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第十七章

 天使の力を得た兵隊達は強い。まさに、天使の代行人とでも言うべき強さだった。

 普通の人間では、どんな銃を持っていたとしても倒せないだろうし、どんな防具をつけていても、その刃からは逃れられない。

 だが、所詮は代行人だ。天使そのものがついている伊武の相手にはならない。

「……歌え……アブエル!」

 伊武の声に反応して、アブエルがうめき声を上げる。広範囲を強烈な魔力の衝撃波が襲う。 兵隊もアキコも、必死で身を守り、衝撃波に耐える。しかし、それでも耳や鼻から血を流し、倒れてしまうものもいた。

 伊武がアブエルを解放して、たった数分で天使教会は壊滅寸前だった。

 先ほどまで沸騰していた天使教会の士気は、見るも無惨に下がっている。

 伊武がいきなり飛ばしているのは、相手が天使教会だから、というだけではない。伊武は、アキコが直巳を傷つけている場面を見ていた。それが一番の理由だ。

 たとえアキコが、これまでの人生で善行だけを積み、今後も直巳を傷つけたことを反省し、自分を犠牲にして人のためだけに生きるとしても。彼女のおかげで世界平和がもたらされることが確定していたとしても――直巳を傷つけたので殺す。

 アキコは、先ほどまでの上機嫌はどこへいったのか、体中から汗を流し、頭や顔をかきむしっている。

「クソ……クソ! どうしてこんなバケモノが……調べても出てこなかったぞ! あんなにたくさん調べて……ずっと調べて……こんなやつが……どうして!」

 アキコは爪をかみ始める。あまりの力に、爪がビシッと割れた。

「天使様……どうして天使様は私を……そんな……私はここで……」

 アキコはぶつぶつと呟いていたが、持っていた小瓶が目に入ると、ジッと見つめ始めた。

「……そうか……そういう……そういうことなのですね! 信仰が! 祈りが足りないから私は死ぬ! 信仰が! 祈りが足りていれば――私は死なない!」

 アキコは小瓶を開けると、中身の薬を手の平にぶちまけて、一気に口に入れた。

「私は天使になります!」

 アキコの喉が、ごくごくと何度か動く。

 そして、残った粒を兵隊達に渡した。

「あなた達も! 残りすべてを飲みなさい! 死にたくなければ!」

「は……はいっ!」

 兵隊達はアキコの言葉に押され、残っていた粒を、生き残った人間でわけて、すべて飲み干してしまった。

「……バカ……が……」

 伊武は、ぼそりと呟くと、フリアエを構え直した。

 あの薬の中身は、大体予想がついている。飲むと天使の力が身につく薬。最初は一粒しか飲まなかった。追い詰められると、止む無くすべてを飲んだ――本来、そんなに飲んではいけないのだ。

 なぜ、大量に飲んではいけないのか――理由は簡単だ。

「う――うあがああぐあああ!!」

 兵隊の1人が絶叫して倒れ込んだ。続いて、もう1人。

 顔に蛇の鱗が生えてくる、手が石化する。全身から植物が生えている。体が液状化し、完全に姿を消してしまったものまでいた。症状は様々だが、それが何なのか、伊武にはわかっている。

