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第二章

 学校を出て、待ち合わせ場所へと向かう直巳。

 電車を乗り継ぎ、駅に到着し、待ち合わせ場所の銅像の前に来る。

 時刻は4時45分。15分前の到着なら上出来だろう。電車の乗り換えで少し走ったが、間に合ってよかったと、直巳は胸をなで下ろす。

 さて。後はもう、相手の携帯に連絡するしかないのだが、それっぽい人がいないかと周りを見渡してみる。平日の夕方だというのに、大きな繁華街の駅前なので、とにかく人が多い。

 ちなみに、それっぽいというのは、危なそうな人か、一見危なくなさそうだけど危ない人だ。まあ、そうでなくても、特別に身なりの良さそうな人でもいれば目に留まるだろう。

 だが、銅像の前にいるのは、普通の人々ばかりだった。制服の学生、私服の若者。後はスーツを着たビジネスマン。Aの知り合いだと言われて納得できるような人間は見当たらない。

 直巳が銅像の前にいる人々を眺めていると、一人の女子高生が声をかけられていた。相手は男で、白いニット帽をかぶり、派手なダウンジャケットの下は、大きく胸の部分が空いたカットソー。そこに大げさなシルバーペンダントがぶら下がっている。背は高く細身で、顔はなかなか整っている。いかにも軽そうではあるが。

 女子高生は直巳に背を向けているため、顔は見えない。ただ、黒く、長い髪が印象的だった。そして、よく注意すると、通りすがりの男達が、ちらちらとその女子高生を見ている。もしかしたら、かなり可愛いのかもしれない。

 男は笑顔で女子高生に話しかけるが、女子高生は携帯をジッと見つめたまま、顔をあげることすらしない。それでも男は諦めずに話しかけ続けるが、女子高生が下を向いたまま、何かを言うと、男は苦笑いをして去っていった。そして、今度は駅から出てきたばかりの女子高生2人組に声をかける。今度は相手も笑っており、感触は良さそうだった。

 あれぐらいの神経がないと、ナンパなんか出来ないんだろうなと、直巳は呑気に考えていた。自分がやる気はない。そんな度胸もないし、不特定多数の女性と知り合いたいとも思わない。それに、そんなことがばれたら、家にいる女性連中に何を言われるか――言われるだけならいいが、何をされるかわからない。

 直巳は女子高生から目を離して、もう一度、他の人達をざっと見てみたが、やはりそれらしい人間はいなかった。

 もしかしたら、まだ到着していないのかもしれない。道に迷っているということもあり得る。そう思った直巳は、連絡をしようと思い、携帯電話を取りだした。

 Aからのメールを開き、本文中に記載されている番号を見つける。

 直巳は少し緊張しながら、その番号に発信して――ワンコールで出た。

「もしもし」

 電話の向こうから、はっきりとした声が聞こえる。若い女性の声だった。

「あ、あの! もしもし!?」

 いきなり相手が出たので、直巳は緊張をしたまま返答をする。そういえば、どう話すかまでは考えていなかった。

 だが、こちらからかけているのだし、黙っているわけにもいかない。直巳は勢いのままに話しはじめた。

「あの、私は高宮の使いで、椿直巳と言います。えっと、羽奈美さんを迎えに……」

「はい。椿さんですね。高宮さんに聞いています。もう、待ち合わせ場所にいますか」

「います。えっと、羽奈美さんは?」

「私もいます。そちらにいきますので。何か、目印になるようなものありますか?」

「目印……えっと、制服を着ています。男です」

「……ここ、そういう人は結構多いので。右手に何か持つとか、できませんか?」

「あ、え、目印? 目印ですね? ちょっと待ってくださいね?」

 電話の向こうから、あきれたような声が聞こえる。直巳は慌ててカバンを開けて手を突っ込み、目印になるようなものがないかを探した。

 直巳が、がさごそとカバンを漁る。カバンが傾き、ノートが落ちる。それを無視して探していると、飲みかけのペットボトルが見つかった。中身はミルクティー。これならば目印になるだろうか。

