1-3:抵抗という選択
「うわぁっ!?」
僕はとっさに隣にいる少女を押しながらその場から離れようとした。が、少女はどうしたのかボーっとしていたため、思った以上に押せず、その場で彼女共々転んでしまう。
奇跡的か、地面にうつぶせになったこともあり、獣の強襲に躱すことは成功した。
「いたたぁ……」
少女が痛そうな声を上げるが、こちらからすれば早くこの場から立ち去りたかった。
あの獣がどういう存在か全く見当がついていないのだ。そんなものと関わりは持たない方がいい。
だからこそ、僕は素早く立ち上がって少女の右手を勢いよく掴んだ。
「な、何をする!?」
「今はあれから逃げたほうがいいよ! ほら」
そう言って、僕は彼女を起こして、獣と別の方向へ走り出す。途中、彼女はなぜか抵抗の意思が見えたが、無理矢理引っ張ると抵抗できないのか、僕に従った。
後ろをちょくちょく見ながら走る。真夜中だから、街灯が多い場所を走っているが、どこまで走ることができるか。
「動きが見えなかった……反射神経も劣化しているのか」
「なにっ? まだそんな設定続けるの?」
「設定ではない。……しかし、驚いた。まさかあれがこの世界に来るとは」
「あの獣のこと?」
「うむ。私の元の世界での扱いは、この世界でいう犬であったな」
道中の会話。あれが犬だと言うのはシャレにもならないんだけど。犬にしては一回り大きかった。姿は黒で、何かよく解らないオーラみたいのを纏っていた。
あんなのに襲われたら、平気ではいられないだろう。動物が嫌いになりそう。
「って、遅いよ! もっと早く走れない?」
「ば、馬鹿者……これでも精一杯だ……」
急に遅くなり始めた少女。どうやら体力切れらしい。だからと言って、彼女を置いていくのもどうかと思うので、彼女の全速力らしい速度に合わせて走る。
すると、というかやはりと言うべきか、後ろから追ってくる獣が迫ってきた。
「ならっ!」
と、その場で止まって、咄嗟にそこいらに落ちていた石ころを投げつけてみた。逃げるが駄目なら対抗してみよう、というわけだ。
でも、さ。当たらないんだよね。なんかスカってるんだよね。透過しているんだよね。
「あれは魔力でできている! そんな攻撃じゃ意味を成さない!」
「そ、そうなんだろうね! 絶対におかしいよ、あれ!」
近くにあった木陰に隠れながら助言をくれる少女に、彼女の妄言を認める一言を言ってしまう。でも、本当におかしい。こんなの、普通じゃない。
となると。問題はここからだった。どんなに石を投げても当たらない相手に、自分はどうするか。逃げることはできる、とは言い難かった。最初の全速力でも距離は離れなかったのだ。それに、僕自身も正直疲れている。火事場の馬鹿力ぐらい働いてほしいものだが、残念ながら期待はできないだろう。
という条件から、自ずと選択肢は一つとなる。抵抗。しかし、その選択肢も塞がった。詰んだ。完全に詰んだ。
「コウタッ!」
少女が木陰から叫んだ。目の前を見ると、獣が僕に飛び掛かってきていた。迫る獣の顔。獰猛で、犬とは思えないような、そんな凶暴な化け物。
今からそんなやつに食われてしまうのだ。あぁ、そのようである。何せ、こちらには一手も残されていない。そんな状況を受け入れないとならない。
完全なる絶望。どうやら、死ぬ瞬間に時が遅くなると言うのは本当らしい。じわりじわりと、獣が近づいてきた。思い切りにやってほしい、そんな願望さえ生まれてきてしまう。
でも、さ。ここで終わっていいのかい? そんな、少年の声が聞こえた。それは僕だった。僕の中の絶望に対して希望論を唱える僕。何もできないと知っておきながら、未だにこの状況をどうにかできると信じている愚かな僕。
希望論の僕は唱えた。せめて、一発でも喰らわせてやろうじゃないか。例え当たらなくても、せめて殴る恰好だけでも見せてやろうじゃないか。抵抗してみよう。まずは、そこからだ。
まず? そんな疑問を覚えながら、僕はふつふつと心に宿り始めた熱に頭を焦がしていく。そうだ。せめてものの抵抗を。男なるもの、何もせず死ぬのは本望ではない。
だからこそ、僕はその拳を振り被った。当たらずとも、やる!
その姿を見て、少女は悲痛な叫びをあげた。そして希望論を唱えた少年は、微笑んだ。
「だぁぁぁっ!」
瞬間、世界が紫色に染まった気がした。