第十四章
「見ましたか! あれが邪悪な存在! その根源です! あれを倒せば私達の勝ちです! 悪霊を倒し、この地に天使様の威光を轟かせましょう! 我々は天使様の代行人です!」
アキコが兵隊達を煽ると、兵隊達はわき上がった。天使教会への忠誠が、そうさせるのだろうか。相手は人外のもの、カラスと青年の悪霊だというのに。
兵隊達が黒ずくめの青年に斬りかかる。彼は慣れた様子で攻撃を捌き、兵隊を切り伏せた。
まるで人間のような――とても戦い慣れした人間のような動きだった。
「こっちには……こないな……」
警戒を続ける伊武に直巳が言う。伊武はひたすら、黒ずくめの青年の動きを注視していた。
「なあ、令……あれが花鳥様だって、そう言ったよな」
直巳がたずねると、令はまだ彼のことをを見つめていた。
まるで、ずっと憧れていた人にようやく出会ったかのような目で。
「令? あれが花鳥様っていうのは、どういう――」
「私も聞きたいですね」
いつの間にか、アキコが側に来ていた。伊武はアキコに向けても注意を払っていたが、殺意は向けていないし、動きを止めることもしなかった。直巳から許可が出ていないからだ。
「巫女様。見てのとおり、あれが邪悪の根源。それを花鳥とは、どういうことでしょう」
「……はい?」
アキコが言うと、令は興奮冷めやらぬ様子で、アキコを見た。
その恍惚とした瞳に、アキコは一瞬だけだが、恐怖の表情を浮かべた。
「あれは悪霊の親玉! 人を襲うカラス使い! それを花鳥とは、どういうことかと聞いているのです!」
「悪霊……いいえ……あれは……あれが花鳥様です」
令はうっとりとした表情で答える。アキコは表情を引き攣らせた。
「邪悪に心を囚われましたか……いいでしょう。私が退治して、あなたの曇った目を覚ましてあげましょう!」
アキコが護符をかかげると、護符は光を放ってそのまま消え去った。
「これで、私の周りは天使様の力で覆われました。多少は安全でしょう」
直巳は、辺りに少しだけ魔力が漂っているのを感じた。天使の力というのは、これのことだろうか。たしかに魔力は感じるが、どんな効果があるかまではわからない。
「――来る」
伊武はそうつぶやくと、直巳を見た。
「ああ、頼む――剣だけな」
伊武が背後からフリアエを抜く。それを見たアキコは何か言いたげだったが、黙っていた。
そして、直巳達に向かって、無数のカラスが襲いかかってきた。
「くっ……普段なら……苦戦……しないのに……」
伊武は傷を負いながらも、次々とカラスを撃退させていく。普通の武器では刃が立たないが、天使をも切り刻む妖剣フリアエは、このカラス達にも有効なようだった。
伊武が8羽のカラスを切り伏せ、アキコは5羽のカラスを霧散させる。
それでも、カラス達は次から次へと襲ってくる。
「くそっ――キリがないな」
直巳は令に覆い被さるようにして、彼女をかばっている。どうせ、戦っても役に立てないのだから、伊武を信用して、自分は令を守るしかない。
伊武は今、フリアエと自分の力だけで戦っている。魔力強化も、超回復能力も、アブエルも使えない。それでも、伊武はカラス相手に互角以上の戦いをしていた。ただ、傷は徐々に増えていっている。長期戦になれば、不利なのは伊武だろう。
「――フッ!」
伊武は顔から、体から、血の筋を流しながらも、痛みに動じることはなかった。痛みはただの痛み。痛いだけなら我慢すれば良い。痛かろうが痛くなかろうが、死ぬ時は死ぬのだ。
離れた場所では、兵隊達が真っ黒な青年を囲んでいた。青年は強く、まともに戦えば歯が立たないので、兵隊達は牽制することしかできていない。
直巳は令をかばいながらも、青年を観察していた。
彼が着ているのは、よく見れば、古くさい学生服だった。真っ黒な帽子と外套もそうだろう。足元は下駄。全部古くさいのだが、持っているのは洋剣だった。
悪霊が、学生服の青年? 洋剣を持っている? それを令は花鳥と呼んでいる? どういうことだ? 直巳は様々な可能性を考えてみたが、まったく想像が付かなかった。
「椿君……そろそろ……落ち着く……かも……」
伊武が16羽目のカラスを切り伏せてから、直巳に報告をする。無限に来ると思っていたカラスだが、闇の中から湧いてくるペースが、段々と落ちてきていた。
「カラスが落ち着いたら、あの男だな……伊武、大丈夫か?」
さすがの伊武も、フリアエを自力で振り回しているので、肩で息をし始めている。それに、小さな傷も積み重なれば、無視できなくなるだろう。
もし、伊武がつらそうなら、令と一緒に脱出するつもりだった。謎は解き明かしたいが、伊武を犠牲にするほどではない。今回は、天使教会に勝利をくれてやっても構わないと思っている――令さえ無事であれば、だが。
「……まだ……いける……かな……あれが使えれば……いいんだけど……」
嘘ではない。伊武はまだ戦える。しかし、アブエルが使えれば、もっと楽になる。それが言いたかったのだが、アキコや令に聞かれるので、答えを濁した。
