第8話 友人たち
目の前の廊下の突き当たりは、大聖堂の三階部分にあたる。全部で地下八階から地上十四階まであり、ワープタイルの総合入り口は三階にある。
ソラたちは談話室に向かおうと大聖堂前の長い廊下歩いていると、白衣を着た男性と背筋がスッと伸びた少女が通りかかった。ゴワゴワのダークブロンドの髪に何かペンのような物が刺さっている男性が何やら難しく顔をしかめている。
「ベイリー! ハワードさん!」
ソラは二人に声をかける。
「久しぶりですね、ソラ」
「おっ、久しぶりだな」
「二人が一緒なんて珍しいね」
ハワードは本部の研究員長だが、ベイリーは武器使いだ。いつもなら相棒のウィルがいるはずなのだが、今は別行動らしい。本部内では、封印物がなくとも魔封師の魔物が反抗する事はほとんど出来ないために単独行動が許されている。
「「扉」が潰されてたみたいでな、ベイリーに修復を手伝ってもらっていたんだ」
「侵入しようとした形跡があるみたいで」
考え込むようにベイリーは顎に手を当てた。
「それって大問題だよな。「扉」の隠し場所を見破ったって事だろ?」
ライアンの言うとおり「扉」が潰されるなど、前代未聞だ。自然現象で建物ごと被害を受ける事は何度かあったが、「扉」の網状組織経路に侵入しようとする事など今までなかった。そして、それは外部の者の仕業である。
「侵入となれば……、外部の者でしょうから。目的があるはずです」
「無理に入ろうって事は魔物か何かなの?」
「でも、魔断志師が大勢いる場所にそれは……」
「無謀だろ」
三人が悶々と深く考え始めたところに、バコッバコッバコッとハワードが持っていたファイルで軽く叩く。
「あんま変な事ぽいぽい考えんな。余計な詮索は視野を狭くするだけだ」
ライアンがハワードに殴り掛かりそうだったのを見てソラが肘鉄を叩き込んでやめさせた。
「今日の集会、それについていくつか大事な報告があるんだけどな。俺いったん戻るわ」
ひらひらと手を振り、大聖堂前の廊下でハワードは三人とは別の方向に行ってしまった。
集会はいつも談話室で行われる。中央階段で六階まで上ればいくつか談話室があり、一番奥の談話室に行けばいい。
「でも、どうしてベイリーが?」
「扉」は研究員の部門だ。ベイリーの聡明さを疑っているわけではなかったが、「扉」の魔法円の呪文には難しいものも使われており、網状組織経路に組み込むには専門の知識がいる。
「「扉」の修復に人員をなかなか割けなかったみたいです」
同期の魔断志師のベイリー・ベイカーは明るいブラウンの髪に優しげなヘーゼルの瞳、落ち着いていてどこか気品すら漂う。
絵に描いたような秀才で、「扉」の修復ぐらいなら難なくやってのけるだろう。
「明らかに侵入の形跡があったので、ハワードさんに確認をしてもらいました。侵入はされてないみたいです。何事もなければいいのですが……」
それから少し階段を上っている間は明るい話題に切り替えた。ルードフィの北部では白い可愛らしい花を咲かせるチェリーローズが満開だとか、ベイリーの飼っているメリナカケスが泳げるようになったとか……。魔物の事はベイリーも不可思議に思っている事があるらしい。
談話室の扉を開けると、もう何人かが集まっていた。おのおの好きな事をしている。寝たり、話し合ったり、魔法で遊んだりと……。
部屋には赤いクッションが置かれているアンティークのソファが四つと、一人用の肘掛椅子が六脚。それらに囲まれた木のテーブルが一つあった。壁はミッドナイトブルーの幕でふんわりと包まれている。
「あ、よぉ!」
一人の少年が手を振る。樹海のような深い緑の目と同じ色のバンダナをしている。
「久しぶりだな」
ライアンは肘を突きだし、思いっきり飛び掛かった。それからまるでじゃれ合うエルモリンクスのように相手の腕を捻りあい、足を固める。そろそろ子供染みた遊びはやめてほしいとソラは思っていた。ベイリーも隣で呆れている。
「今日は俺の勝ちだな!」
「まだまだだ!」
一瞬のうちに形勢逆転し、ライアンがウィルの腕を捻り上げる。肩を膝で押さえつけられ、ウィルの顎は床につく。
「退け!」
「悪いな」ライアンが意地悪っ子の笑みで言う。「これ以上背が小さくなったら困るもんな?」
「何が言いたい?」
ウィルがイラついてくる。魔気が少しにじみ出てきていた。
ウィルはライアンよりも半トー(約10センチ)ほど低い。からかわれるのも当然だった。
