1-2:魔の獣
「……頭、大丈夫?」
「なぁっ!?」
正直にそう言うと、魔王と自分のことを名乗る少女は激昂してか、パッと起き出して僕の胸ぐらを掴んでくる。が、女性ゆえかその力は弱く、簡単に振りほどけてしまう。いや、女性にしては簡単に振りほどけてしまった。
「くぅ……己の非力さが恨めしい」
「それで魔王と名乗るのはどうかと……」
「うるさいっ!」
そう叫んで、ポコポコと僕の胸を殴ってくるが、悲しいほどに痛くない。
うーん、でももう元気そうだし、よかったと考えるべきかな。
「第一、この世界の住人は悟りを開きすぎというか、なんか冷たすぎるんだよ。私の話をまともに聞こうとせず……」
「まぁ、そんな話を聞かされたら、夢の見すぎと言われるか、電波としか思われないよ」
「その考えが冷たいんだよ!」
がっくりとうなだれる少女。感情が豊かで、可愛いと思ってしまう。ていうか、本当に虚勢を張っているようにしか見えない。
「で、本当の名前は?」
「……この世界では、園芽 一葉と言われている」
「一葉……うーん、どこかで聞いたことがある気がするなぁ」
学校で聞いたような気もするし、幼馴染に聞いたような気がする。うーん、どこだっけかぁ……。
とそのような思考をしている間に、そろりそろりと逃げようとしている黒髪可憐少女が見えたので、手を伸ばして捕まえる。
「とりあえず、何があったかは知らないけど、見つけたからには家まで送るよ」
「い、いやいやいやいやいや。いい! そこまでの気遣いは無用!」
「いや、流石にこんなにボロボロじゃ、不安だよ。どこかで倒れられても困るし」
「うぅ……よくあるとは言え、確かにそうだ」
あるんだ。この子はどんなに危険な事をしているのだ。
しかし、納得はしてくれたようで、僕の顔を窺いながら待ってくれている。うーん、男勝りな口調をしているけど、上目使いとかいちいち女性らしいので、困る。
「行かないのか? それならば、もう離してくれないか。熱い」
そう言って、ばっと僕からを手を振り切った。それぐらいの力はあるんだ。というよりも熱いって、酷い。いや、確かに興奮しているのは事実だけど。
もう一度、彼女の手を繋ごうとすると、バッと避けられた。
「強引な男は嫌われるぞ」
「多少強引じゃないと、モテないらしいよ」
「それは迷信だな。実際、私は嫌がってるぞ」
むぅ。返答が出来ない。
それに、実際のところ構いすぎたかなとも思っていた。ここまで元気だし、本人も嫌がっているのだ。これ以上関わると、警察も呼ばれかねないし……
そんなことを考えているとき、ふと、誰かがいるような気がした。僕が気がした方向を見るが、そこには誰もいない。どうしてか不思議がった彼女は、僕に声をかける。
「どうした?」
「い、いや。何かいたような気がし――――」
その時、見えてしまったものを、僕は忘れることが出来ないだろう。いや、忘れられるはずがない。それは非現実的な存在であったからだ。それは、この世の原理ではありえないものであったからだ。
それは、犬であった。炎を身にまとった。黒い炎を身にまとった。下顎と右目がない、黒い何かを纏った獣が、いた。
「なに、あれ……?」
「カザバラルスッ!? なぜに、この世界に」
それは少女にも見えたようで、そしてそれ以上の反応を示した。まるで、あれを知っているかのような口ぶりだった。
「知ってるの?」
「知っているも何も、私が魔王であった頃の世界の獣だ。我が世界は、この世界でいうアミノ酸の代わりに魔力によって肉体は生成されている。だから、この世界にあれが現れるはずは、ないはずなのに……」
少女は焦っていた。彼女の言葉をまともに聞くとするならば、あれはこの世に存在してはいけないものらしい。ならば、なぜここにそいつがいるのか。その疑問に答える者はいなかった。
獣がぐるるる、と唸る。そして、そいつは、僕たちに目がけて飛びかかってきた。