第一章
「また、連絡の取れなくなった魔術商が増えました。これで12件目です」
派手な眼帯を付けた女執事、高宮Aは、そう言って、主である高宮アイシャに資料を見せる。そこには、連絡の取れなくなった魔術商がリスト化されていた。
高宮邸、アイシャの部屋。古い洋館のこの一室に、アイシャとAはいる。冬の夜、この部屋には電灯が付き、エアコンも効いている。ランプと暖炉でもあれば雰囲気も出たのだろうが、本当にランプと暖炉を使っていたアイシャに取っては、そんなもの古くて面倒臭いだけだ。電気もガスも便利なものは使えばいいと、この3000歳の少女は思っている。
アイシャは資料をAに持たせたまま一瞥し、軽く手を振った。Aは資料を引っ込める。
「まだ増えそうね。魔術商でこれなら、魔術師自体も減っているのかしら」
「恐らくは。我々の知る限りでこれですから、現状でもかなりの数になるかと」
「天木も商売にならないって、悲鳴をあげていたわ」
天木。アイシャ達が懇意にしている魔術商、天木 来栖のことだ。彼は魔術商なので、アイシャ達よりも頻繁に、他の魔術商と取引きをしている。
「問題は、どうして減っているかってことなんだけど。やっぱり、あの噂は本当なの?」
「ほぼ、間違いないでしょう」
Aは一度、言葉を区切ると、アイシャに向かってはっきりと伝えた。
「天使教会が異端への攻勢を強めています」
Aの憂鬱な報告を聞き、アイシャは深い溜め息をついた。
天使教会の言う異端とは、魔術商、魔術師、そして、自分達に従わない者達がいれば、適宜使われる。ようするに、天使教会の敵であれば異端認定されてしまう。
「異端狩りに力でも入れはじめたのかしらね」
「ええ。これまで、まったく目を付けられていなかった者も、いきなりやられたとか」
表向き、天使教会に敵はいない。天使教会は一人の魔術師も処罰したことがないと言い張っている。理由は簡単だ。天使教会は魔術も魔術師の存在も認めていない。だから、世界に魔術師などは存在しない。いないものは処罰できない、ということだ。こんなジョークのようなことを、彼らは真面目に言っている。
これが表向きの話だ。表があれば裏がある。裏側は非常にシンプルだ。魔術師がいたら、いないことにすればいい。手段は問わない。火がついていれば消せばいい。魔術師が生きていれば殺せばいい。
これまでも、数多くの魔術師が異端として天使教会に処分されてきた。だが、見つけ次第全部というわけではない。さすがの天使教会も、すべての魔術師をまとめて相手にするのは難しいし、目立ちすぎてしまう。だから、とりあえず厄介な魔術師や、目立つ組織がいれば処分する、というスタンスだった――はずだった。
「ふうん……どうして、ここで狩りに力を入れてきたのかしらね。妙なことでも企んでなきゃいいけど
アイシャは手元のティーカップを手に取り、口に運んだ。冷めた紅茶に顔をしかめる。
「煎れ直しますか?」
Aがたずねると、アイシャは手で制した。
「終わったらでいいわ。話を進めてちょうだい。報告で終わりじゃないでしょう?」
「はい。では、私からの提案を」
Aはそういうと、新たな資料を手に取り、話をはじめた。
「天使教会の攻勢におびえて、廃業したがっている魔術商が海外に何人かいます。在庫をまとめて買ってくれるのなら、捨て値でいいと」
「ゴミばっかじゃないでしょうね」
「特別に優れた魔術具は持っていませんが、大量の魔石と、天使遺骸もあるそうです」
天使遺骸。降臨した天使の両腕で、魔力の塊。魔術師なら誰でも欲しがり、素人が現金で購入しようとすれば、数十億を吹っかけられることもある、貴重なものだ。
「へえ……天使遺骸だけでも欲しいわね。抑えてあるの?」
「はい。天木様を通じて抑えてあります。我々が買うのなら、そっくりそのまま、こちらに流してもらえるということです。いかがいたしますか?」