「あの、ペットボトルがありました。飲みかけですけど、これで――」

「ミルクティーですか?」

「え……あ、はい……そうですけど……」

「わかりました。そこから動かないでくださいね」

 そう言って、突然に電話が切れた。

 直巳は切れた電話を不思議そうに見つめる。どうして、彼女はペットボトルの中身がミルクティーだとわかったのだろうか。

 とにかく、相手はすぐに来るだろう。すぐに落としたノートを拾って、きちんとしておかないといけない。

 そう思って、直巳が屈んだ瞬間。別の人がノートを拾って、直巳に手渡してくれた。

「あ、すいません」

 直巳が顔をあげると、そこには制服を着た女子高生が立っていた。

 美しく、長い黒髪が揺れる。顔を見る。目が合う。

 冷たい目。冷たい表情――そう感じたのは、まったく笑顔がないから、というのもあるが、顔が整いすぎているからかもしれない。

 そして、直巳はすぐに、先ほど、ナンパされていた子だということに気づいた。

 この子ならば、道行く人が目に留めるのもわかる。美しいから、というだけではない。良く言えば、目をひく。悪く言えば、浮いている。

 なぜ、彼女が妙に目立つのか、理由はよくわからない。ただ、この人のいる場所が、街が似合わないような気がする。人混みに突然、百合の花が置かれているようだった。

「ノート。あなたのでしょう?」

 彼女の顔を、ぼーっと見つめていた直巳に、彼女が淡々と声をかける。男が自分を見つめることには、そんなことにはもう慣れている、とでもいうような感じだった。

「あ、はい……ありがとう……ございます」

 直巳はノートを受け取ると、慌ててカバンにしまった。

 そして、カバンのジッパーを閉じたところで、彼女に声をかけられた。

「ミルクティー……ですよね、それ」

 彼女が直巳の持っていたペットボトルを見ながら言う。

「え? ……ああ、はい。そうですね」

 そういうと、彼女はほっとしたように、少しだけ表情を緩めた。

「そう。なら、あなたが椿直巳さん?」

「あ、はい。そうですけど」

 ここでようやく、直巳は事情を察した。

「あの……羽奈美さんですか?」

 直巳がたずねると、女性は少しだけ頭を下げてから言った。

「そう。私が羽奈美令」

 Aの招いた客は、驚くほどに美しい女子高生だった。

「ど、どうも。椿直巳です!」

 直巳がしどろもどろになりながら、令に挨拶をする。令は静かにうなずくだけだった。

 この時、少なくない人間が直巳に注目していた。あの美人と待ち合わせてたのはどんなやつだ、と。露骨な嫉妬というよりは、冷やかしであり、興味の視線だった。

 直巳は気づいていなかったが、令はその視線の多さに溜め息をついた。

「椿さん。ちょっと、相談したいことがあるんですけど」

「はい。なんでしょう?」

「実は、街へ出るって行ったら、妹もついてきちゃって……邪魔なら先に帰しますけど、できれば連れていきたいかなって」

「妹さん? 近くにいるんですか?」

「ええ。近くで買い物してます。呼べば、すぐに来ますから」

 羽奈美令の妹。Aから、そんな話は聞いていなかったし、そういった場合の対処も聞いていなかった。

「A……じゃなくて、高宮に確認してみますので、少し待ってくださいね」

 直巳はそういって、Aに携帯で連絡をする。

 何コールか待ってみたが、出る気配がない。他の人に電話してみようか? いや、でもAが多忙で捕まらないなら、電話してもしょうがないだろう。それに、確認であまり時間を取っても、相手を不愉快にさせてしまうかもしれない。

 直巳が悩んでいると、令が声をかけてきた。

「あの、迷惑なようなら帰しますから。今ならまだ、電車も間に合うし」

「え? まだ間に合うって……今、5時ですよ?」

「うち、ちょっと遠いから……距離というか、電車とかバスがなくなっちゃう感じで。乗り継ぎで時間かかっちゃうし、家に着くころには遅くなっちゃうし」

「あ……そうなんですね。ちなみに、妹さんっておいくつですか?」

「中2です。私の2つ下」

 意図せず、令が高校一年であることもわかった。年下だが、ずいびんと大人びている。

 しかし、今は妹さんの話だ。中2の子を一人で遠いところまで帰すのも心配だろう。

「えーっと……わかりました。妹さんも一緒で構いませんよ」

「本当ですか?」

「ええ。ただ、場合によっては、別の部屋で待ってもらうとか、そういう風になるかもしれませんが」

「うん、それはもちろん大丈夫……よかった」

 最後のよかった、は独り言だったのか、小さく、優しい声だった。安心したのか、表情も少し柔らかくなっている。その顔を見て、直巳の緊張も少しほぐれた。

「じゃあ、今呼びますから――あ、もしもし? うん、今どこにいるの?」

 令は、さっさと携帯を取り出すと、直巳から少し離れて電話で話しはじめた。直巳はわざとらしく横を向いて、聞いていませんよ、というアピールをする。

「うん……そう……駅前の銅像。待たせてるんだから、すぐ来てね。それじゃ」

 令は携帯切ると、ブレザーのポケットにしまった。

「あの、すぐ来ますから。すいません」

「大丈夫ですよ。あの、そんな遠くから来ているなんて知らなくて、すいません」

「別に、椿さんが謝ることじゃないから。それで、えっと……高宮さんって何者なんですか?」

「え? 知り合いじゃないの?」

「ええ……その、ちょっと……高宮エーさん、という方から連絡をもらいまして」

「ああ、そうなんですか……Aが何者……何者か……」

 高宮さんが何者か。答えるのが非常に難しい。恐らく、連絡をしたのはAだろう。

 まず、Aは悪魔です! で、見た目は少女だけど不老不死で3000歳のアイシャっていう悪魔みたいな少女に仕えています。他にも悪魔、いっぱいいますよ! などと、答えられるわけがない。

