【第06話】心的損傷!
〈心的損傷〉
円香は男が苦手だ。
悪意の有無は関係ない。
複数の男と向き合うと体が動かなくなる。信綱と雪村、数名の特定人物は平気だが、見ず知らずの男に声をかけらると体がすくむ。
「俺は二年の岩水秀一。よろしくね」
「ぅぅ」
「っと驚かせたかな?」
岩水が小さく笑う。
他の三人と違い、人好きしそうな笑み。
「俺、室内テニス部に所属していてね。知らないかな?」
「春は都大会に行ったし、知ってるでしょ?」
「次期主将とまで言われてるし」
男同士の遠慮ない会話。
円香はあまり知らないが「室内テニス部」なる部活があるらしい。
「おいおい主将は勘弁してくれよ」
謙遜して見せているが、明らかに自慢している。
円香も色々とナンパされてきたが、これはその中でも特にひどい。出会い頭に「俺知ってる?」とかどんな自尊心の塊だ。
室内テニスの才能は知らないが、役者の才能はないらしい。
「円香ちゃん静かだね。いっつもそんな感じなの?」
男の一人が声をかけてきた。
気遣うというより、他を出し抜いた優越感がにじみ出ている。
「!?」
円香の体に悪寒が走った。
悲鳴は飲み込んだが、恐怖に耐えられず後ろに下がる。
「ははっ!! お前の顔が怖かったんだろうさ」
「うへぇ、円香ちゃん酷いなぁ」
「……とにかくさ、他の場所いかない?」
岩水の声に苛立ちが混じる。
怒鳴らないのは自尊心が邪魔しているのだろう。
だが、この状況でのこのこ付いていく女性がいると思うのだろうか。
「やっ!!」
円香の反応も当然だ。
「……なんでだよ」
岩水の声のトーンが下がる。
初めはなにか聞き間違いと思ったのだろう。しかし円香との距離が縮まらない現実に、岩水の自尊心はズタズタに裂かれた。
「っは!! 円香ちゃん言うねぇ!!」
「秀ちゃん嫌われてんじゃん!!」
「――うるさい!!」
鍍金は剥がれ、欲望の素が顔を出す。
「調子乗りやがって!! 黙って付いてこい!!」
「ひぃ!?」
瞬間、円香の心が負荷で限界に達した。
(――触られる。さわられる。知らない男。知らない。おとこ。さわる。触らないで。やめて。ダメ。イヤイヤイヤ!! 嫌!! 嫌ぁぁ!!!)
目の前が急に暗くなる。
(嫌ぁ!! 怖い、怖いよぉ!!)
そして、色あせた光景が流れる。
懐旧と辛酸の経験がフラッシュバックし、同調した精神が時間を逆行していく。無意識下に選別した過去の経験が、当時の感情や恐怖を記憶の中から掘り出してくる。
《心的損傷ストレス障害》
診断結果、円香の場合は過去の追体験らしい。
症状は軽度。
発症条件は「不安定な精神状況下で異性の接触」らしく、信綱と雪村も体には触れようとしない。
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『だ、から××よな?』
『お××××してたい××そん?』
『×××でも、さ?』
『……だ。それ××××××ろ』
人の奏でる雑音。
『たし××はや××××ね? だか……さい××だろ』
『××××そう』
湿った空気に満ちた空間。
下卑た笑いに歪んだ口元。
『――ヤッちまうか』
無数の腕が少女を求める。
(いやああぁッッ!!)
拒絶の声が同調する。
叫びは一瞬で世界を打ち砕き、様々な光景を映したステンドグラスのように崩壊していく。まるで卵を内側から破ったようだ。
砕けた欠片が崩落する。
映る光景は千差万別。
忘却した記憶もある。
欠片の数だけ記憶が存在し、その一つに先ほどの光景が映し出されている。
『……みつけた』
崩壊の最後の瞬間。
極小の欠片に映った少女が、円香を見て――笑った。
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「ぃ、ぁぁっ!!」
「くそっ!?」
円香の声に岩水は驚く。
ここに他の生徒がきたら、岩水たちは弁解の余地なく終わりだ。
「秀ちゃん大声出しちゃ迷惑よ?」
「そうそう。俺ら悪者みたいじゃん?」
この手の「遊び」に慣れた他の男は警戒を始めている。
馬鹿かと思えば、保身に頭が回るだけ岩水より厄介かもしれない。
「くそ!! 俺が誘ってんだぞ!? なんで逃げんだよ!?」
もはや「誘い」でなく「脅迫」だ。
怒りに顔を紅潮させ、目も血走っている。
「それともあいつか!? いつも一緒にいる野郎だな!? そうだろ!? だから誘いを断るんだ!! この売女が!! あの連中もお前の体目当てなんだ!!」
現実を受け止められず口汚く罵る。
大声で他の生徒がくる可能性を考えてないのだろうか。おまけに「連中も」と言いながら自分の欲望をこぼしている。
「円香ちゃん男いんの!? ちょっとショックだわ」
「略奪狙うとかマジカッケーじゃん!!」
「おい!! もう止めだ。こいつは無理にでも連れていくぞ!!」
「っひょぉ!! 秀ちゃんも言うねぇ!!」
「じゃあカラオケどうよ?」
「おぉいいねぇ!! 個室なら騒いでも平気だし、円香ちゃんも俺らのこと分かると思うよ?」
奇妙な熱が場に満ちている。
岩水を含めた男たちに正常な判断ができているとは思えない。
まるで円香の追体験した過去そのものだ。
「さっさと行くぞ!!」
「ぃや!?」
円香の肩に岩水の腕が伸びる。
だが、その手が触れる直前、
「――ったく」
声が聞こえた。
「なっ!?」
意志に反し残り数㎝を前に手が止まる。
金縛りのようにまるで手が動かない。
原因は「あの声」だ。
静かだが威圧のこもった声。
もし触ったら――そのあとのことは考えられない。脳は考えることを拒否し、身体は動くことを拒否した。
「ど、どこだ!?」
「後ろか!?」
男たちが一斉に振り向くが誰もいない。
それも当然だ。
声の主はすでにあるべき位置に立っている。
「……てめぇ」
岩水が苦虫をかみつぶした顔になる。
いつの間に横を通り抜けたのか気付かなかった。
「ぁ、あぁ……!!」
円香の視界が涙でにじむ。
岩水を阻むように立つ広い背中。
こうして彼を見上げるのは何度目だろう。奇異の目から、欲望の目から、暴力から、円香を何度も護ってくれた。
その背を見間違えるはずはない。
「迎えにきたぞ、円香」
誘いは同意のもとお願いします!!
※2014年3月29日(全文差し替え)
※2014年12月12日(本文修正)
※2015年7月23日(本文加筆)
※2016年10月21日(本文修正)