「買うわ。そう伝えてちょうだい」
「かしこまりました。ただ、天木様から、条件を出されていまして」
「条件? 手数料でも寄越せって?」
「いえ、手数料を取らないかわりに、我々に同行して欲しいそうです」
「海外に? 嫌よ。どうせ、天木の護衛でもしろって言うんでしょ」
「それもありますが、もう1つ。異端狩りへの対策に協力して欲しいと」
「対策? 何しろって言うの?」
「魔術商と魔術師達の再編、今後の対応方法について知恵を貸して欲しいということです」
「なるほど……天木も少しは考えてるじゃない」
「ええ。放っておけば、魔術商も魔術師も弱っていく一方ですから。そこに歯止めをかけたいのでしょう」
「そうね。天使教会への対抗勢力は多い方がいいわ。数も多様性もね」
「では、お受けになりますか?」
「受けましょう。ただ、あまり長くは付き合えないと、強く言っておいて」
「かしこまりました。そのように手配いたします」
「なるべく早くね。行くのは私とあなただけ。後の段取りはあなたに任せるわ」
「かしこまりました。それから、別件でご相談が」
「何?」
Aはアイシャに古ぼけた木箱を差し出した。
「これが、騒ぎはじめました」
アイシャは木箱から不快な気配を感じた。Aも同じく――いや、アイシャよりも不快に感じているようで、持っているのも嫌な様子だった。
アイシャは木箱を見つめ、それが何かを理解すると、口の端をあげて笑った。
「ああ――もう、そんな時期なのね」
「こちらは、お返しするということでよろしいですか?」
「Aに任せるわ。あなたの方が詳しいでしょうし」
「かしこまりました。では、こちらも手配いたします」
Aは頭を下げると、顔をしかめながら、木箱を離れたチェストの上に置いた。
木箱には、「花鳥神社御神体」と書いてあった。
同じころ。椿直巳は、姉である、椿つばめの部屋にいた。
つばめは天使降臨に出会い、足が石膏化している。以前手に入れた魔術具、「双頭の孔雀」により、急激な症状の進行は食い止められているものの、根本的な解決にはなっていない。
直巳は、つばめの足についた魔術具から、魔力を抜こうとしていた。これをやっておかないと、魔術具が効果を発揮しなくなってしまう。器に溜まった水は抜く、ということだ。
直巳が、左手で魔術具に触れる。「神秘呼吸」という能力により、直巳は左手で魔力を吸い取り、右手で魔力を与えることができる。
直巳は魔術具に触れると、溜まっていた魔力量の多さに驚いた。恐らく、急激な症状の進行があったのだろう。それを魔術具が食い止めたのだ。もし、魔術具を付けていなければ、つばめは以前のように、腰まで石膏化していただろう。
「なおくん……どうしたの?」
驚きで、思わず動きを止めてしまった弟に向かって、つばめが心配そうにたずねる。
直巳は慌てて表情を取り繕い、笑顔を浮かべた。
「いや、姉さんのパンツが見えて気まずいなって」
「ちょ……もう! お姉ちゃんのパンツなんか見たって面白くないでしょう?」
その質問はシスコンの直巳にとって厳しいものだった。どうしても見たいというわけではない。しかし、本当に見たくないか? 心から見たくないと言えるのか? これはきっと、シスコンが真っ正面から向き合ってはいけない問題なのだろう。
「え……ああ、うん。そ、そうだよ! 面白くないよ!」
「……なおくん? お姉ちゃん、冗談で言ったのよ?」
「うん、これでよし。魔力も抜けたかな! じゃあ、また見に来るから。おやすみ」
「なおくん?」
心配そうな姉の声を背に、直巳はそそくさと部屋を出る。
後ろでに部屋の扉を閉めると、直巳は、ほっと安堵の溜め息をついた。
