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第二十一章

 令の部屋の前に座り込んでから、どれくらいの時間が経っただろう。

 眠気で飛び飛びになる意識を、何とかつなぎとめる。

 腕時計を見てみる。時刻は午前3時になろうとしていた。

 ここに座ってから、2時間ほどが経過している。

 別に、何かが起こるという確信があるわけではない。それでも、ここにいなくてはいけないと思うのだ。せめて、陽が昇るまでは。

 コートは着ているが、廊下は冷える。先ほど、コーヒーを大量に飲んだせいもあるだろうか。直巳がトイレに行こうと立ち上がった、その時だった。

 令の部屋の中から、ガシャンという派手な音がした。

「令!」

 直巳が勢いよくドアを開けて、部屋に入る。

 割れた窓ガラス。風になびくカーテン。ベッドから身を起こす令。

 窓の縁に、カラスがとまっていた。大きな大きなカラス。見間違いようもない。令の体から抜け出したカラスだ。

「令! こっちへ!」

「え、ええ!」

 直巳が呼ぶと、令はベッドから転がるように飛び出し、直巳の後ろへと回った。

「――どこまでも、邪魔をする」

 カラスが口を開いた。しわがれた、灼けたような声。ひたすらに不愉快な音。

「男。そこをどけ。我は巫女の命をもらいにきた。邪魔をするようならば、お前の命を一緒にもらうぞ」

 カラスは直巳を睨み、脅すように言う。

 鋭く、大きなくちばし。凶暴な爪。カラスというのは、存外凶悪に出来ている。

 普通の人間ならば、この時点で腰を抜かしているだろう。しかし、直巳は慣れている。異形のものに。自分を脅かしてくる存在に。

 直巳はカラスから目をそらさずに、ポケットから御神刀、「花鳥ノ嘴」を取り出し、カラスに向けながら言った。

「――お前は何者だ。なぜ、令の命を狙う」

 御神刀を向けられたカラスは、不機嫌そうに羽根をばたつかせてから答えた。

「契約だ。花鳥が戻ってくるまで、我がこの地を守る。代償は、その巫女の命だ」

「契約……? 令、そんな契約をしたのか?」

「し、してない! そんな……花鳥さまが、そんなことを……」

 令は直巳の影に隠れながら、必死で首を横に振る。

「本人が、そんな契約はしてないと言っている」

 直巳が言うと、カラスはグワッと、笑うように大きく鳴いた。

「その巫女と契約したわけではないが、すでに命は差し出されている。私は望みどおり、花鳥として、この神社と土地を守った。そして先ほど、花鳥も無事に戻った。願いは叶えたのだから、代償はいただく」

 カラスは自分の羽根に嘴を突っ込むと、ズルリと剣を抜いた。青年が持っており、令が使っていた、あの剣だ。

 カラスは剣を足で掴むと、直巳と巫女に向かって、威嚇するように羽根を広げた。

「さあ、巫女。こちらへ来て、お前の命を差し出せ」

 カラスに言われると、令は震えを押し殺して、カラスに質問をした。

「あの……あなたは……本当に……花鳥様なのですか? あの青年ではなく……あなたが?」

「あいつも私も花鳥だ。お前が仕えていたのは、この私でもある」

「そう……ですか……それならば……花鳥様が、それを望むのなら……」

 ふらふらとカラスの前に出ようとする令を、直巳が手で制する。

「駄目だ。あいつは何かおかしい。勝手に巫女の命を奪おうとする相手が、正しい存在のわけがないだろう。それに、あいつは自分で言った。自分は本物じゃないと」

 直巳は、花鳥ノ嘴を抜くと、カラスに向かって構えた。これならば、普通の武器よりは効果があるだろう。武器があるからと言って、伊武のように戦えるとは思っていないが。

「伊武抜きか……ま、いつも頼りっきりだから……たまにはな……」

 勝てるとは思わないが、逃げるわけにはいかない。逃げて生き延びたとしても、その瞬間から直巳の心は死んでしまうだろう。一生、令の亡霊をひきずることになる。

「アイシャには、甘いって叱られ――ないだろうな。今回は」

 関係の無い人間のために、自らを危険に晒すな。アイシャに言われた言葉だ。

 だが、今回はAの指示であり、アイシャもそれを認めているはずだ。この事件全体も、たった今、この状況ですらも。

「我が偽りの花鳥だとしても、契約は契約。邪魔をするな――人間!」

 短刀を向け、逃げる様子もない直巳を、カラスは睨み付けた。まずは、直巳から殺そうと考えている――殺意というのは伝わるものだ。特に、殺意を向けられた本人には。

 直巳がちらりと、後ろのドアを見る。なんとか令を逃がし、そのまま神社を抜け出して欲しい。それまでの時間稼ぎを、自分ができるか――。

 カラスが羽根をばたつかせた。今にもとびかかろうとしてくる。

 直巳が短刀を構える。まず、左腕一本はくれてやろう。

 そう、覚悟した時。

「待って!」

 バン、と。部屋のドアが開け放たれて、菜子が入ってきた。

 そして、その後から、もう1人。

「この神社には、何かあると思ってはいましたが……ついに、私も見ることができました」

 夏恵だった。いつの間にか、羽奈美家に戻ってきているようだった。

 菜子はカラスを真っ直ぐに見つめながら、直巳の前に出た。

「話は聞いたよ! 花鳥様! 事情はよくわからないけど、あなたは私達を助けてくれた! でも、お姉ちゃんを殺すのは駄目! 巫女様だもん! だから!」

 菜子は、もう一歩カラスに近付いて、両手を広げた。

「私を代わりに!」

「菜子! あなた、何を!」

 令が菜子の腕を引っ張るが、菜子は微動だにしない。

 すると、今度は夏恵が菜子の横に立った。

「どうせ老い先短い命だ。虫の良い話だとは思うが、私ので勘弁してはくれないか。きっと、神隠しにあった姉様に関係しているんだろう。私が一番、姉様に近い。孫達は関係ない」