「必要なら――一瞬だけでも。回復だけでも」
「……そう……だね……それも……考えて……る……」
伊武がフリアエで、また一匹のカラスを地面に落とした。カラスは身もだえし、闇の中にスッと消えていった。
その時、羽奈美家の方向から足音が聞こえた。
まさかと思い、直巳達が、アキコが、一斉にそちらを見る。
「お姉ちゃん!」
菜子だった。巫女服を着ており、こちらへ走ってくる。
「菜子!」
令は菜子を見つけた瞬間、直巳を振り払い、菜子の方へと走っていった。
「クソッ! なんで入ってこれた!」
直巳はすぐに駆けつけたかったが、カラスに囲まれているので動けない。
「神社の入り口は、人を置いて封鎖していたはずですけどね」
アキコの言葉を聞いて、直巳は菜子が入ってこられた理由を思い出した。
「入り口を封鎖……そうか……裏口か!」
買い物帰りに菜子が教えてくれた、神社への裏口。羽奈美家の裏に直接繋がる道だ。天使教会は、この道のことは知らなかったのだろう。
「か……からす……?」
菜子は大きなカラスを見ると、腰を抜かして座り込んでしまった。
令は菜子の元へ駆け寄り、座り込んだ菜子の肩を掴んで叱った。
「菜子! どうしてきたの!」
「わ、私だって……花鳥神社の巫女だから!」
「巫女って……花鳥の巫女は私! あなたはただの巫女でしょう!」
だが、菜子は首をふるふると横に振ってから、令の目を見て言った。
「だ、だって! 菜子はお姉ちゃんの妹だもん! 1人でなんか逃げないよ!」
「……バカね」
令は菜子を抱きしめた。そのままかばうように抱きかかえ、カラスを警戒する。
「――妹さんですか。あの2人を守ります! 4人! 巫女の元へ!」
アキコは号令をかけながら、自分も巫女の元へと走る。残されたカラスはアキコを追わず、その場にいる伊武に襲いかかった。
戦闘員を加えたアキコ達5人が令達の元へ辿り着く。そのまま、彼女達を守るように、ぐるりと取り囲んだ。
「護符を使います! 何としても守ってください!」
アキコが護符を3つ取り出して使う。輝きも、辺りに漂う魔力も3倍になった。
カラスが令達の方を向き、襲いかかってくる――それだけではなかった。
とうとう、あの青年が、令達の方へと向かってきた。
一直線に。まるで、目標を見つけたように、迷いなく進んできた。
誰も止められない。兵隊達は乱暴に斬られ、蹴られ、殴られ、蹴散らされていく。
「――椿君」
伊武が直巳を見る。それだけで、直巳は伊武が何を言いたいかを理解した。
「俺は令達のところへ行く。無理はするなよ」
「――わかった――今っ!」
伊武がフリアエを大きく振って、カラス達を追い払う。その瞬間に、直巳は身を屈めて令達の元へと走って行った。
途中、一羽のカラスが直巳に襲いかかってきた。直巳は必死で、手で追い払う。
「クソッ――あっちに行け!」
直巳の手に、カラスがぶつかる。すると、カラスはそれだけで直巳から離れていった。
ただ、左手がぶつかっただけだ。ダメージを与えたとは思えない。それでも、カラスは直巳を警戒して距離を取った。まあ、離れてくれるならそれでいい。
1人になった伊武は、青年の前に立ちはだかる。
目が合った。鋭いが――必要以上に睨み付けるようなことはしない。ただ、ひたすらに相手を値踏みしているような視線だった。
「これ……は……面白いのが……出てきた……かな」
伊武がフリアエを向ける。青年も剣を構えて――少し、楽しそうにも見えた。
「やっぱり……人間が……一番……やりやすい……!」
伊武が悪霊の青年と切り結ぶ。彼は伊武の重い一撃を、易々と受け流した。
ただ、力が強いというわけではない。魔力強化での身体能力強化とも違うようだった。それでも、伊武の攻撃によろけることすらない。これが悪霊の力だというのだろうか。
「――ッ」
青年は何も言わず、気合の吐息すら漏らさず、伊武に攻撃をしてきた。斬りかかってくるだけではない。隙を見せれば、躊躇なく蹴りや頭突きを入れてくる。戦い慣れというか、ケンカ慣れというような戦い方。
「……面白い……ね」
伊武も泥臭いケンカでなら負けるつもりはない。殴る、蹴る、ぶつかる。相手が生身なら、噛みつきまで使っていただろう。
相手を殺すつもりのケンカ――悪霊の青年は、相変わらず何も言わないが、どこか楽しそうでもあった。
だが、その時間も終わりを迎える。
「――」
悪霊の青年は伊武から離れると、片手を天に向けた。
すると、20か、それ以上のカラスの群れが、その手の周りに現われた。
「くっ……隠してた……か……」
カラスが一斉に襲いかかってくる。伊武はフリアエで対抗するが、他のカラスよりも素早く、強かった。
そして、伊武がカラスと戦っている隙に、悪霊の青年は令達の元へと向かった。
カラスの群れに捕まった伊武は、それを見送ることしかできなかった。




