第十六章
直巳は目の前にいるアキコを気にしながらも、離れた場所で戦っている伊武達を見る。
伊武に黒い青年、それから大量のカラス達。人外のものと人間離れした女性が揃っていて、そう簡単に負けるわけがない。特に、カラスは数え切れないほどの数がいた。
勝利は時間の問題だろう。伊武達が天使教会の兵隊を倒し、こちらへ向かってくる。アキコがどれだけ強かろうと、多勢に無勢だ。
「時間を稼げば勝てると、そう思っていますか? あの連中が来れば勝てると」
直巳の心中を読んだかのように、アキコが言った。
「たしかに、このままでは負けます。あのバケモノ達がこちらへ来たら、私は為す術もない。このまま、何もしなければ――ですけどね」
アキコはにやにやと笑いながら、懐から小瓶を取り出す。そこには、真珠のように美しく小さな粒がいくつも入っていた。
「威力辺境伝道師の仕事はね、汚れ仕事ですからね。多少のことは許されているんですよ。ま、表だって賞賛されることもありませんが――辺境伝道師で完了させたかったですねえ」
威力辺境伝道師は存在自体が隠されているのだろう。汚れ仕事をするから、そして、表に出せないような、「多少のこと」をするからだ。
「その綺麗な粒が、お前の奥の手。汚い手段ってことか」
「どうでしょうね――その前に確かめたいことが」
アキコは懐から、護符を一枚取り出す。それを掲げて発動させると、辺りにかすかな魔力と光が広がった――広がって、それだけだった。
数秒待っても何も起きないことがわかると、アキコは満足そうな表情をした。
「やはり、読み通りですね。花鳥の力が無限だとは思えない。それに、今は一番力の弱まっている時期だ。今しかないと思っていました」
「……カラスか」
「そうですよ。ほら、護符を使ったのに一匹もきません」
これまで、護符を使うと、天使の力に反応して、その瞬間にカラスが襲いかかってきた。だが、今は護符を使ったのにも関わらず、何も起こらない。
「どういうことかわかりますか? まあ、あなたは賢いからわかるでしょうね。カラスは天使禁制の具象化。それが弱っているということは――天使の力が使えるんですよ」
そういうと、アキコは持っていた小瓶を開けて粒を取り出し、それを飲み込んでしまった。
「な――飲んだ?」
驚く直巳の声も聞こえていないかのように、アキコは体を痙攣させた。
そしてすぐに落ち着くと、直巳の方へと走ってきた。
直巳が構える暇もない。信じられない速度だった。
そして、そのまま二翼十字短剣の柄で、みぞおちを思いきり突かれる。
「が――」
呼吸が出来ない。殴られた痛みとも違う、地獄のような苦しみ。直巳は地面に膝をついた。
「無力ですね。あの狂犬の飼い主、と言ったところですか。後で、あなた達が何者なのか。後ろに何がいるのかを吐いてもらいますよ」
そういうと、アキコは短剣を構えて伊武の元へと突っ込んでいった。やはりそれも、普通の人間の速度ではない。
直巳はうずくみぞおちを押さえながら、アキコの異常な身体能力を見て、呟いた。
「魔力……強化……」
「うふひっ! さ、さあ! どきなさい!」
アキコが不気味な笑い声をあげながら、伊武や青年に斬りかかる。
伊武を退かせ、カラス達を追い払う。青年は令と菜子の守りに徹した。
「伝道師様!」「さすがお強い!」「奇跡だ!」
アキコの強さを見て、兵隊達が沸き立つ。彼らは、これまでアキコがここまで戦えるなどとは知らなかった。思ってもいなかった。
アキコは小瓶から粒を取り出し、まだ生き残っている兵隊達に配った。
「あなた達、これを飲みなさい。私のように力を発揮できます。息のある者がいれば飲ませなさい。重傷でも甦ります」
「はっ! わかりました!」
兵隊達は疑いもせずに、その真珠のような粒を飲み込んだ。
そしてすぐに、彼らの顔は快感に包まれたかのようになる。
「こんな……こんな力が! これぞ天使様の! いや、伝道師様の奇跡だ!」
3人の兵隊がアキコと一緒に伊武と戦い始める。残りの2人が、倒れた兵隊に薬を配り始める。
あれは厄介だと思い、伊武が止めようとするが、アキコや兵隊に阻まれて動けなかった。
「突然……何……? まるで……魔力強化……」
伊武も、それが魔力強化のようだと気づいていた。そうでないと、説明がつかない。