 夏恵が覚悟を決めたように言い、カラスに頭を下げた。

「おばあちゃん、駄目だよ! なら……えっと……半分! いや、三等分! あ、でもおばあちゃんは少なめにして! 死んじゃうから!」

 菜子が妙なことを言い出すが、本人としては良い案のつもりらしい。

 カラスはしばらく話を聞いていたが、最後には首を横に振った。

「駄目だ。我がもらうのは、その巫女の命――そういう契約だ。邪魔をすれば殺すぞ」

 カラスはどうしても令の命を獲るのだという。菜子でも夏恵でもなく、令の命を。

 このままカラスが令を襲えば、菜子も夏恵も抵抗するだろう。そうすれば、カラスは2人のことも躊躇なく殺すだろう。直巳の力でそれを止められるとも思えない。

 直巳は状況を打破するために、辺りを見回す。令を、菜子を、夏恵を、カラスを、部屋を。

 どうすればいい――考えろ――何かあるはずだ――考えろ――。

 その時、直巳は令が黒い羽根を、大事そうに握りしめていることに気づいた。

「令……あのカラスを、これから祀る気はあるか? 花鳥と同じように」

 直巳が小声でたずねると、令はこくんとうなずいた。

「そのつもりでした……その、私が勝手にやろうとしてただけ、ですけど」

「そうか……なら、俺に合わせてくれ」

 直巳は深呼吸した後、カラスに見えるように短刀を鞘に収めた。

 そして、カラスに向かって言う。

「花鳥――偽りでも、あなたは花鳥だ。この神社を、巫女を守ってきた――そうだな?」

「そうだ。間違いはない」

「あなたが神社を守ってきたように、この巫女は、あなたを守ってきた。あなたが、あの青年が花鳥だと信じて、必死で守り、仕えてきた。それに嘘は無い――そうだよね?」

「え、ええ……そうです。私の花鳥様は、あの青年――それにきっと、あなたも」

 令がそう答えたのを聞くと、直巳はもう1度、カラスに話しかけた。

「聞いただろう? この巫女は、本物の花鳥だけじゃなく、あなたにも仕えていた。これまでも、そしてこれからもだ――そうだよな? 令」

 直巳が目配せすると、令はその真意に気づいたようで、しっかりとうなずいた。

「はい――明日の花鳥祭から、あなた様もお祀りしようと、そう思っていました」

 令がカラスに向かって、黒い羽根を見せる。先ほど、カラスが逃げていく時に落としたものを、直巳が持たせたのだ。令は、それを大事に持っていた。愛する花鳥の落とし物を、粗末にするわけがない。

「ほう――だから、なんだというのだ?」

 カラスが興味を示してきた。これならばいける――令もきっと、付いてきてくれるはずだ。

「彼女は花鳥の巫女であり、あなたの巫女だということだ。自分の巫女を殺すのか? これから、花鳥とは別に、あなたを祀ろうという巫女を」

 直巳の話を聞くと、カラスは愉快そうにグワッと鳴いた。

「――なるほど。面白いことを言う。巫女よ、お前は我の巫女になるのか?」

 令は直巳の前に出ると、黒い羽根を胸に抱きながら、はっきりと言った。

「はい。なります。花鳥様だけではなく、あの黒い方と、そしてあなたも一緒に、この神社でお祀りします。誰に何と言われようと、誰が反対しようと、私がそうします」

 令の言葉を聞いたカラスは、また、グワッと鳴いた。バカにしたような笑い声だった。

「いいだろう。ならば、我がこの地を守ってきた倍の年月、我を祀れ。それで、お前の命の代わりとしてやろう」

「――はい。お約束します。必ず、そうします」

「現当主として、私もお約束いたします。お社を建て、あなたをお祀りいたします」

 令と夏恵がそう言って頭を下げる。菜子も、見よう見まねで頭を下げた。

 カラスは、足で掴んでいた剣を、令の足元に放り投げた。

「それが我の神体だ。よく祀れよ――新たな神殿が出来るのなら、まあよいだろう。命拾いしたな、巫女よ――その男の小賢しさに感謝するといい――我を言いくるめるとは、よくやる」

 そう言い残して、カラスは窓から飛び去って行った。

 大きな羽音が、徐々に遠ざかっていく。

 誰も、その姿を追おうともしなかった。全員、その場に立ち尽くしている。

 カラスの羽音が聞こえなくなり、それからまた、しばらく経った後。

 ようやく、直巳が口を開いた。

「――これで、全部終わったのか」

 ポツリと。誰に言うでもなくつぶやいた。

「……終わりでしょう。長い長い話が――花鳥奇譚が、ようやく終わったんですよ」

 夏恵も、独り言のように言った――花鳥奇譚と。それは一体、何なのだろうか。この一連の不可思議な事件をさすのだろうとは思うが、具体的にはわからない。そして、夏恵もそれ以上のことを話すつもりもなさそうだった。だから、直巳も聞かなかった。

 それからすぐに、玄関から賑やかな声が聞こえてきた。

 今日は祭りだ。みんな、暗い内から準備を始めるつもりなのだろう。

 その賑やかな声を。人々が戻ってきたのがわかった時、直巳は感覚的に思った。

 ああ、ようやく終わったんだ――長い夜が明けたんだな、と。

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