「えーと……なんて言えばいいんですかね? 説明が難しいというか……」

「ふーん……なら、椿君は?」

「え? 俺?」

 椿君とは新鮮な呼ばれ方だ。こんな綺麗な子に椿君なんて呼ばれると、、ちょっと気持ちが浮つく。

「そう、椿君。迎えに来るってことは、高宮さんの関係者なんでしょ?」

「うん、まあ……そうだね」

 これもまた答えるのが難しい。一緒に天使狩りをしてる仲間です! 天使教会や魔術師達とも一緒に戦っています! とは答えられない。

 直巳の煮えきらない答えに、令はジトっとした視線を送ってくる。

「……さっきから、なんか答えがふわふわしてるけど……高宮さんって……危ない人とかじゃ……ないですよね? 私、行っても大丈夫ですよね?」

 さすがに怪しんだらしい。これ以上答えを濁すと、帰ると言い出すかもしれない。Aが何の用で呼んだのかは知らないが、それはさすがにまずい。

 直巳は咳払いすると、真っ直ぐに令を見つめた。

「羽奈美さん!」

「令でいいよ」

 冷静に返される。やりにくい。

「れ、令さん!」

「多分、椿君のが年上でしょ? 呼び捨てでいいよ。さんってのも好きじゃないし」

「お、おお……」

 直巳は出鼻をくじかれたが、気を取り直して令に向き合う。

「なら、令! 最近、でかいリムジンに傷をつけたり、ぶつかったりしたことは?」

「ないけど……」

「手に人形をはめた様子のおかしい子供のメイドを虐めたり、いたずらしたりした記憶は?」

「はぁ? しないよ! そんなこと!」

「金持ちに怪しい商品を高額で売りつけたりしたことは?」

「無いに決まってんじゃん! ちょっと、一体何を――」

 直巳は令の言葉をさえぎって、彼女の両肩に手を置くと、目を見てはっきりと行った。

「なら! 大丈夫! 危ないことはないです!」

「そ、そう……なら、いいんだけど……」

 直巳の勢いに押され、令はしぶしぶながら納得した。

「あー! お姉ちゃんがキスしようとしてる! 駄目ですよー!」

 突然、女の子の声がした。2人が同時に振り向くと、両手いっぱいに買い物の袋を持ったポニーテールの活発そうな女の子が、こちらに走り寄ってきた。

 直巳がびっくりして固まっていると、女の子は直巳の元までやってきて、上目遣いにじろじろと眺めた。

「ふーん……ふんふん……顔は別に……あ! いや! 頭は良さそうです! 頭は!」

 顔は良くないのだろうか。直巳も自慢するほどの顔をしているとは思っていないが、いきなりそんなことを言われると、ちょっと傷付く。

 直巳がどうしたものかと苦笑いしていると、令は直巳の手をふりほどき、少女に話しかけた。

「菜子、勘違いしないで。この人は高宮さんのお迎え。さっき初めてあった人だから」

「あ、そうなんだ。それは失礼しましたー。そうですよねー。お姉ちゃん美人なんだから、もっといい彼氏……あ! そうじゃなくて! 頭は良さそうなんですけど、いや、あれ?」

 令は取り乱す少女を見ながら溜め息を吐くと、直巳の方を向いた。

「紹介します。妹の菜子です。その、口が悪いんじゃなくて、頭が悪いだけなので、許してやってください」

 令に紹介されると、菜子は直巳の方を向いて頭を下げた。

羽奈美(ハナミ) 菜子(ナコ)です! 一緒に連れてってくれて、ありがとうございます!」

「ど、どうも……椿直巳です。よろしく、菜子さん」

 直巳が言うと、菜子は頭を上げて、にこっと笑った。

「椿さん、ですね! 菜子って呼んでください!」

 菜子は子犬のように目を輝かせて、直巳のことを見つめている。

 姉に比べて妙に明るいというか、人なつっこいというか、ストレートに言うとアホっぽいというか。これが本当に姉妹なのだろうか。まあ、顔立ちはたしかに似ているのだが、菜子はキャラのせいで美人成分が死んでいる。それはそれで可愛いけれども。

「じゃあ、行きましょうか。菜子さん……菜子、荷物多そうだね。持つよ」

「あ、えと……どうも」

 直巳が菜子に手を差し出すと、菜子は反射的に持っていた大きな紙袋を渡した。見た目ほど重くはない。どうやら、大量の洋服が入っているようだ。

「じゃ、タクシー掴まえますから。こっちへ」

 直巳がタクシー乗り場まで移動する。羽奈美姉妹が後をついていく。

「結構、優しいね」

 後ろから、菜子が令に話す声が聞こえた。

 令の返事は、良く聞こえなかった。


 3人でタクシーに乗り込み、高宮邸を目指す。少し距離はあるし時間もかかるが、タクシー代はAにもらっている。

 直巳は助手席に座り、たまに運転手に道の指示を出す。後部座席では、菜子が令に買い物の戦果報告をしており、令は生返事でそれに付き合ってやっている。

 1時間ほどすると、話し声も聞こえなくなった。直巳がどうしたのかなと思い、後ろを振り返ってみると、菜子は令によりかかって、気持ち良さそうに眠っていた。

 直巳と令の目が合う。令はすぐに目を伏せてそらしてしまう。まだ警戒されているのだろう。まあ、無理もない。

 それから、高宮邸に到着するまで、直巳は1度も後ろを振り返ることはしなかった。

 途中、Aにメールで、令を拾ったこと、菜子がついてきたことを報告した。Aからは、特に問題ない、という返信がきた。

 それからしばらく走り、タクシーが高宮邸の前で停まる。あたりは、すっかり暗くなっていた。直巳は2人を先に下ろし、精算をする。これだけのタクシー代を払ったのは初めてのことだった。

 タクシーが走り去り、直巳は2人を高宮邸に案内しようとする。

「ここが高宮邸――って、2人ともどうしたの?」

 2人は驚いたような表情で高宮邸を見上げている。

「うわー……お化け屋敷みたいですねー」

 菜子が言うと、令は溜め息をついた。

「……菜子、そんなこと言っちゃ駄目でしょ。でも、本当に……なんか……」

 令は上手い言葉が見つからなかったのか、そこで言葉を止めた。まあ、本当は菜子と同じ感想なのだろう。山の中に立つ、大きくて古い洋館で、しかも人の気配がない。

「外はお化け屋敷みたいだけど、中は普通だから大丈夫だよ。じゃ、行こうか」

 直巳が門をくぐると、2人も少し離れてついてきた。

 玄関までの道のり。何度か、「うわ」とか、「あれ何?」などという菜子の声が聞こえる。恐らくは、というか確実に、燃えた車の山を見ての感想だろう。知らない人が見れば、なぜ庭に事故車を集めているのだろう、と思うはずだ。