しかし、地力で勝る伊武が、兵隊の1人に一撃を食らわせる。肩口から袈裟切りに。普通なら、これでもう動けないはずだ――はずだが。
「傷が――傷が治るぞ!」
斬られた兵隊が叫ぶ。興奮のあまりに声が裏返っていた。
それを見た他の兵隊達も、奇跡だ奇跡だとわめきたてる。天使教会の士気は沸騰していた。
「き、傷が……治るなんて……」
令と菜子は、傷が逆再生のように塞がっていくのを目の当たりにして、唖然としている。
「超回復……か……大体……わかった……かな……」
伊武だけは冷静に、この状況を理解していた。
薬を飲んだ兵隊達には、少なくとも魔力強化と超回復能力がついている。
ということは、だ。
「天使の……力を……使って……いる……」
伊武も持っている力。天使避けがあるから封印している力。この2つがあれば、殴り合い、斬り合い、殺し合いは非常に有利になる。相討ちでも自分の勝ちだからだ。
伊武はまとわりついていた兵隊をアキコの方へ蹴ると、彼女に話しかけた。
「どうして……天使の力が……使える……の?」
アキコは楽しそうに短剣を指揮棒のように振りながら答えた。正気ではないようだ。
「うふっ……天使禁制の力は具現化しているじゃないですか。青年とカラスに――ま、それも打ち止めみたいですが。だから結界自体は弱くなっているのですよ。その証拠に、こうやって天使様のご威光が届くようになったんです。異端を滅ぼすための力、光、知恵のすべてが」
伊武は兵隊達と戦うカラスと、羽奈美姉妹の前から一歩も動かない青年を見た。
なるほど。花鳥の力は有限で、それをこの戦闘に回している。だから、結界が弱まって、天使の力を使えるようになった――そういうことだ。
「そして……その薬を飲むと……天使の力が……身に付く……と……」
「ええ、そうですよ。一時的に、天使の代行者になれるのです」
アキコが自信ありげに、薬の入った小瓶をもてあそぶ。護符や、小さな球体の武器のこともあるが、天使の力を使った魔術具を使うのが得意なのだろうか。
「ふふっ……ふふふ……」
伊武が顔を押さえて楽しそうに笑うと、アキコは不思議そうな目で伊武を見た。
「おや? どうしました? 絶望でおかしくなりましたか?」
「いや……おかしくて……笑っちゃっ……た……かな……」
アキコは伊武のことを知らない。だから、ペラペラと種明かしをしてしまった。
これが、伊武にとってどれほど重要な情報かも知らずに。
「こっから……本気って……こと……だよね……」
「ええ。我々に勝てる人間などいませんよ。ま、悪霊でも勝てないでしょうね」
「そう……そうだね……私も……同じ……かな……」
伊武はそう言うや否や、自分の背後にフリアエを思いきり叩きつけた。フリアエは、空中で何かに刺さったかのように停止した。
「起きろ――アブエル!」
突如、伊武の背後に巨大な天使が出現した。羽根も折れ、つぎはぎだらけの醜い巨人。
誰もが想像する天使とは、かけ離れた恐ろしい姿。
しかし、これは天使。伊武の力の源、人造天使アブエル。
「――」
アブエルは声にもならない叫び声をあげる。その衝撃に、夜の森が震える。
上機嫌だったアキコの表情が、混乱したものになる。兵隊達や令、菜子は、ただそれを呆然と見つめることしかできなかった。
「――少女。それはなんですか。その怪物は、なんですか」
アキコが短剣を向けながらたずねる。
伊武はアブエルの額に刺さったフリアエを抜くと、振り返って答えた。
「これは……天使……人造天使……アブエル……」
そう言った瞬間、伊武は魔力強化と超回復能力のスイッチを入れる。アキコが教えてくれたとおり、天使禁制は消えていた。ようやく、自分の力を取り戻したという開放感があった。
「天使――? それが、天使様だと――?」
「そう……だよ……私についている……人造天使……私の……力……」
次の瞬間、伊武は兵隊達に向かって飛び込み、大きくフリアエを振るった。
それだけで2人の兵隊が深手を負って倒れる。もう、超回復能力が意味を持たないほどの深手をだ。
「きな……よ……本気で……やるん……でしょ?」
薬で目ざめた他の兵隊達が集まってくる。アブエルを見上げる。
「天使様――? お前ごときが――メイガスごときがァァァァ!」
アキコが狂ったように叫ぶと、兵隊達が一斉に襲いかかってきた。
伊武とアブエルが吠える。
天使禁制の花鳥神社で、天使の力同士が戦いを開始した。