「魔力暴走……」

 魔力暴走――人間が自分の許容量を超える魔力を帯びてしまった時に発症する。症状は決まっておらず、基本的に治療方法はない。運良く魔力が収まるのを待つぐらいだ。

 一つ、確実な治療方法があるとすれば、直巳に魔力を吸収してもらうことだけだ。

「ぐはっ……はあああっっ!」

 アキコは体中から淡い光を発し、魔力暴走に苦しんでいた。およそ、戦える状態ではない。

 あの薬の正体。飲めば天使の力を得て、飲み過ぎれば魔力暴走を起こす。ようするに魔力の塊なのだろう。そして、天使教会が扱う魔力の塊とは。

「……天使遺骸」

 恐らく、あの薬には天使遺骸が混ざっている。降臨した天使の両腕。天使の遺骸。天使教会がその使用を認めるわけがない――認めてはいないが、知らないとは言っていない。

 天使のことを一番知っているのは、天使教会だ。過去に、そう言っている人物がいた。天使の力を秘密裏に研究し、戦いに使っているのだろう。この薬も、その一つに違いない。

 なんらかの加工はしているのだろうが、それでも、ただの人間が天使遺骸を体に取り込んで無事なはずがない。

 最後の兵隊が倒れる。これで、残ったのはアキコだけだ。

 終わったか――面倒だから、早めにとどめを刺しておこうと思った、その時だった。

「天使……様ー……はー……私をー……愛してるー……白い……はーねを……うーつくしい……ひかーりが……」

 アキコは小さな声で歌っていた。小さい子供のような、楽しそうな歌声。

 そのただならぬ様子を見て、さすがの伊武も背筋に悪寒が走る。

「……ちっ」

 伊武がアキコの首を切り落とそうと振りかぶった瞬間。

「すーばらーしい……きーせき――みんな、立ちなさい」

 アキコが穏やかな声で言うと、魔力暴走で倒れていた兵隊達がふらりと立ち上がった。

「……良い子です……天使様も、きっとお喜びですよ」

 まるで別人のように穏やかな声だった。

 そして、直巳の方を見てから、令達に向き直った。

「――あなた達は、あの椿を殺しなさい。私は天使付きと巫女、それに悪霊を殺します」

 そういうと、兵隊達は直巳達の方へ、よろけながら走っていった。魔力強化をしているような速さはない。ただ、ふらふらと一直線に直巳を目指して走っていった。

「……行かせない!」

 伊武が1人の兵隊の背中に斬りかかる――一瞬ふらつくが、傷はすぐに治り、また直巳の方へと走っていった。

 まるでゾンビ――しかも、再生能力まである。体力も無尽蔵だろう。直巳がいつまでも逃げ切れるとは思えない。

 直巳を守る――当たり前だ。しかし、後ろにいる令達はどうなる。この真っ黒な、人間ではない青年が令を守り切れるものだろうか。それでは、アキコの思うつぼだ。

 どうすれば――どうすればいいか――。

「伊武さん! 椿さんを守ってください!」

 悩む伊武に、令がきっぱりと言い放った。

「……あなた……達は?」

 伊武がたずねると、令は無言で震えている菜子を抱きしめながら、笑顔で言った。

「私には、花鳥様がついていますから――ご心配なく」

 そういって、学生服の青年を見た。青年は、真っ直ぐにアキコを睨み付けていた。

 伊武は青年を見る。こちらを見ようともしない。大丈夫かと、たずねることもできない。

「――わかった。倒したら、すぐ戻るから」

 そういうと、伊武は直巳を守るために、令達の元を離れた。

 伊武は離れ際、アキコを横目で睨む。アキコは、「どうぞ」とでも言いたげに微笑んだ。

「さて、一番の邪魔者がいなくなりました。ま、あの子は後でもいいでしょう」

 アキコは短剣を青年に向ける。

「まずは悪霊退治をしなくてはね」

 アキコが短剣を青年に向けた。

 その瞬間、カラス達がアキコを襲うが、近付くだけで消えてしまった。アキコのまとう天使の力が強すぎて、身を以て相殺するだけで精一杯だったのだ。

「――少し、弱まりましたけど――まあ、少しですから」

 アキコの短剣が、淡い光を放つ。膨大な魔力が、体から短剣に伝わっていた。

「――消えろ悪霊!」

 アキコが斬りかかる。青年は剣で受けて――苦しんだ表情を見せた。

「花鳥様! ど、どうして!? 当たってもいないのに!」

 令が心配して叫ぶと、アキコは笑った。

「カラスを見たでしょう? その青年はあれと同じ。肉体のない、反天使の力の塊です。だから、強力な天使の力を持つ私が近付くだけで、体が消滅していく――こんな風にね!」

 苦しんで膝をつく青年の背中に、アキコが短剣を突き立てる。

「――」

 青年は声をあげない。ただ、歯を食いしばって耐えていた。だが、肩口から黒い霧のようなものが漏れている。まるで、血煙のようだった。

「血も出ませんか。気味の悪い」

 アキコは、立ち上がろうとした青年の肩、傷口を蹴って転ばせる。

「天使の威光の前に、這いつくばりなさい――悪霊」

 青年は飛び起きると、アキコに向かって、無言で剣を構えた。

 そして斬りかかるが、動きが鈍い。魔力強化を使っているアキコにかわされる。

「弱い――いや、私が強いのか!」

 アキコが短剣を振るって、青年の首をかききる。大量の黒い霧があがり、青年は膝をつく。

 人間ならば死んでいるところだ。しかし、人間ではない彼も、瀕死の状態だった。

「花鳥様!」

 令が心配して声をかけると、青年は来るなと言わんばかりに、片手で制した。

 アキコはその様子を見ると、悪意のこもった笑みを浮かべた。

「次でとどめですが――いいことを思いつきました。花鳥の巫女、取引きをしましょう――無視しないでください。そこの、妹の命にも関わることですよ」

 菜子のことを出され、令は渋々ながら、アキコに返事をした。

「……取引きとは?」

 令が答えると、アキコは青年を指差して言った。

「あなたが、御神刀でその青年を殺しなさい。そして明日、神社のものに宣言するのです。私が、この神社にいた、偽の花鳥――悪霊を殺しました、と。もう、この神社には何もいません、と。そうすれば、あなたと妹の命は助けましょう」