 直巳はあえて何も言わず、黙って玄関を目指して歩いた。ここで、「館の主が、車を燃やすのが好きだからですよ。心配しないでください」と真実を伝えれば、逆に心配になるだろう。そんな趣味の人間がまともなわけがない。実際、色んな意味でまともな人間ではないのだが。

 高宮邸の玄関に到着し、直巳が大きな扉を軽くノックする。それだけで、魔法のように、すぐに扉が開いた。

 扉の向こう、薄暗い屋敷内部をバックに、Aがきっちりとお辞儀をして待っていた。

「いらっしゃいませ、羽奈美様。お待ちしておりました。ご連絡を差し上げた、高宮Aと申します」

「……どうも。羽奈美令です。こっちは、妹の菜子」

 令がAの雰囲気に気圧されながらも挨拶を返すと、Aは顔をあげて、にこりと微笑んだ。作りもののような綺麗な笑顔と派手な眼帯を見て、菜子は思わず令の手を握った。

 Aはおびえる菜子を気にもせず、笑顔のまま、2人を屋敷内へと案内した。

「それではお二人とも、中へどうぞ。主の元までお連れします」

「……わかりました」

「菜子様は別室へご案内します――グレモリイ」

 Aが呼ぶと、中2階から赤毛の美女が降りてきた。悪魔グレモリイ。ソロモン72の悪魔の1人。人間の時は、赤毛が特徴の美女だ。

「はーい。えっと、そっちのお嬢さんとお話してればいいのかな?」

 グレモリイは明るい表情で、菜子の前にやってくると、身を屈めた。

「お名前は?」

「えっと……菜子です! 羽奈美菜子! 中学2年生です!」

 Aよりはまともだと思ったのか、菜子は少し警戒を緩めて、元気良く挨拶をする。

「菜子ちゃんね。じゃ、お姉さんと一緒にお菓子でも食べて待ってようか」

 グレモリイは笑顔で返事をすると、菜子の手を取った。そして、心配そうに見つめている令にも笑顔で言う。

「そんな顔しないでも大丈夫よ。ちゃんと仲良くしてるから。ね? お姉ちゃん」

「……わかりました。菜子、良い子にしてなよ」

 令は渋々ながらもそう言って、グレモリイに軽く頭を下げた。

「はい。お預かりします。じゃ、いこっかー。荷物持つわよー。お、洋服買ったの? いいじゃなーい。何買ったのか見せてよー」

「あ、はい! 可愛いのいっぱい買ったんですよー!」

 菜子は警戒心が薄いのか、もうグレモリイに懐いているようだった。2人で楽しそうに2階へと上がっていった。

 令も、その姿を見て毒気が抜けたのか、安心したように息を吐いた。

 2人の姿が見えなくなると、Aは令に微笑みながら言った。

「では令様。応接室の方へ」

 Aの言葉に令がうなずく。

「それじゃ、俺はこれで」

 令を連れてくる、という役目を終えた直巳が立ち去ろうとすると、Aに呼び止められた。

「直巳様もご一緒にお願いします」

「俺も?」

「ええ。直巳様にも関係のある話なので」

 直巳は令をちらりと見る。令は目も合わせず、何も言わない。

「……わかった」

 直巳の返事に、Aは満足そうにうなずく。

 そして、直巳と令は、Aの後に続いて応接室へと向かった。

 玄関から応接室までは遠くない。すぐに応接室の前に到着し、Aが部屋をノックする。

「アイシャ様。羽奈美様をお連れしました」

「入ってちょうだい」

 中から、素っ気ないアイシャの返事が聞こえると、Aは部屋の扉を開けた。

「どうぞ」

 Aに案内されるまま、令と直巳が応接室に入る。アンティークの家具でまとめられた部屋。作ろうと思って、すぐに作れるような雰囲気ではない。映画のセットのような風景に、令は、今日何度目かの驚きの表情を見せる。

 そして、そこで待っていた少女の姿を見て、令はさらに驚くことになる。

 椅子から、黒いドレスを着た金髪の少女が立ち上がり、スカートの裾をつまんで、令に挨拶をした。

「いらっしゃい、羽奈美令。私がこの屋敷の主、高宮アイシャです」

 令は呆気にとられた表情でアイシャを見つめる。たっぷり5秒ほど固まったあと、Aと直巳を見比べて、直巳に話しかけた。

「ねえ……あの子供が主って……冗談だよね?」

 直巳は困ったように笑いながら、首を横に振った。

「いや、本気だよ。大丈夫、子供なのは見た目だけだから。さ、座ろう」

「はあ……」

 令はアイシャのことを見つめながら、Aに椅子をひかれて座る。直巳は自分で椅子をひいて着座した。すぐにAが、全員分のお茶の用意をはじめる。

 令は席についても、まだアイシャのことを見つめていた。アイシャは目をそらし、気にしないようにしている。好奇の視線には慣れているのだろうし、若い娘のすることだ。一々、気にするようなアイシャではない。