姉はまだ、余談を許さない状況にある。それでも、とりあえずは姉を心配させずに済んだ。今度からは、魔術具に触れても取り乱さないように注意しなければならない。
「つばめの治療は終わったの?」
廊下の向こう側から声をかけられる。高宮アイシャだった。後ろには、執事である高宮Aもいる。
「ああ、終わったよ」
「そう。どうだった? 何か、異変は――」
そう問われると、直巳はアイシャの方へと近寄っていった。ここで返事をすれば、扉越しにつばめに聞かれてしまうかもしれない。
アイシャのそばへ行き、少し身を屈める。アイシャは背が低いので、こうしないと小さな声での会話ができない。
「急激な症状進行があったみたいだ。魔術具に、かなりの魔力が溜まっていた」
「なるほど。魔術具があってよかった、と思うべきね」
「ああ……だけど、改めて痛感したよ……ちゃんと、姉さんを治さないといけない」
直巳が苦しげに言うと、アイシャは直巳の手にそっと触れた。握らない。触れるだけ。
「直巳。つばめの部屋に、本があるのを見た?」
「本……? そういえば……」
アイシャに言われて、直巳は姉の部屋の様子を思い返す。本は――たしかにあった。それもかなりの数が。本棚から溢れた本が、ベッドサイドに、床に積んであった。端っこに寄せてあったので目立たなかったが、たしかにあった。
「つばめ、前はそこまでの読書家ではなかったようね。でも、外出もできない。人にも会えない。だから、ずっと本を読んでいるのよ。あの本の数は、つばめの過ごした孤独の墓標」
「そんな言い方!」
「読書はいいことだわ。時がどれだけ経って、本の形が変わってもね。でも、あなたはこのままつばめを部屋に閉じ込めたまま、学者にしたいの?」
直巳は自分に触れていたアイシャの手を掴み、彼女の顔の前に持ってきた。
「アイシャ……何が言いたい」
直巳の乱暴な行動にも、アイシャは落ち着いていた。直巳の手を、もう片方の手で包む。
「直巳、あなたの言うとおりなのよ。今は時間稼ぎをしているだけ。何も解決はしていないわ。つばめはゆっくりと、石膏化していっているの。どこかで対処が遅れれば、それまでなのよ」
アイシャは優しく、慰めるような声で、つらいことを言う。
「ねえ直巳。つばめのこと、治してあげたいわよね? 他の女性と同じように、綺麗な服を着て外出して、友達や恋人と楽しい時を過ごすような生活に戻してあげたいわよね?」
「当たり前だ! だから、俺はそのために!」
直巳が声を荒げると、アイシャは直巳の手を振り払い、彼の顔の前に指を2本立てた。
「つばめを治す方法は2つあるわ。まず1つ目。ソロモンの悪魔をすべて復活させて、天使の奇跡を無理矢理にかき消す」
「……それは前にも聞いた。すぐには実現しないだろうけど、確実なんだよな?」
「約束しましょう。大丈夫よね? A」
「はい。全員集まれば、という話ですが。天使の奇跡を否定する――聖人を凡俗に戻すがごとき難題ですが、きっとやり遂げてみせるでしょう」
高宮Aこと、悪魔アスタロトがうなずく。彼女が言うのであれば、そうなのだろう。悪魔は人を陥れるが、嘘はつかない。
「それから、もう1つは……世界を百年前に巻き戻すことよ」
「巻き戻す?」
「世界から天使の力そのものを消し去ることができれば、嫌でも治るでしょう?」
「世界から病原菌が消えれば病気がなくなる、みたいな話だな」
「そうよ。でも、実際に百年前はなかったのだから――ま、そっちの方が難しいから、悪魔を復活させる方が手っ取り早いわね。というわけで、一つお話があるの。A、直巳に話を」
アイシャに言われると、Aが一歩前に出て、直巳に先ほどの話をした。天使教会が攻勢を強めていること。廃業する魔術商から、魔術具を引き取りに行くこと。天使教会に対しての防衛線の構築を手伝いに行くこと。そのために、数日間、海外へと旅立つこと。
