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第二十章

「あの……お姉ちゃん……大丈夫……ですよね?」

 隠れていた菜子が近寄ってきて、直巳に抱えられている令を覗き込む。

「少し眠っているだけだよ。怪我もないし、大丈夫」

「――よかったぁ」

 菜子が、ふーっと息を吐き、その場にへたりこむ。

「お姉ちゃん、まるで別人みたいになっちゃって……怖かったです……でも、これで終わったんですよね? 私達、勝ったんですよね?」

「ああ、そうだよ。花鳥神社は勝った。これでもう、心配は――」

 その瞬間、伊武がドサッと地面に座り込んだ。自分の体を両腕で抱え、震えている。

「伊武!? どうしたの!? まだ、怪我が残ってるの!?」

「違う……怪我じゃ……ない……」

 伊武は、令が元に戻った後、すぐにアブエルと、直巳が令から吸収した魔力を使い、超回復能力で怪我を治している。

「怪我じゃないなら、一体……」

 伊武は苦しそうな表情で立ち上がると、空を指差して言った。

「花鳥……が……きっと……本物の花鳥が……きた……天使禁制……これが……本物……」

 伊武はアブエルの能力を切り、その姿も隠した。しかし、それでも言葉にできない強い苦しみが体を襲っていた。隠しても無駄。天使は間違いなく、そこにいるのだから。

「本物の花鳥……?」

 直巳は腕時計を見る。丁度、24時を回っていた。

 日が変わり。今日が祭りの当日。

「なんだ……どういうことだ……」

 花鳥祭の日に、強力な花鳥の気配が突然現われた。伊武の苦しみ方は、神社に来た時とは比べものにならない。

 令は言っていた。首筋に花片の痣が出て、80日後に完全な形になると。それは初めて令と会った日から数えて5日後――今日だ。痣の完成と共に、令も花鳥の巫女として完成したということか。そして、巫女が完成したから――花鳥が来たというのか。本物の花鳥が。

「なら……先ほどの青年やカラスは……花鳥じゃなかったというのか……?」

 今、この瞬間に現われて、強烈な天使禁制を発現させたのが、本物の花鳥だと言うならば、今の今まで、この神社に花鳥はいなかったというのか? それならば、先ほどの青年やカラスは一体何者なのか? 天使禁制の力はなんだったのか?

 そして直巳は、アキコの言葉を思い出す。「禁忌・花鳥血花式は発動しない」と言っていた。発動しない理由は、花鳥がいなかったから――いないものは呼べない。そういうことなのか。

「駄目……かな……椿君……私……神社……出る……ね……このままだと……アブエル……もろとも……押しつぶされそう……」

 直巳は、こんなに弱っている伊武を見るのは初めてだった。どんな傷を負っても、表情一つ変えない伊武が、本気で苦しがっている。直巳も、体内に溜め込んだ魔力が反応し、少し息苦しさを感じている。天使そのものではないため、伊武ほどではないが。

「わかった。戦いはもう終わったから、先に家に帰っててくれ」

「椿君……は……?」

「俺は祭りを見届けてからにするよ。それが、そもそものAの指示だから」

「わかっ……た……ごめん……ね……先に……帰る……ね……」

 伊武はふらつきながら、羽奈美家近くの裏口に向かって歩いていく。

「伊武さん! 私が送りますよ! さあ、捕まってください」

「ごめん……助かる……」

 伊武と菜子はかなり身長差があるため、菜子が脇の下に入って必死で支える。ちょうど、菜子の頭に伊武の胸がのしかかる。

「重い! 重いですよ伊武さん! おっぱいが乗ってますよ!」

 菜子は必死で頭で伊武の胸を押し返しながら、必死で耐えていた。

「椿さんはお姉ちゃんをお願いします! おばあちゃん達には、私が連絡しておきます!」

「わかった。伊武のこと、頼むよ」

「はい! さあ、いきますよー、伊武さん! しっかり歩いてくださいねー!」

 菜子は伊武をひきずるようにして、裏口の方へと向かっていった。

 直巳は、菜子が伊武に潰されないことを確認すると、令を抱えて羽奈美家へと向かった。



 羽奈美家へ到着した直巳は、2階にある令の部屋(見覚えのある制服がかかっていた)を見つけ、部屋にあるベッドへと寝かせた。巫女服のままだが、無理に着替えさせる必要もないだろう。

 令は穏やかに眠っており、うなされている様子も、妙な汗をかいているわけでもなかった。

 一応、軽く頬を叩いてみると、小さな声で反応した。どうやら、このまま目覚めないわけでもないだろう。

 直巳は電気を消し、令の部屋を出た。そのまま誰もいない1階へ行き、キッチンで水を飲み、居間で休むことにした。

 やたらと分厚い座布団に座り、足を伸ばす。部屋に暖房はついていなかったが、まだ体が興奮しているのか、寒さは感じなかった。

 一息ついたところで、携帯に菜子からの着信があったので話をする。

 伊武は神社から離れると、嘘のように元気になったという。とはいえ、神社には戻りたくないので、このまま駅前のビジネスホテルに泊まり、明日の朝に帰るという。

 そして、菜子は夏恵さんにも連絡し、もう戻っても大丈夫だと伝えると、心底喜んでいたという。こちらも、もう遅いので、全員、明日の朝一番で神社に戻るそうだ。

「椿さんはどうするんですかー?」

「俺は神社に泊まるよ。まだ、部屋もあるしね」

「わかりましたー。私はこれから戻りますから、お姉ちゃんのことは任せてください」

「もう遅いから、タクシー使いなよ」

「もちろんですよー。もう、いつものおじさんに来てもらってるところですー」

 いつものおじさんというのは、直巳達が花鳥神社に来た時に乗せてもらったタクシーのことだろうか。まあ、それなら安全だろう。

 直巳は菜子との会話を終えて携帯をしまうと、再びキッチンへと向かった。

 人の家なので申し訳ないと思ったが、棚を探し、インスタントコーヒーと砂糖を見つける。

 ポットのお湯を使い、たっぷりとコーヒーを煎れ、これまたたっぷりと砂糖を入れた。それを2杯、一気に流し込む。

 体は疲れているが、これでもう少しだけ持つだろう。

 そのまま、暗い居間で、ジッと時が経つのを待っていた。

 1時間ほど経っただろうか。玄関が開き、誰かが入ってきた。

 直巳がそっと玄関を見ると、そこには菜子がいた。

「あれ? 直巳さん? まだ、こっちにいたんですか?」

 巫女服のままの菜子が、少し驚いたような顔でたずねる。

「ああ。菜子が戻ってくるまではいようと思ってね」

「そうでしたか。お姉ちゃんは?」

「部屋のベッドで寝かせてるよ。制服がかかってたから、あれが令の部屋だと思う」

「当たりですよー。ふふっ……椿さん、お姉ちゃんの部屋に入った初めての男性ですよー」

「寝てるのを運び込んだだけだから、ノーカンだよ。ほら、菜子も疲れただろ? 明日はお祭りなんだし、早く寝た方がいい」

「はーい。あ、鍵閉めなくていいですよ。どうせ、誰も来ませんし」

「ああ、わかった。それじゃおやすみ」

「おやすみなさーい」

 菜子は大きなあくびをしながら、2階へと上がっていった。

 直巳は手を振って見送り、菜子が部屋へ入ったのを確認すると、自分も2階へと上がった。

 まだ、部屋に帰るわけにはいかない。

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