 Aが全員にお茶を煎れると、アイシャの後ろに控えた。

 令は目の前の紅茶を見つめるが、手はつけなかった。警戒しているのではない。ただ、マナーとして、手をつけてよいものかどうか迷っているのだ。

 令がお茶を飲まないのを見ると、アイシャは口を開いた。

「まずは、遠いところをご苦労様。羽奈美令――令、と呼んでもよろしいかしら?」

 普段の令なら、こんな少女に呼び捨てにされるのはおかしいとも思うが、アイシャには有無を言わせない雰囲気があった。直巳の言っていた、「少女なのは見た目だけ」という言葉の意味が、少しわかった。

「はい。構いません。私は、何とお呼びすれば?」

「アイシャと呼んでちょうだい。こっちの執事はA。どちらも呼び捨てで構わないわ」

 アイシャが言うと、Aが静かに頭を下げる。

「それじゃあ、アイシャ……早速、例のものを……」

 令が言うと、アイシャは表情だけで笑う。この仕草も、少女のものとは思えない。

「せっかちね。ま、いいわ。呼びだしたのはこちらだしね。A、お見せして」

「はい」

 Aは返事をすると、背後にあったチェストの引き出しをあけて何かを取り出すと、それを令の前にそっと置いた。

 直巳が何かと思って、Aの置いたものを見てみる。直系30センチ程度の木箱だった。やたらと古く、表面に何か書いてあるようだが、直巳からでは、はっきりと読めない。

 令は木箱を見つめる。表面の文字を読むと、興奮したような熱い息を漏らす。

「あの……触っても?」

「箱も中身も、ご自由にどうぞ」

 アイシャに言われると、令はゆっくりと木箱を開けた。

 直巳も、少し身を乗り出して中身を見る。

 中には、一本の短刀が入っていた。

 何時の物なのか、刀身はまったく輝きを失っていない。持ち手の部分に掘ってある、奇妙な紋様が特徴的だった。モチーフは鳥の羽か何かだろうか。

 令は一度、深呼吸をすると、慎重に短刀を手に取って、しげしげと眺めた。

 その間、アイシャとAは、ジッと令のことを観察している。

 しばらくすると、令は短刀を木箱に戻し、足りなかった酸素を取り入れるように、何度か呼吸をしてから、口を開いた。

「なんて言えばわかりませんが……その……間違いなく、何か特別なものだと思います。こんなこと言って、おかしなやつだと思われるかもしれませんけど――」

「あなたの言うとおり、それは特別なものよ」

 アイシャは、あっさりと返事をすると、木箱を蓋を指差して、表面に書いてある文字を読み上げた。

「花鳥神社御神体、「花鳥ノ(ハナドリノクチバシ)」――さすが、巫女様にはわかるのね」

 アイシャの言葉を聞くと、令は体をピクッと震わせた。しかし、何も言わない。

 それっきり、アイシャも令も黙り込んでしまった。

「あ、あの! どういうことか、説明してもらってもいいかな!」

 気まずくなりそうな瞬間に、直巳はあえて空気を読まず、大きな声で聞いた。

「その……よければ、だけど」

「もちろん、構いませんよ」

 直巳がおっかなびっくり付け加えると、Aが優しい声で返事をした。

 令は特に何も言わないが、Aは気にする様子もなく説明をはじめた。

「まず、その短刀は、花鳥神社という神社の御神体なのです。そして彼女、羽奈美令様は、花鳥神社の巫女様です。普通の巫女ではなく、花鳥の巫女と呼ばれております。巫女様の役目は、代々直系の女性に受け継がれるもので、彼女は由緒正しい血統の巫女様なのですよ――ね?」

 すらすらと、最後は令に向かって微笑みながら言った。令は小声で、「そうです」と答えた。

 なるほど。Aは直巳に説明すると見せかけて、令にすべて知っていますよ、ということをアピールしたかったらしい。

「ずいぶんと、お詳しいんですね」

「調べればわかることですから」

 令の牽制も笑顔でかわして、Aはさらに続けた。

「それで、なぜかその短刀が、うちの倉庫にありまして。渡航準備をしている時に見つけたのです。これはお返ししなければならないと思いまして――もし、この御神体がないせいで、花鳥神社に神通力がなくなって、天使禁制が破れでもしたら、大変なことで――」

「ちょっ――待ってよ! なんで、あなたがそれを!?」

 令が机を叩きながら立ち上がり、大声でAの言葉をさえぎった。テーブルの上のカップが揺れて、アイシャの紅茶がこぼれる。Aは慣れた手付きで、それをぬぐいながら話を続けた。

「だから、言っているじゃないですか。調べればわかる、と」

 Aはテーブルを拭き終わると、直巳に向かって言った。

「花鳥神社は天使禁制。天使降臨が観測されてからの百年間。神社とその周辺に、天使が降臨したことは、一度もないのですから」

「え――それ、本当に!?」

 それを聞いて、今度は直巳が立ち上がる。うるさいわね、とばかりにアイシャに睨まれた。

「それが、花鳥神社の神通力っていう……いや、本当ならすごいことじゃ……」

「すごいことですよ。まあ、そんなに広い範囲でもないですから、それだけで天使教会を攻め滅ぼすようなことはできませんが。ただ、本当のことです。ああ、それとも、御神体がここにあるのだから、天使禁制も効かなくなっているんですか?」

