第五篇外伝 四章
「ようハナガラス。やってくれたな」
花鳥は10人ほどのチンピラに取り囲まれていた。先ほど、支払いの取り立てをしにいったのだが、相手の男が少しごねた。俺には強い仲間がいるぞといきがったので、適当にシメて財布を出させた。
その帰りのことだった。いきなり、目の前にずらっと汚い男達が現われたのは。どうやら、仲間がいるというのは本当だったらしい。強いかどうかは知らないが。
「お前の持ってる財布、全部出してもらおうか」
先頭に立っている男が言う。太って大きな体をしているが、筋肉もついているだろう。これは小さな力士のようなものだ。こういうのはやりにくい。
「これはあいつが踏み倒したのが悪い。最初から払ってりゃ、痛い目は見ないで済んだ」
「知らねえよ。それに俺は、全部と言ったんだ。お前の財布も出すんだよハナガラス」
なるほど。ただ財布を取り返しにきたのではないらしい。
「昨日は、俺の子分も世話になったみたいだしな。しばらく手が使えないって泣いてたぜ」
「昨日? ああ、あの3人か。金は持たせてやったんだがな。やっぱり、復讐はしたいか。自分でやろうと思わないから、いつまで経っても弱いんだろうな」
昨日、路地裏でやりあった3人とも繋がりがあるらしい。それじゃあもう、話してなんとかなるわけでもないだろう。
「ほら、どうしたハナガラス。財布出して土下座をしろよ。もう二度と、でかい顔はしませんって約束して、そうだな。後はその外套をもらおうか。お前が頭を下げたっていう証拠にな。熊の毛皮みたいなもんだ。それがありゃあ、みんな信用するだろうからよ」
ハナガラスは下駄でザッザッと足元を慣らすと、にやにやと笑いながら言った。
「最近は殴るばかりでな。たまには殴って欲しいと思ってたんだ。まあ、たいして入ってはいないだろうが、おまえらの財布も全部いただいてやるよ」
そう言った次の瞬間、ハナガラスは男に突っ込んで、鼻っ柱に一撃ぶち込んだ。
「ぶふっ」
鼻から血を噴き出し、男がよろめく。ハナガラスはくるりと踵を返し、一目散に逃げていった。
逃げたぞ、追え、ぶっ殺せと、背後から威勢の良い声が聞こえる。
ハナガラスは、また狭い道へと逃げるつもりだった。とにかく大将をぶちのめす。囲まれない場所でやる。大勢とやり合う時の鉄則だ。
一応、大将は殴っておいたが、あれじゃあ倒れてないだろう。目でも潰しておけばよかったなと、ハナガラスは後悔していた。
目当ての路地が見えてきた。後ろからは、足の速いのが何人か追いついてきている。ばらばらにくるなら、なおやりやすい。定石どおりだ、今日も勝てるなと、思った瞬間。
路地から、また10人ほどの男達が現われた。大通りで挟まれる形になる。
読まれていたらしい。それに、この人数だ。どうやら、相手は本気らしい。
ハナガラスは舌打ちをする。次はどうするか。薄いところに突っ込んで逃げ切るか。
そうこうしてる間に、ハナガラスはすっかり囲まれてしまった。
頭を下げて金と外套を出せば、見逃してはもらえるだろう。だが、それをやればハナガラスは死んだのと同じだ。
「――やるだけやってやるか」
ハナガラスが覚悟を決める。男達が、一斉に襲いかかってきた。
まあ派手なケンカになった。何人殴ったか。何人に殴られたか。手当たり次第に殴って、その10倍は殴られた。
興奮しているせいか、殴られても痛みはない。ただ、頭や体が揺れるだけだ。血が目に入って、左目が空かない。
そのうちに、体が言うことを聞かなくなってきた。気持ちが折れてないのに、体が音をあげるというのは不思議な気分だ。
こりゃ、殺されるかもなと、ハナガラスは、本気でそう思っていた。
大勢で襲ってくるやつらは、気が大きくなっている。止めるやつがいない。相手をどれだけ殴ったかの実感がない。だから、死ぬまでやってしまうのだ。
つまらない死に方だ――だけど、まあ、こんなもんだろう。
ハナガラスが、そう覚悟を決めた時。
後ろの方のヤクザが、悲鳴を上げ始めた。そして、ハナガラスの周りから、どんどんと人が減っていく。
そしてついに、ハナガラス以外の全員が地面に倒れてしまった。
「なんだなんだ……どうしたっていうんだ……」
ハナガラスがふらふらになりながら、片目で辺りを見る。
背の小さな女が1人、立っていた。
「……あんたがやったのか?」
まさかとは思うが、そうとしか考えられない。拳銃でも持っていたか。それにしては、銃声が聞こえなかったが。
女は小さくうなずくと、ハナガラスに近寄って、肩を貸してくれた。
「真っ黒……外套……坊主頭……その目付きの悪さ……間違い……ない……」
ボソボソと小さな声。殴られすぎて耳の遠くなっているハナガラスには、良く聞こえない。
「なんだ? 何を言ってるんだ?」
「あなた……ハナガラス?」
ハナガラス。その言葉は聞こえたので、うなずく。
「やっぱり………娘が……世話になった……」
「娘? 娘なんか世話した覚えは――」
いや、した。茶漬けを食わせてやった娘が、1人いた。
「あんた……まりの母親とか、そういうのか?」
「そう……お母さん……」
どうやら、茶漬けの礼に助けてくれたらしい。茶漬け一杯に命を救われるとは、まるで昔話だなと、ハナガラスは鼻で笑う。
「そうかい……ありがとよ。しかし、ずいぶん強いんだな」
「まあ……少しは……」
少しどころじゃない。手練れの軍人だって、こう鮮やかにはいかないだろう。
ハナガラスは彼女の体をそっと押しのける。胸が腕に当たる。やたらでかい。子供を産んだとしても、こんなに大きくなるものだろうか。
「世話になった。礼を言う」
ハナガラスはボロボロになりながらも、きちんと2本の足で立っていた。
これ以上、世話にはなりたくない。彼女も、そんなハナガラスの気持ちを察したようだった。
「いいえ……それじゃあ……」
そういうと、彼女は音も無く姿を消した。
「色んなやつがいるもんだな」
花鳥はふらふらになりながらも、倒れている男達の財布を全部奪った。
「熊からは、毛皮を取らないとな」
そして花鳥は、依頼主に取り立てた金を渡しにいった。ボロボロの姿に依頼主は驚いていたが、花鳥は簡単に事情を説明してやった。
これで、花鳥は20人に囲まれて勝ったという噂が流れるだろう。そうなれば、迂闊に手を出してくるやつも減るはずだ。
実際は、まりの母親がやったのだが、あいつらがどこまで覚えているか。覚えていたとしても、小さな女にやられたと、自分から言い触らすやつもいないだろう。それなら、ハナガラスにやられたことにしておいた方が、面子も保てるというものだ。




