第三次世界大戦〜闇への片道切符〜
私が生まれたのは、日本側の三カ国連盟が連勝している時だった。
食料も沢山あるし、手当ても出て家庭も順調だった。
だから、ずっと幼なじみと遊んでいることができた。
その幼なじみの名前は、興津 秀明。
彼は私を死の淵から救ってくれた。
幼年教育学校の時──昔でいう幼稚園の時だ。
戦車が交差点を右折してこちらに向かってきた。
私は生きることをあきらめ、目を閉じていた。
一瞬、目を開くとすぐそこに、秀明が現れた。
戦車はブレーキをかけ、轟音を響かせながらこちらに向かってくる!!
秀明は走りながらこちらに向かってくる!
アスファルトは悲鳴を上げ、秀明と私を裂く!
強く閉じた瞳をもう一度開けると、秀明の左足が骨折したのみで、かろうじて私は助かった。
だが、私は申し訳なくて仕方がなかった。
私さえあそこにいなければ秀明はこんなことにはならなかった。
だが、そんな思いもいつの間にか消えてなくなっていた。
秀明が気にするなと何度も言ってくれた。
私は秀明のおかげで今を生きることが出来ているのだ。
こうして私たちは出会い、二人仲良く育ったのだった。
私たちにはお気に入りの裏山があった。
裏山の向こうには梅の木があった。
それは、私達のお気に入りの木であった。
木に登ったり、実を摘んだりした。
「早く来いよ。」
彼はそう言っていつも微笑むのであった。
だが、中一(先進的中等教育学校の一年生と呼ばれている。)の夏。
カールスルーエ陸上戦で大敗を喫した。というニュースが流れた。
その直後の海戦で、海上部隊が全滅した。
そして、五井陸上戦にて大敗し、平和隊が崩壊した。
秀明の父も、私の父も、第二平和隊工業部として徴収されていた。
中二になった頃だった。
秀明が転けた。
それがのろしとなり、敵兵に囲われていた。
私はとっさに思った。
(助けなきゃ。)と。
そして、その思いが原動力となり、なんとか助けることができた。
その時、秀明の顔が火照った。
その当時、私は鈍感だったから、何故かわからなかったが、秀明はその当時から私に恋に落ちたのだとわかる。
中三の冬、秀明に告られた。
冬といっても、雪など降っておらず、かわりに銃弾が飛び交っていた。
私はなんとなくその状況が恐かったから、すぐOKを出した。
秀明は嬉しそうに笑った。その笑顔は子供の時と全く変わっていなかった。
そして、秀明は私にそっと接吻した。
私達が付き合ってから初めての春。
あの梅の木が兵士の食料だといって取り上げられた。
そう、左翼も行き過ぎると戦争を起こしてしまう。
つまり、右翼も左翼も行き着く先は同じなのだ。
そして、そんな皮肉な戦争は、ついに私達の日常生活をも脅かすのだった。
ある朝、穴だらけのポストを開けると、青い紙が入っていた。
「労働徴収」と呼ばれるものだった。
秀明も同じところだという。
私たちは思いを馳せながら、その工場へと向かう列車に乗った。
これが闇へと向かう片道切符と知る由もなしに。