 Aが煽るように言うと、令は焦ったように反論した。

「な……御神体は、別にちゃんとあります! それだって特別な力を持っています!」

 令の言葉を聞くと、Aは意味ありげに微笑んだ。

「それはようございました。ならば、今も天使禁制は有効なのですね」

「それは……天使禁制……神通力なんて……噂でしかないわ。偶然よ……それに、例えそうだったとしても、それを認めるわけにはいかないの。天使教会を煽ることになるから」

 令は力無く否定すると、そのまま黙り込んでしまった。

 なぜ、天使禁制を偶然だと言うのか、否定をするのか。それは、令が言っているように、天使教会を煽ることになるから――そういうことなのだろう。もし、うちの神社には天使降臨が発生しません、天使禁制です、などと声高に主張すれば、天使教会を挑発するだけだ。それを避けるということは、花鳥神社は、真っ正面から天使教会と戦う気がないのだろう。

 当然のことだと思う。あんな大きな組織を敵に回して、得することなど何もない。

 直巳はそこまで理解すると、不愉快そうな顔をしている令を見て、申し訳ない気持ちになった。結果的にはAの舞台装置として、令を追い詰めてしまったのだから。

 ただ、どうしてAが令を追い詰めようとしているのかは、まったくわからない。

「その……うん、事情はわかった……」

 直巳がごにょごにょと言いながら、席に座る。

「ねえ、もういいでしょう? 私は、その御神体を返してもらえるというから来たの。何のために、こんな話をしているの?」

 令がキレ気味に言うと、アイシャは手で彼女を制してから言った。

「悪いわね。こうやって、人をいらつかせるやつなのよ。あなたの言うとおり、私達はその短刀を返すために、あなたを呼んだ。それ、持って帰ってちょうだい」

 アイシャが手で、どうぞとばかりに木箱を指し示す。

 令が怒りも収まらないと言った様子で、木箱に手を伸ばした瞬間。

「――では、代金の5億円をいただきましょう」

 Aが、とんでもないことを言い出した。

「――は?」

「A……あなた、何を言っているの?」

 驚きの声をあげたのは、令だけではなかった。アイシャも怪訝な表情でAを見つめている。

 しかし、Aはアイシャに何も言わず、令に向かって言葉を続けた。

「天使禁制、花鳥神社の御神体ですよ? それぐらいの価値はあるでしょう」

「……いや、そりゃお礼はするつもりだったけど……5億って……冗談でしょ?」

 令は、もはや半笑いで言うが、Aの表情は真面目そのものだった。

「本気ですよ。現金で5億円。御神体は代金と交換です」

「ふざけないで! そんな値段で誰が!」

「令様は買わないと?」

「当たり前でしょ!」

「なら、他の方にお売りしましょうか。たとえば、そう――天使教会とか」

「な――」

 突然の裏切りに、令が絶句する。その顔を見て、Aは楽しそうに笑った。

「天使教会は欲しがるでしょうね。あなたが、花鳥の巫女様が本物だと認めた逸品だ」

 なぜ、ここで急に天使教会という言葉が出てくるのか、直巳にはわからなかった。それでも、令は唇を噛んでAを睨み付けている。

「何と言っても、巫女様の鑑定済みですからね。動画も、音声も残っております」

 そういうと、Aは天井の隅にある監視カメラを指差した後、机の下にガムテープで貼っていた録音機材を外して、テーブルの上に置いた。

 令はカメラと録音機材を睨むと、唇を噛みしめながら、絞り出すような声で言った。

「……汚い……汚すぎるよ……そのために……わざわざ私を……そうか……あんた達……天使教会の手下だったんだ……」

「それは違います。むしろ、逆なんですけどね」

 Aがそう言ったところで、アイシャは立ち上がり、Aの胸ぐらを掴んで、顔を引き寄せた。

「A……あんた、何考えてんの? 何してるの?」

 Aはアイシャと額が触れ合う距離で睨まれながらも、いつもの笑顔を作って言った。

「当初の目的どおりですよ――私にお任せください」

 そして、アイシャの手を丁寧にふりほどくと、令の方を向いて、はっきりと言った。

「今、花鳥神社は、天使教会に迫られているんですよね。傘下に入れと――そして、負けそう、なんですよね」

 令は再び立ち上がり、今度は遠慮なく大声で怒鳴りつけた。

「ふざけるな! 私達は負けない! あんたみたいな汚いやつにも! 天使教会にも!」

 令がそう叫ぶと、アイシャは椅子に座り、額に手をやってうつむいた。

「そう……そういうことなのね……A……」

「そういうことなのですよ、アイシャ様――世界的に、天使教会が異端に対する攻勢を強めている。その矛先が、花鳥神社にも向かっている、ということです」

「な――令……それ、本当なの?」

「ッ!!」

 直巳がたずねると、令に睨み返された。元から鋭い目付きをしているのもあるが、年下とは思えない迫力だった。

「ははっ、そう睨まないであげてください。直巳様は、本当に何も知らないのですよ」

 Aはこの状況で、笑いながらそう言った。普通の神経をしていたら、ここで笑えない。でも、Aは笑える。普通ではないからだ。

「A、お客様を挑発するんじゃないの。早く本題に」

 楽しそうなAに水を差すようにアイシャが言う。言い方は厳しいが、いつものような覇気がない。先ほどから、少し様子がおかしい。

 Aはアイシャに、「かしこまりました」と言うと、令に向かって真面目な顔で言った。

「本題に入ります。御神体はお譲りします。代金がお支払いいただけないなら、代わりに、花鳥祭が無事に終わるまで、こちらの人間を神社に置いてください」

「は……? 何それ? 何で、あんた達がそんなことするの?」

「簡単ですよ。我々は天使教会の拡張主義が気に入らない。食い止めたい。花鳥神社を守りたい。そのためには、花鳥祭を成功させる必要がある――それだけです」

 令はそれを聞くと、あきらめたように溜め息をついた。

「花鳥祭――そこまで知ってるんだ」

「もちろん。年に1度行われて、花鳥様の力を取り戻す、大切な祭りですよね。毎年力を取り戻す、というのは、他の神社でもよくある祭りですが、花鳥神社にとっては立派な儀式です。何せ、その力は本物なのですから」

