無視される彼女
「あっ、トシノリくんだ。おはよ! 今日も良い天気だね!」
リナがまたやっている。あいつに話しかけても答えてくれるわけでもないのに。
学校の校門をくぐったばかりのトシノリに、誰よりも早く声をかける。それが最近のリナの日課の一つだ。……トシノリの方は全く相手にしていないのだが。
案の定、トシノリの奴はリナをちらっと一瞥しただけで、ぷいとそっぽを向いてすたすたと校舎の方へ歩き去って行く。リナのことは完全無視だ。
「あーあ、今日もダメかあ」
リナは肩を落とした。
「もうやめとけって。あいつにアプローチしても無駄だろ」
僕は見かねて声をかけた。
「んー、まあ、そうなんだけどね。でもさ、こっちをチラ見したってことは、わたしの挨拶に反応してるってことじゃん。……やっぱり、あきらめられないよ」
「大体、なんであいつなんだ? おまえそんなにトシノリと仲良かったわけでもないだろ」
「……眼がね、合っちゃったんだよね」
リナはどこかうっとりとした口調で言った。
「わたしは教室の外にいて、トシノリくんは教室の中にいたのに、ばっちり眼が合っちゃったんだよ。これって運命じゃない?」
僕はため息をついた。
「それは多分勘違いだ。タイミングの問題でしかないだろ」
「あ、そろそろ授業始まっちゃう」
僕の言葉を聞きもせず、リナは教室に向かっていた。僕は仕方なく、その後を追った。
リナが教室に入ると、生徒たちの喧騒がぴたりと静まった。中には、リナの方を見てこそこそ話をしているグループもいる。
リナは周りに目もくれず、自分の席へと歩いて行った。リナの席には花瓶が置かれ、菊の花が活けられていた。……なるほど? そう来たか。
リナは何事もないかのように席についた。
「その花瓶、どけてやろうか?」
僕はそっとリナにささやいた。が、リナは首を振る。
「いいよ。わたし、お花好きだし」
そのうち先生がやって来た。先生は花瓶をちらっと見たが、特に何も言わずに授業を始める。リナは教科書も筆記具も出さず、黙って座っていた。時折一部の生徒がちらちらとリナを見る気配がしたが、リナは気にする様子もなくそこにいた。
午前中の授業が終わり、リナはもう一つの日課の為に教室を出て行った。行く先は決まっている。屋上だ。
リナの姿が見えなくなった途端、一人の女子が涙目で叫んだ。
「もうやだ、限界だよ!」
「アヤネ!」
他の女子たちがなだめようとするが、アヤネと呼ばれた彼女は止まらなかった。
「みんなもそうでしょ!? あいつ、なんで今も学校に来てるの!? それも、何もなかったみたいに平気な顔してさ! おかしいでしょ!!」
と、アヤネはキッと窓際の席をにらんだ。トシノリの席だ。
「大体トシノリ! なんであいつ、毎朝あんたに挨拶してんのよ!? あいつがここにいるの、あんたのせいなんじゃないの!?」
「んなわけねえだろ!」
トシノリは声を荒げた。
「俺だってあいつとはしゃべったことなんてないのに、なんで挨拶して来んのかわかんねえよ! ……ただあの時、眼が合っただけで……それだけなのに……」
……さて、もうそろそろかな。タイミングを見計らって、僕は窓を指差して叫んだ。
『あっ! あれを見ろ!』
教室にいた皆が、僕の声に導かれて窓を見る。
まさにその時、窓の外をリナが落ちて来た。我ながらジャストタイミング。落ちながらリナは、教室の中を見てニッ、と笑った。
その間一秒あるかないか。あっという間にリナは窓の下に消え、ぐしゃり、と嫌な音が響いた。教室にいた生徒たちは皆青ざめている。……これは、今日も彼らの弁当は手つかずで終わるな。ま、ダイエットにはいいんじゃない?
校舎の外に出てみると、リナは案の定いつもの場所にいた。……10日ばかり前、彼女が飛び降りた場所。地面に叩きつけられ、頭がかち割れたまさにその場所。
本来なら生徒たちもここは避けて通りたいところだろうが、生憎校門の真ん前だから登校下校の際にはここを通るしかない。視線をそらせるくらいしか出来ない。
「今日もなかなかのダイブだったな」
僕はリナに話しかけた。リナは顔を上げ、僕に向かってにこりと笑った。
「今日もトシノリくんと眼が合っちゃった」
「毎日毎日、飽きずによくやるよ」
僕はリナの隣に座り込んだ。
「仕方ないじゃん。こんな風になっちゃったんだから」
リナはこの10日間、毎日これを繰り返している。朝この校門前でトシノリを待ち、挨拶し、教室に入り、自分の席について、昼休みになると屋上へ上がり、そこから飛び降りる。自分の死をひたすらリピートする。
リナの姿はクラスの連中にしか見えないらしく、何人かの生徒は親や教師に相談したようだが、クラスメイトが死んだことで精神に負担がかかっていると思われ、学校を休んだり転校したりしている。残った生徒たちもかなりストレスがかかっているのは教室で見た通りだ。
「多分さ、今だったらまだ成仏? 出来ると思うんだよね」
「成仏して欲しいの?」
逆に訊かれ、僕は言葉に詰まった。多分成仏した方がリナ自身にはいいんだろう。……僕みたいに、長い年月の中で記憶も何もかもすり減らして、ただの怪異になってしまうよりは。でも、せっかく僕自身を見て話してくれるリナを手放したくないのも正直な気持ちだった。
今の僕は、言葉を語ることで人さえも操る怪異。でも、僕自身を語ってくれる者は、多分もう誰もこの世にいないのだ。
夕方になって、生徒たちが下校して行く。リナのクラスの連中は、どこかおびえたようにコソコソと帰って行く。
「みんな、さよーなら!」
気まぐれにリナは女子のグループに声をかけた。女子たちは一度だけびくりとして、そそくさと足早に校門から出て行った。
何だろうね、リナが生きてる時はあれだけ楽しそうに無視してたのにさ。散々無視してた結果がこれだし、今は堂々と無視出来るんだから、そうしときゃいいのに。
「あ、トシノリくん!」
トシノリの姿を見つけ、リナは喜々として彼を追いかけて行った。校門までお見送りするのだと。
あー、リナ。
トシノリに振り向いてもらいたかったら、もっと見た目に気を使った方がいいと思うぞ。
だっておまえ、未だに死んだ時の姿のままなんだからな。