「そんな……そんなことっ!」

「よく考えて答えなさい。悪霊の命と、人間2人の命。どちらが重いですか?」

 令は、自分の腕の中で震えている菜子を見た。自分だけではない。菜子の命までかかっているのだ。

 令が膝をついている青年を見る。もう、立ち上がることすらできないほどに弱っているが、その目は最初から変わらず、アキコのことを狙っていた。まるで、野犬のような眼差し。

 恐ろしくも頼もしい――そして、とても愛おしかった。自分達を守ろうと、必死なこの青年のことが。もし、話が出来たら、彼はどんな声だろう。何を話しただろう。

 令は覚悟を決めると、懐から御神刀を取り出して、抜いた。

「花鳥様――ごめんなさい。私はどうなってもいいのです。しかし、菜子は、どうしても助けたいのです。罰は、私が地獄で受けます――お許しくださいとは、言いません」

 令が涙を流しながら、青年に近付く。青年は令をちらりと見上げて、それだけだった。

 後は、黙って目を伏せた。その表情には、悲しみと、怒りと。そして何よりも――こうなることがわかっていたかのような、諦めが浮かんでいた。

「花鳥様――さようなら――」

 令が、青年の首筋に向かって御神刀を振り下ろす。

「待って!」

 菜子が、飛び出してきた。令の腕を必死で押さえている。

「――菜子?」

 令が驚いた表情を浮かべる。菜子はプルプルと震えながら、令の腕をまだ押さえていた。

「――巫女の妹。何をしているのです? 死にたいのですか?」

 アキコが不愉快そうに言うと、菜子はキッ、とにらみ返した。

「少し黙ってて! 殺したいなら、すぐにさせてあげるから!」

「……ふうん……面白いこと、言うんですね」

 どうせ、何が出来るわけでも無い。アキコは、菜子の行動に興味が出て、何をするのかを見てやることにした。

「菜子……あなた、何を……」

 令の力が揺るんだ瞬間。菜子は御神刀を持つ手を下げさせた。

「お姉ちゃん! 私は……わ、私は……し、死ぬのは怖くないよ!」

 菜子は恐怖による震えを押さえながら、必死で言った。

「私を守るためって言ったよね? じゃあ、私がいなかったら? お姉ちゃんは、自分の命と花鳥様、どっちが大事なの!?」

 詰め寄ってくる菜子に気圧されながらも、令は平静を保って言った。

「私は――私は花鳥の巫女よ。花鳥様のためなら、死ぬことだって――」

「私だってそうだよ! お姉ちゃんみたいに、花鳥様は見えなかったけど、花鳥神社の巫女だよ! お姉ちゃんの妹だよ! この地を、みんなをずっと守ってきた花鳥様を殺すなんて、できっこないよ!」

 菜子はそういうと、今度はアキコを指差した。

「それに、こいつが生き残るんだよ!? この悪いやつが! 巫女が花鳥を殺したって言い触らして、この神社の評判を落として、神社を取るつもりなんだ! こいつはこの後も、きっと同じことをする! 他の神社とか、それ以外の人にも! 絶対にやる!」

 アキコは冷たい目で菜子を見下していた。言うとおりだ。花鳥の巫女が花鳥を殺したとなれば、この神社は終わりだ。簡単に奪い取れるだろう。そしてまた、同じような方法で他の異端も潰していく。それが、自分の役目だからだ。それこそが、天使教会の役目だからだ。

「菜子……あなた……」

 令は、毅然と意見を言う菜子を見る。小さな体で、この大きな悪に、必死で立ち向かおうとしている。

 令の目から、涙が止まった。菜子はさらに言葉を続ける。戦うための言葉を。

「ここでお姉ちゃんが花鳥様を殺して生き残って――それから、一生苦しむの? 私は、そんなお姉ちゃんに助けられたんだって、一生苦しむの!? そんなの嫌だよ! それならここで、お姉ちゃんと一緒に気合入れて戦うよ! 菜子、やるから! 本気だから! そのために来たんだから! それに!」

 菜子は、アキコに一歩近付いた。手に持った短剣が気になる。次の瞬間、あれで刺されるかもしれない。殺されてしまうかもしれない。怖い。でも、何も言えずに死ぬのは嫌だ。それは、怖いよりも嫌なことだった。