 令は肯定も否定もしない。間違ってはいないのだろうが、儀式が本物、というのを認めるわけにはいかないのだろう。

「しかし、花鳥祭は毎年、3月の末ごろに行われるはず。それがどうして、今年だけ、こんな寒い冬にやるのか――何か、特別な理由でも?」

「――何でも知っているのね。気持ち悪いぐらいに」

「調べ物が得意でして。それで、なぜ、この時期に?」

「別に……こちらの都合よ」

「そこ、はっきりと教えてもらえますか」

 令が濁そうとするが、Aはそれを許さなかった。厳しい口調で問い詰める。

「……お婆ちゃんが、そうしろって言ったのよ……そんな目で見ないで、その理由もちゃんと言うわ……その、花鳥の巫女の首には花片の形をした痣が出るんだって。それが3ヶ月ぐらい前から、私の首にも出てきた。痣は80日で完全な形になるらしいの。それが、5日後」

 そういうと、令は髪をかき上げて、自分の首筋を見せた。まるでタトゥーでも入れたかのように、綺麗な花片の模様が浮き出ていた。

「――なるほど。それは神秘的でようございますね。よく、わかりました」

「これでまた1つ、花鳥神社に詳しくなったわね」

「ええ。令様のおかげでございますね」

 令の嫌味も、Aは微笑みながら、さらりと受け流した。令は不愉快そうな顔をするが、嫌味を言っても無駄だと思い、話を戻す。

「……それで、あなた達はうちの神社に来て、何をするつもりなの?」

「花鳥祭を成功させるために、天使教会を食い止めます。我々、そういうの得意なので」

「いきなり殴り合いでもする気? それやったら、一発アウトなんだけど」

「ははっ! そこまでのバカは――えー……大丈夫です。きちんと言い聞かせます」

 そこまでのバカが思い浮かんだのか、Aは途中で言葉を変えた。

 直巳の頭にも、背の高い女性の姿が思い浮かんだ。バカとまでは言わないが、直接戦闘にまったく躊躇がないことは事実だ。

 令はそのまま黙って考え込んだ。たまに、御神体をちらりと見る。令は、あの御神体だという短刀に、よほど何かを感じたのだろう。

 そして、令はしばらく考え込んだ後、重い口を開いた。

「ちゃんと……ちゃんと、こちらの指示に従ってくれるなら……」

「もちろん。あなた方の指示に従います。勝手はしません。何も問題がなければ、祭りを見物して帰るだけです」

 Aは相手を安心させるような、優しい声色で答えた。

「わかった……でも、もう1つ。うちの神社で一番偉い人……おばあちゃんの許可は取らないと駄目。お婆ちゃんには何て言えばいい? そのまま言うわけにもいかないでしょ?」

 たしかに、天使教会との関係がナーバスなこの時期に、天使教会を嫌いな人達を連れて帰るとは言いにくいだろう。

 Aは少し悩んだ後、アイシャに耳打ちをした。アイシャは黙ってうなずく。そして、Aは懐に手を入れ、メモ帳のようなものを取り出すと、スラスラと何かを書き込んだ。

「祭りに寄付をする代わりに、準備から見せてくれという変わり者がいる、ということでいかがでしょうか?」

 Aは何かを書いた紙をちぎって、令の前に置く。令は不思議そうな表情でそれを手に取ると、中身を見て、思わず声をあげた。

「なっ……えっ……? これって……」

「小切手ですよ。祭りの準備には何かと物入りでしょう。大口の出資者のわがままであれば、多少は通るのではないかと思いまして」

「大口って……そんな……」

 令がテーブルに小切手を置く。直巳が金額を覗きみる。

 そこにはAの綺麗な字で、三千万という数字が書き込まれていた。

 高宮家にとってはたいした金額ではないが、令には刺激が強すぎるだろう。

 小切手を見詰めながら硬直する令に向かって、Aは口を開いた。

「そうですね。花鳥神社の御神体を持っていた骨董商が、お返しするのと寄付をする代わりに、この御神体を使った祭りがどんなものか気になるから、準備から見せて欲しい――という筋書きでいかがですか?」

