1・とり
とり
「ちょと待って!」
呼んでも振り返りもしない、彼女の肩を反射的に掴んでいた。
彼女は静かに振り向く。
教室で見せるいつもの無表情。
誰かがこんな事を言っていた。
-あいつには感情がないんじゃないか?-
実は僕もそれには同意見だった。
近くで改めて見る彼女の顔は奇麗だと思う。
しかしその顔から感情が表れることは一度もなかったからだ。
やっとの事で振り返った彼女はじっと僕の顔を見る。
真っ直ぐに、僕を射抜くような視線。
まるで、子犬や子供の様な無垢な眼差し。
何故か分からないけどそれが僕の胸を締め付け、言葉を失わせる。
彼女に聞きたい事は山ほどある。
ここ数日の不可解な出来事について。
でも僕の心は躊躇する。
ー何をどう聞けっていうんだ?−
こうやって考えていても、答えなんか出てくるはずもないのだけれど…。
最初は一枚のCDだった。
いつの間にかカバンの中に入れられていた。
中身は聞いた事のない音楽。
奇麗な声の主は不思議な言葉で歌う。
歌詞の意味や、そのジャンルは全然解らない。
でも、懐かしいような、新しいような、不思議な音色。
それを聞いた途端、僕の体の中でパチンと音がした。
そして次の瞬間、僕は涙していた。
意味も理由もなく。
暫らく泣き続けた。
後で気がついたのだが、CDの白いレーベル面に「空」とだけ書かれていた。
それから数日経った頃。
家に帰ると僕の机の上に手紙が置いてあった。
僕宛の封筒で差出人については何も書かれていない。
封を切ると一枚の写真が出てくる。
広い芝生の野原に立っている男女の後姿。
2人は僕らの通う学校の制服を着ている。
気のせいか男の後姿は自分のような気がしてならなかった。
でも、こんな写真を撮った覚えも無いし、隣の長い髪の女性に特に心当たりも無い。
何故こんな写真が送られてきたのだろう?
疑問に思い封筒を見直すと切手が貼られていなかった。
それだけならば、誰かがポストに入れたのだろうと考えられる。
しかし、家族は誰もその封筒の存在すら知らなかったのだ。
となると、誰かが僕の机の上に直接置いていったとしか考えられない。
何かが僕の周りで起こっている。
それだけは分かる。
湧き上がる不安と、胸の中で何かざわめくものを感じる。
でも今は、それが何なのか分からない。
ざわめく胸を押さえながら、何気なく写真を机の引き出しにしまった。
そして昨日の夜の事。
夜中にふと目が覚めた。
いきなりだった。
何かのスイッチが入ったように。
電気を点けようと立ち上がった時。
コツコツ。
窓から小さな音が聞こえた。
カーテンを開けるとそこには小鳥が僕の部屋を覗き込んでいる。
小鳥は何度も窓をくちばしで叩いている。
窓に近づくが逃げる気配を見せない。
僕はそっと窓を開けた。
チョン、チョン、と跳ねるように部屋に入ると羽ばたきグルリと天井近くを回る。
そして机の上に飛び降りた。
その人懐っこさに呆れながら、小鳥を覗き込む。
小さな頭を2度3度傾げ、僕の顔を見上げている。
かわいい仕草に顔がほころんでしまう。
「お前、人が怖くないのかい?」
答えるはずもないのに話し掛ける。
自分でも幼稚な行為だと、顔を赤くしてしまう。
でも。
でも小鳥は、こう答えた。
「ごめんなさい。あの、佐藤…洋一君。私、鳥海なの。同じクラスの…」
-とりうみ そら-
僕は全てを理解した。
まるで数学の公式が当てはまった時の様に。
英単語や文法の全てを思い出し、英文を読めた時の様に。
誰が今までの出来事の犯人なのか。
「鳥海 空」
長い髪をした、おとなしい女の子。
背が低くて、極度のあがり症。
そういえばそんな女の子がいたかな、と言った程度のクラスメート。
疑問が頭に渦巻く。
何故彼女がCDをくれたのか?
どうやって手紙を机の上に置いたのか?
小鳥をどうやって喋らせているのか?
そして、何故こんな事をするのか?
この日から僕の中で「鳥海 空」の名前は特別な物となった。




