第五篇外伝 三章
ハナガラスは路地裏でヤクザ達を叩きのめした後、馴染みの店へと寄ることにした。
縞猫屋という店で、酒と話好きのオヤジが店主をやっている。
ずいぶんと可愛らしい名前の店だが、彼の奥さんがつけたらしい。
オヤジが言うには、「女房が縞模様の猫を拾ってきてよ。ついでだから店の名前も縞猫屋にしたんだよ」ということだ。
ちなみに、その女房はとっくの昔に逃げて、その後すぐに猫もどこかへ逃げてしまっている。残ったのは酒臭いオヤジに似合わない、可愛らしい店名だけだ。
「おう、ハナガラスよ。またケンカしたらしいな」
オヤジが笑いながら、ぬるい番茶を出してくる。花鳥はそれを一口飲む。相変わらずまずい。まずいが慣れた味だ。不思議と落ち着く。
「俺のケンカは生業だ。あんたがまずい飯を作るのと同じだ」
「お前は血筋がいいせいか、妙に舌が肥えてるのがいけねえよ。舌はバカなぐらいな方が、何食っても美味く感じて人生楽しいってもんだ」
「ちげえねえ」
そういってハナガラスは笑う。ハナガラスと縞猫のオヤジは仲が良かった。飯を食わなくても話にくることがあるし、夜には酒も出してくれる。ハナガラスがいくつかなんて、本人だってあいまいだし、縞猫のオヤジは男の年齢に興味がない。
「ところで聞いたかよハナガラス」
「どうした」
「隣り町にな。天使の教会が出来たってよ」
「へえ。噂の天使教会ってやつか」
「ああ、しかもな。寂れた寺を買い取って潰してな。そこに建てたらしい」
「寺を? 寺なんて、金を積めば買えるものでもないだろうに」
「それが、お偉いさんも口を出さなかったらしいぜ。まあ、お互いそうしたいならいいだろうってな具合で」
「強い鼻薬でもかがされたかな。坊主はどうしたんだ」
「坊主は相当な金をもらったらしくてな。還俗して田舎に引っ込んだってよ。立派な家を建てて、若い女中を雇って楽しくやってるって話だぜ」
「ふうん。まあ、みんな喜んでるならいいじゃねえか」
「しかしよ、ハナガラス。天使教会が、この町に来るって噂もあるぜ」
「ほう、いいじゃねえか。俺も西洋の菓子でも、もらいに行くかな」
「呑気なこと言ってんじゃないよ。花鳥神社が狙われたらどうするんだ」
「そりゃ、大丈夫だろ」
ハナガラスは番茶を飲み干してから、自身ありげにいった。
「花鳥神社は天使禁制。神社のおかげで、この辺に天使はこれねえんだ」
天使という謎の存在が降臨しはじめてから、少しの時が経っている。被害にあった人や場所の噂は耳に入ってくる。近場に天使が降臨したという話もある。だが、花鳥神社だけは、かすりもしていなかった。
そしていつからか、花鳥神社は天使禁制だという噂が立ち始めた。花鳥神社に天使は入ってこられないという噂が。実際に、花鳥神社と、その周辺で天使の被害にあったものはいない。
天使禁制の噂は広がり、今では天使避けの神社として人気が出て、遠くからお参りに来る者もいた。
「うちも花鳥神社の札をかざってるから安心かな」
オヤジが、壁にかかって変色した花鳥神社のお札を見て笑った。普通は毎年買い換えるものだが、これだけ汚い札だと、10年そのままだと言われても納得してしまう。
「あんたは賽銭けちってるから駄目だ。札だって、そりゃ毎年買い換えるもんだろう。近いんだからちゃんとお参りしておくんだな」
「まあ、そういうなよ。神社ってのは、たまに行くからありがたいんだよ。いつも行ってたら、ありがたみが薄れちまうってもんだよ」
また無茶なことを言っているが、一理あるかもなと花鳥が妙な感心していると、店に1人の女が入ってきた。
洋装をしていて、女にしてはやたら背が高い。長い髪で顔の左半分を隠している。
「おう、いらっしゃい」
「どうも。いつものをお願いします」
そういって風呂敷を差し出す女は、あまり可愛く無い声をしていた。胸もないし、ありゃ男娼かもなとハナガラスは勘ぐる。
「はいよ。ちょっと待ってな」
親父は奥から一升瓶を取り出すと、渡された風呂敷で包み、女に渡した。女はいくらかの代金を支払うと、包みを大事そうに抱きかかえた。
「ありがとうございます。私の楽しみといえば、これぐらいのもので」
「気に入ってくれて嬉しいよ。今度は飲みにおいで。1杯ぐらいはおごるからさ」
「人が多いのは苦手なもので。家で1人でやるのが好きなんです」
「そうかい? それならしょうがねえや。あんたの分は取ってあるから、また買いにおいで」
「はい。それでは」
そういうと、女はオヤジに頭を下げた。ついでに花鳥にも会釈をする。隠れていない部分の顔を見たが、中々綺麗な顔をしていた。