「魔力を早く、多く集めれば、悪魔の復活も早まるわ。だから、行ってくるわね」
「海外か……わかった。でも、天使教会の攻勢っていうのは気になるね」
「そうね。だから、偵察の意味も込めて行ってくるわ。少し家を空けるけど、行くのは私とAだけだから、家のことを心配する必要はないわ」
「わかった。留守中に何かあれば、こっちで何とかするよ」
直巳がそう言うと、Aが待ってましたとばかりに笑顔で口を開いた。
「では直巳様。出立前に1つお願いしたいことがありまして」
「え、留守中じゃなくて?」
「はい。明日なのですが、私、渡航準備のために多忙でございまして」
「まあ・・・・・・あんまり変なことじゃなければいいけど」
「簡単なことですよ。明日、高宮邸にお客人をお招きする予定があるのですが、そのお迎えをお願いできないでしょうか」
「客の迎え? それ……なんか魔術師とか、変な人じゃないよね」
Aの客。それも高宮邸に直接迎えるほどのだ。悪い予感しかしない。せめて人間であることを祈るばかりだ。
直巳が露骨に嫌な顔をすると、Aは、「大丈夫ですよ」とさわやかに笑った。
「大丈夫ですよ。直巳様と同じぐらいの年齢の方です」
「そうなの? ……まあ、いいけど」
「それはよかった。では、詳細は後ほどメールでお送りいたしますので」
アイシャとAと話をした翌日のこと。授業中にAからメールが届いた。
そこには、例の客人について、待ち合わせ場所と時間の指定があった。
時間は午後5時。場所は、ここから少し離れた大きな駅の前。
相手の名前は、「羽奈美 令」というらしい。後は、相手の携帯電話の番号が記載されているだけ。容姿の特徴などは書いてない。まあ、携帯の番号があれば会えるだろうが、名前だけでは男か女かもわからない。令ならば、男女どちらの可能性もある。
とにかく、Aの客人というのが不安だ。どうせろくでもないに決まっている。Aに似ているか、よくて天木の女版だと、直巳は腹をくくった。
学校が終わり、直巳は離れた席にいる、「伊武希衣」に声をかける。
伊武は直巳やアイシャと一緒に天使狩りをしている仲間で、今は椿家で一緒に暮らしている。対天使戦に強く、天使狩りとして、これまで無数の天使遺骸を狩ってきた。
まあ、身長180センチ以上(190に近いが本人は180以上としか言わない)で筋肉の塊なので、人間相手でも、当然強い。
そして何より、性格がちょっとアレだ。他人と交流しようとせず、直巳にしか興味がない。良く言えば一途、真っ直ぐ。直巳に言わないで、ずっと身辺警護をしていたり、直巳の邪魔をする相手がいれば、物理的に容赦なく潰すぐらいに。魔力を使った超回復能力により、かなりの重傷でも治せるので、戦いの時は笑いながら相討ちをする。これで大体、どんな人間かわかってもらえると思う。
「――そういうわけで、俺はAの客人を迎えに行くから、先に帰ってて」
直巳が言うと、伊武はそわそわしながら、ボソボソとした声で言った。
「あの……私も……一緒に行こう……か? 何かあると……いけない……し……」
「うーん……いや、俺一人でいいよ。迎えに行くだけだし。伊武、今日は夕食当番だろ?」
たしかに、伊武がいれば大抵のトラブルは乗り越えられるが、それ以上に伊武がトラブルを引き起こす可能性が高い。もし、万が一、相手が直巳に失礼な態度でも取ろうものなら、相手は二度と失礼な態度も、失礼じゃない態度も取れなくなる。
「……わかった……何かあったら……すぐ……連絡して……ね?」
「ああ、そうするよ」
「うん……ちなみに……待ち合わせ場所と時間は……?」
あ、わかってないな。付いてくる気だなと、直巳はすぐにわかった。
「内緒」
「……わかった」
アイシャ曰く、直巳の忠犬であり狂犬である伊武は、しゅんとした表情で返事をした。