「え……あ、うん……おばあちゃんに聞いてみる」

 令はAの言葉に流されるように、携帯を取り出すと、電話をかけはじめた。

 すぐに相手が出て、令は電話越しに話をはじめた。

「……もしもし、私。うん……おばあちゃんに代わってもらえる?」

 それから、少しの間があって、令は話を再開する。

「あ、おばあちゃん? うん……あの御神体の話なんだけど……」

 それから、令は祖母に向かって、御神体である短刀のことと、三千万の出資のこと。それから、祭りを見学させていいか、という話をした。

「うん……ああ、人数? えっと……」

 令がAの方を見る。Aは2本指を立てて、唇の動きだけで、「2人」と言った。

「……2人。私がちゃんと面倒を見るから……うん……わかった、代わる……」

 令は通話口を押さえながら、電話をAに差し出した。

「おばあちゃん。お礼が言いたいから代わってって」

「私、ですか」

「アイシャは……その……声も子供っぽいでしょう? 信じてもらいにくいというか……」

「ま、そうね。A、あんたが出なさい」

 アイシャが突き放したように言うと、Aは少し考え込んでから、電話を受け取った。

「お電話代わりました――初めまして、おばあさま。私、高宮と申します」

 Aの声が、いつもより少し低いような気がする。緊張をするような性格とも思えないが、どこか、ほんの少しだけぎこちない。

「ええ――そうです。後学のために、見学をさせていただければと――」

 Aは当たり障りの無い会話を交わしている。本当に、ただ話を返しているだけだ。

「はい――それでは、よろしくお願いいたします――では、令様にお戻しいたします」

 Aは携帯電話を令に渡す。珍しく、ほっとしたような表情をしていた。令は祖母と二言三言会話をした後、Aの方を見た。

「うん――わかった。じゃあ、話は受けるってことで」

 令が、話が通ったことをAに目で合図する。Aは黙ってうなずいた。

「それじゃ、後はあたしがやるから――うん、それじゃあね」

 令は携帯電話を切ると、安心したように、はぁ、と息をついた。

「――あなた達の望み通り。これでいいんでしょ?」

 そう言いながら、令はブレザーのポケットに携帯をしまった。それを見ながら、Aはパチパチと拍手をする。

「ありがとうございます。これで、御神体も小切手もあなたのものです」

 令は、「どうも」と無愛想に言って、御神体の木箱と小切手を学校のカバンに入れた。

「で、いつから来るの?」

 令にたずねられると、Aは即答した。

「明日からお願いします」

「は? 明日?」

「ええ。急かとは思いますが、時間もないですし、早い方がいいでしょう」

「まあ……いいけど……で? 誰が来るの? 2人だよね?」

 令がそう言うと、Aはにこっと笑って、直巳の後ろに立ち、ポンと肩を叩いた。

「1人は、こちらの直巳様です」

「え!? 俺ぇ!?」

 まさか、自分が行くことになるとは思ってなかった直巳が、間抜けな声を出して驚く。

「てっきり、Aが行くのかと……あ、海外か……なら他の悪魔……じゃなかった。他の人に行かせれば……もっと強い人が他に――」

 直巳の脳裏に、他の悪魔達が思い浮かぶ。ツグミの悪魔カイム――駄目だ。あれはカラスに虐められて逃げ帰ってくるほどだし、人間の姿になっても強くはない。グレモリイとフラウロスは、つばめの護衛だから駄目。

 後は高宮Bこと、悪魔バエル。Bはたしかに強い。悪魔の姿になれば、めちゃくちゃに強いが、人間の時は、まともに生活ができないぐらいのバカメイドだ。「ギリギリ意志の疎通が不可能」、「ハムよりバカなメイド」、「可愛さも知能もぬいぐるみレベル」など、彼女のバカさを現わす言葉は無数にある。

「まあ……そうなると……そうか……俺か……」

 直巳はあきらめたように言うと、令は溜め息をついた。

「……ぶっちゃけて言いますけど、椿君、そんなに強そうに見えないんですが」

 本当にぶっちゃけたが、令の心配もわかる。強そうには見えないし、Aのように狡猾だとも思えない。アイシャのような、正体不明のオーラがあるわけでもない。

「これで結構、悪知恵も働くんですよ。それに、直巳様がいないと、もう1人がコントロールできないので」

 このAの言葉で、直巳はもう1人が誰なのかを確信した。まあ、どう考えても、後1人しか残っていないのだが。

「そこにおられるのでしょう? どうぞ、お入りください」

 Aが応接室の扉に向かって声をかけると、扉が開いて、1人の女性が入ってきた。

 入ってきた女性は、令の姿を見ると、小さく頭を下げた。

「……伊武希衣……です」

 伊武の自己紹介は、それだけだった。

 伊武が応接室の前にいたのは、Aに呼ばれていたからではない。ただ、直巳が気になって、自主的に護衛をしていたのだ。直巳が許していなかったら、何かしらの条例や防止法に引っ掛かってしまう行動である。

「……ど、どうも……令です……羽奈美令……」

 令は、他の人間と同じように、伊武の身長に目を奪われた。この部屋の誰よりも背が高い。これだけの身長がある人は、男性でもなかなか見かけないだろう。

 そして次に、やはり他の人間と同じように、大きな胸に目を奪われた。令もそれなりにはある方だが、伊武のはなんというか、規格外だ。比べることすらバカらしい。

 令が驚きを隠せないでいると、Aが伊武の横に立って、彼女の肩に手を置いた。

「令様。こちらがもう1人の、伊武希衣様です。希衣様は必要以上にお強いので、ご安心を」

「ああ、そうですか……強そう、ですね」

 令が引き攣った表情で答える。令は武道や格闘技をやっているわけではないし、殴り合いのケンカだってしたことがない。それでも、伊武が強いのはわかる。熊を見て強そうだな、と思うのと同じレベルの話だ。

「では、明日からこの2人がお世話になりますので、よろしくお願いします」

「あの、迷惑にならないようにするんで」

「……」

 Aの言葉に、直巳が申し訳なさそうに頭を下げる。伊武は黙って立っているだけだ。

「ま……同じ学生だし……Aさんが来るよりはやりやすいか……」

 令は直巳と伊武を交互に見た後、冷めた声で言った。

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