 ザッ、と。力強くアキコに近付く。一歩、また一歩。

 そして、アキコにビシっと指を突き付けながら言った。

「お前なんか! 花鳥様がやっつけてやるんだから! 私達がずっと信じて、守ってきた花鳥様は強いんだ! お前なんかには負けないんだ!」

 アキコは脅すつもりで、菜子の鼻先に短剣を突き付ける。菜子の指先と、アキコの短剣が交差した。少し力を入れれば、このうるさい少女は二度と喋らなくなるだろう。

 それでも、菜子は微動だにしなかった。グッと唇を結んで、アキコを睨み付けていた。

「花鳥様は、悪いやつを――お前をやっつけるんだ! 絶対に! 絶対にだ!」

 その一言で、アキコは我慢の限界がきた。

「この――巫女でもないガキがァ!」

 アキコは姉の目の前で、菜子の首を落としてやろうと、短剣を振りかぶった。

 それでも、菜子は一歩も動かなかった。

 次の瞬間――神社に苦痛の悲鳴が響いた。

「き、貴様ァ――」

 悲鳴はアキコのものだった。令が御神刀で、アキコの腕を貫いている。

 アキコは腕を振って短刀を抜き、距離を取った。超回復能力のおかげで、傷はすぐに治りはじめる。

「菜子、こっちへ」

 令は御神刀を振ってアキコの血を払うと、菜子の手を取って花鳥の前に立った。

「菜子、いいのね?」

「お姉ちゃん、しつこいよ」

 反抗的な態度の妹を見て、令はくすっと笑う。いつの間にか、生意気になったものだ。

 巫女の姉妹は、青年を、花鳥様をかばうように立った。

 そして、2人は花鳥の方を見る。

「一緒に戦いましょう」

「頑張ってね! 花鳥様! 応援してるからね!」

 そう、笑顔で言った。

 姉妹はお互いの手を握り合っている。手の震えを、恐怖を隠すために。

 黒い青年は彼女達のことを、憑き物が落ちたような顔で見つめていた。

 先ほどまでの、野犬のような目付きではない。年相応の――美しい少女達に憧れる青年のような目で、自分の前に立つ姉妹を見つめていた。

 黒い青年は剣を杖代わりにして立ち上がると、夜空を見上げて呟いた。


 もう、いいか――。


 そして、令の肩を叩いた。

「――花鳥様?」

 驚いた令が振り返る。それに反応して、菜子も。

「え……どうしたんですか?」

 花鳥は、キュッと帽子をかぶりなおすと、菜子の頭に手を置いて、撫でた。慣れていない、乱暴で不器用な手付きだった。

「ふわ……」

 まさか、花鳥に頭を撫でられるとは思ってなかった菜子が、妙な声をあげる。

 そして花鳥は、不思議そうな顔をしている令に向かって言った――たしかに言った。


「後は、頼む」


 次の瞬間、花鳥と令を中心に、大量の真っ黒な羽根が舞っていた。



 超回復能力で腕の傷が癒えたアキコが、短剣をビュンビュンと振りながら呟く。

「――わかった。わかりました。わかりましたよ。ならもう、全部私が殺します。花鳥という悪霊に取り憑かれた姉妹が殺し合った――そういう筋書きにします。どっちがどっちだかわからないぐらい、仲良く細切れにしてあげます――何をしているんですか?」

 気味の悪い呟きをしている途中で、妙な光景が目に入った。

 悪霊と巫女が向き合っているのだ。

 なんだ? 悪霊と意思疎通でもしているのか? 最後の別れでもしているのか? まあ、いい。どうせ、全部私が片付けるのだから。好きにすればいい。

 だが、すぐに、さらにおかしなことが起きた。

 花鳥と令を囲むように、すさまじい量の黒い羽が、うずをまくように飛び交い始めた。

 羽根はアキコの方にまで飛んできている。それに触れると、アキコは弾かれるような痛みを感じた。

「な――なんだ!? 今さら、何をしている!?」

 アキコの叫び声も、羽根にかき消されて届かない。

 羽根のうずは広がりきると、今度は段々と小さくなっていった。

 そして、ようやくうずが収まり。アキコは恐る恐る、令と花鳥の方を見た。

 そこには、令も花鳥もいなかった――かわりに――真っ黒な巫女が1人、立っていた。

 花吹雪のように黒い羽根が舞う中に。花鳥と令が合わさったような、真っ黒な巫女が。

 令の巫女服も、肌も、カラスの羽根のように――学生服のように、真っ黒だった。

 手には、花鳥の持っていた剣を握っている。

 令はゆっくりと目を開き、アキコを見る。

 青年の殺意が混ざったような、恐ろしい目付きをしていた。

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