女が出ていった後、花鳥は早速、女のことをたずねてみる。
「親父。顔見知りのようだが、ありゃ、なんだ?」
「最近、来るようになったんだよ。たまにああやって、山桃の酒を買いに来るんだ。なかなかべっぴんだろ?」
「髪のせいで良くは見えなかったが、あれぐらい綺麗な顔した男もいるだろうよ」
「男じゃねえよ。俺はいっつも話してるんだ。華奢だし喉仏もない。ありゃ、ちゃんと女だ」
「そうかい。そりゃよかったなスケベ親父。でも、そんなにべっぴんなら、どうしてあんなお岩さんみたいな髪をしてるんだ」
花鳥がたずねると、縞猫の親父は顔を近づけて、声を潜めた。まだ昼間なのに酒臭い。
「ありゃあな、ひどいヤケドを負ってるらしいんだ」
「ヤケド? そりゃまたかわいそうな話だな。湯でもかぶったか?」
「いや、本人が言うにはな――天使に会って、顔が灼けたらしいんだよ」
「天使? ほお、そりゃ災難だな」
「詳しくは話してくれないけどな。そりゃ、嫌な思い出だろうからしょうがねえが」
オヤジは、神妙な顔でそんなことを言いながら、番茶のおかわりをついでくれた。
「こんなお茶ばっか飲んでたら、水っ腹になっちまう。飯でも出してくれないか」
「まだ昼間だぜ。仕込みの途中だから、冷や飯ぐらいしかねえよ」
「昼間だから飯なんだろうがよ。まあいい。それじゃ、茶漬けをくれ。梅干しもあるといい」
「あいよ、毎度あり。そこに冷や飯も梅干しもお茶もあるから、好きにやってくれ」
「ずいぶんな商売してるじゃねえか。それで銭取るとは、世も末だな」
ハナガラスはブツブツいいながらも、茶碗をとって飯をよそり、さっさとお茶漬けを作った。オヤジはハナガラスに対して、いつもこんな調子なので、食器の位置も漬け物の位置も、すっかり覚えてしまった。代金はあってないようなものなので、花鳥も許してはいるが。
花鳥がザクザクと美味くもない茶漬けをかき込んでいると、今度は1人の少女が入ってきた
「こんにちは!」
「おう、こんにちは。お使いかい?」
「はい! お弁当できますか!」
まだ子供なのに、はきはきとした喋り方。随分と利発そうな子だなと、花鳥は茶漬けを流し込みながら横目で見ていた。
「あー、にぎりめしぐらいしかできねえが、それでもいいかい?」
「はい! じゃあ、たくさん作ってください!」
「たくさんってのは、どれくらいだい」
「うーん……10個!」
少女がパッと両手を広げる。その可愛らしさに、親父はデレデレしていた。
「そりゃたくさんだなあ。ま、米も足りるか。そこに座って、ちょっと待ってな」
「はい! ありがとうございます!」
オヤジが奥に引っ込むと、少女はよじ登るように椅子に座った。わざわざ、花鳥の隣りに。他にも席はあるだろうに、どうして隣りなんだと思いながら、花鳥は無視していたのだが。
「こんにちは!」
「……ああ」
無視できなかった。純真無垢な少女は、昼間からこんな店で茶漬けを食ってる男にも、礼儀正しく挨拶をしてくるものらしい。
「真っ黒ですね!」
「……ああ」
「その、ヒラヒラしたの、格好いいですね!」
「外套のことか? そりゃ、どうも」
少女は外套を眺めながら、うふふと笑っている。
ハナガラスは子供が苦手だ。得意なはずがない。どうしたもんかな、オヤジ、早く戻ってこないかなと、花鳥は困っていた。
「わたしは、まりって言います」
「そうか」
突然、自己紹介されても、ハナガラスは困ってしまう。何と答えればいいのか。
「お兄さんはなんていうんですか?」
「俺か? 俺は、ハナガラスって呼ばれてる」
「ハナガラス? カラスって、あの真っ黒の?」
「そうだよ」
「花は? 何のお花?」
「花は……まあ、神社に一番多いのは……桜かな」
「桜にカラス……」
「似合わないか?」
「うん」
まりは素直にうなずく。まあ、子供というのはそういうものだ。
「だから、ハナガラスって呼ばれてんだろうな」
花鳥はそう言って自嘲気味に笑うが、まりは首をかしげていた。
「それ、美味しいですか?」
「美味いかって……これか?」
花鳥が茶碗を見せると、少女はうんうんとうなずいた。
もう、話題は名前ではなく、花鳥の食事に移っているようだ。
「美味くはねえよ。腹が膨れるだけだ」
「まずくなくてお腹が膨れるのは、いいご飯ですよね!」
「……まあ、そうかもな」
花鳥は神社に居た時も、町に出たばかりの時も、食うや食わずの生活をしていた。それに比べれば、この何でもない茶漬けもありがたい食事だ。
「うん、そうだ。まずくない飯ってのは、ありがたいもんだ」