「チビリアム」
嫌味な笑みを浮かべ、ライアンはつぶやいた。
「何だって?」
ウィルが封印のバンダナを外す。力の加減を間違えれば、喧嘩どころではなくなってしまうが、本部内での「解放」はある程度自動的に抑えられ、許されていた。
「ウィル!」
相棒であるベイリーはウィルのもう少しで外れそうなバンダナをつかんだ。
「何?」
ベイリーに対して怒ってはいなかったため、敵意をむき出しにする事はなかったが、少し声が低くなっていた。
「ここでケンカしないの! 周りの迷惑も被害を考えてください」
ヘーゼルの瞳がウィルを強くにらむ。
喧嘩をしそうな二人と仲裁者を脇目にソラは空いているソファにドサッと座る。萎れるようにレオもへなへなと膝に降りてきた。
見知った顔や親しい人が何人かいる。相変わらず変わっていない友人もいれば、髪の毛を炎のような赤色にしていたり、左肩から肘あたりにかけてドラゴンのタトゥーを彫っていたりとかなり変わった友人もいる。
壁のそばにいるエニスに話しかけに行こうかと思ったが、ひと段落してウィルキーに癒者の事を何から聞こうかと考える事にした。
癒者と決まったわけではないが、そうなったとしたら少し厄介な事にもなる。
(たぶん、先に調査かな……)
「ソラ!」
ソラの頭に誰かの手が置かれたかと思うと、その誰かが隣に座る。ソファのクッションがが重みで少し傾いた。
「ルーナ」
ソラの隣に座ったのは、クリッとした紫の目を持ち、長い髪を垂らし、猫を思わせるような少女。元帥という風格はまったくないが、魔断協会最年少元帥のルーナ・パリーである。
ベアショルダーの服から出た左肩には痛々しい傷痕がある。ソラはその傷を見るたびに背筋か凍りそうだった。
「会うのは久しぶりね? レオも久しぶり」
ルーナはソラの膝に乗っているレオを撫でた。レオは気持ちよさそうに喉をゴロゴロと鳴らした。
「あれ? ジョアンは?」
ルーナも魔封師だが、元帥と言う地位で武器使いの相棒はいなくても解放が許された。だが、彼女は神崎ジョアンという少女とコンビを組んでいる。いつもなら騒がしくルーナの隣にいるのだが、今日は見当たらない。
「食堂よ。お腹が空いたんですって。ソラ、あなたの髪、整えるぐらいに切ったほうがいいわよ」
ソラの髪を一房握ってルーナは毛先を見た。枝毛になっているのはなかったが、ソラの髪は伸び放題で少しボサボサになっている。一方、ルーナの髪はまっすぐストレートで、専属のスタイリストでもいるかのように綺麗だ。
だが、あまりソラ自身髪の事など気にしなかった。手入れもろくにしていないし、切る事が面倒でずっと後回しになっている。
「香水をつけるぐらいしてみたら? あとライアンの髪も」
ルーナは、ウィルと火花を散らしているライアンを見た。ライアンの髪は跳ねたりしているが、前回見た時綺麗だったソラと比べれば、あまり変わりはなく酷く見えない。
ソラはあまり他人に髪をいじられるのは好きではなかった。ルーナの手から自分の髪を取り返した。
「髪を整える事っていう掟でも作りましょうか」
元帥の彼女に許される権限だが、面白半分に作られてはたまらないとソラは話を変えた。
「今日は何か知ってる? ベイリーが「扉」を直したらしいんだけど」
「近頃、魔物が可笑しいって事ぐらいかしらね……」
元帥だからといってもまだ権限は少なく、把握出来る部分も少ない。今回の集会の内容はルーナに知らされていなかったらしい。
ソラは劇場での事と上空に魔物が来た事を話そうとしたが、場の空気をぶち壊すような声が割り込んだ。
「ココアいる人、手ぇ上げろ!」
古い脅迫のような口調で、ハンナ・ベルがココアの入ったマグカップをトレーに乗せて持ってきた。「はい」と数人が手を上げる。ハンナは手を上げた人に渡すか、目の前のテーブルに置いた。
それから、集まった人数を数える。ソラとライアン、ルーナ、ウィル、ベイリー、ジェニオラ、スタンリー、ペチュニア、ヴィンス、エニス、デイビット……全員で三十数人。
ジェニオラ・アールズが運んできた資料を真ん中のテーブルに置いて、ソファ――ルーナと反対側のソラの隣――に座った。
「ウィルキー司令長ー!」
ハンナは数え終わると、腕につけていた小型の通信機に向かって叫んだ。
「そんな大声出さなくても聞こえてるよ」
ワープタイルの方から長身の男性が現れた。