ」
ハナガラスは縄で引きずられ、羽奈美家の裏手に連れていかれた。
それからのことは、良く覚えていない。
気が付けば、山の裏手に転がされていた。
全身が動かない。痛いなんていうものじゃない。
このまま死ぬのではないかと、本気でそう思った。
「あなたは、いつも怪我をしているのですね」
誰かが、倒れているハナガラスの顔を覗き込み、話しかけてきた。
目が腫れ上がっていて、良くは見えない。
幸い、耳はまだ聞こえるし、その声にも覚えがあった。
「アキ……ラ……」
息も絶え絶えに言うと、アキラは優しい声で答えた。
「私なんかの名前を、覚えていてくれたんですね」
「……すまねえ……今回ばかりは……頭を下げる……助けてくれ……」
弱々しい声のハナガラス。アキラは花鳥を起こし、肩に担ぐ。
そして、耳元で囁くように言った。
「強気な殿方にそう言われると、可愛らしくてしかたありませんね――さ、いきましょう」
花鳥は引きずられるようにして、アキラに運ばれていった。
アキラは思ったより力が強いのか、途中で息を乱すことすらなかった。
連れていかれたのは、アキラの泊まっている宿だった。