子供のわりにいいことをいう。菓子でも持ってればやりたいところだが、あいにく、ハナガラスに菓子を持ち歩くような習慣はない。
ハナガラスが食事を再開しようとすると、少女はまだ、花鳥の茶碗をジッと見つめていた。
「……なんだ。お前、腹減ってんのか」
「はい。ちょっと」
少女は、えへへと笑ってお腹を押さえる。
「もうすぐ弁当できるだろ。食えなくなるぞ」
「そうですね。我慢します」
そう言った瞬間に、少女のお腹が、ぐうと鳴った。花鳥は、はあと溜め息をついて、茶碗を卓に置いた。
「……ちょっと待ってろ」
席を立ち、もう一杯、茶漬けを作る。少なめにしておけば、後で食事ができなくなることもないだろう。
「ほら、食え」
ハナガラスが軽めの茶漬けを少女の前に置くと、少女は嬉しそうな顔をしたが、手はつけなかった。
「あの、余分なお金……ないですから」
しっかりした子供だ。しっかりしすぎてて可愛くねえなと、ハナガラスは少しいらつく。
「いいから食え。俺のおごりだ」
「でも……」
「隣りでガキに腹鳴らされてる方が落ち着かねえんだよ。ほら、さっさと食いな」
ハナガラスがギロリと睨むと、さすがに少女も、その迫力に押されて箸を取った。
「じゃ、じゃあ……いただきます!」
少女が茶漬けを食べ始める。さて、茶漬けっていうのは子供が食って美味いもんだったかと思うが、出してしまったものはしょうがない。
少女は大人用の大きな食器にやや苦戦しながらも、器用にお茶漬けを食べていた。
「美味いか?」
「美味しい! 梅干し大好きです!」
「そうか。ゆっくり食いな」
ハナガラスが少女の頭にポンと手を置く。少女は嬉しそうに笑った。
「お? なんだ? 女に酒は奢らなくても、子供に茶漬けは奢るのか」
奥から、握り飯を作り終えた親父が出てきて、花鳥を冷やかした。
「うるせえ。俺じゃなくてお前の奢りだ」
「へっ、何を照れてるんだか。お嬢ちゃん、にぎりめしはここに置いておくからな。まずはそれ、ゆっくり食いな」
「はい、ありがとうございます」
オヤジはそう言うが、少女はあっと言う間に茶漬けを食べ終えると、代金を払ってにぎりめしを大事そうに抱え、親父にお辞儀をしながら言った。
「ありがとうございました! またきます!」
「おう、またおいで」
親父はにこにこと手を振っている。握り飯の値段もずいぶん安かった。そんな適当な商売してるから女房に逃げられるんだと、花鳥は内心で毒づいていた。
すると、少女は花鳥にも頭を下げた。
「ハナガラスのお兄さん! お茶漬けごちそうさまでした!」
「……おう」
花鳥は小さな声で返事をすると、少女はにこりと笑って、店を出ていった。
「可愛いもんだな。あれぐらいの子は」
「そういうもんかい」
「なんだ? 飯まで奢っておいてよ」
「うるさいから食わしただけだ」
「ふうん。ま、おめえも人の親になりゃわかるよ」
「オヤジ、子供なんかいたか?」
「いや、いねえよ」
「なんだよそりゃ」
ハナガラスは縞猫屋を出た後、借りている部屋に帰って少し寝た。借りているのは、ボロボロの一軒屋だ。潰すのにも金がかかるというだけで残っているような家。なら貸してくれ、人がいれば火付けもされにくいだろうと言ったら、二束三文の家賃で貸してくれた。
学生服を脱ぎ、湿った万年床に寝転がる。布団を干した記憶などない。洗濯も適当だ。たまに偉そうな顔で世話を焼きにくる女もいるが、全部追い払っている。どうして、女というのは慣れてくると世話を焼いて偉そうにしたがるのだろうか。ハナガラスは、それが嫌でたまらなかった。飯だって、作ってあげた、なんていう得意気な顔が目の前にあったら、食いにくくて、たまったものではない。それなら、縞猫屋で茶漬けでも食ってる方がまだマシだ。
ハナガラスは布団に寝転がると、そのまま夕方まで寝た。往来の生活音を聞きながら眠る。静かになってきたら起きて動き回る。いつものことだ。
そのままぐっすりと眠り、目を覚ましたのは夕方のことだった。
顔を洗い、学生服を着て学帽をかぶり、外套を羽織る。下駄をつっかけて、家から外に出る。鍵は閉めない。ここがハナガラスの家だと知ってるやつは入ってこないし、入られても取られるようなものもない。
さて、今日は支払いの取り立てがあったかと、ハナガラスは仕事の内容を思い出す。女を買った代金を踏み逃げするとは、バカなことをするやつがいるもんだ。家族に言うぞと脅してやれば、大抵の男は素直に払う。独り身が開き直れば、軽くシメてやるだけだ。
ハナガラスは夜の町を歩き出した。真っ黒な姿が、すぐに溶け込む。




