表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/23

5月28日 04:21(金)




 トン、トントン…

 トントントン…


 あの音が、あの音がする…。反射的に身が縮こめた。怖い、怖い、怖い…。


「始まったみたいだな」


 部屋に帰ってからずっと黙り込んでいた今井さんが、突然、誰に言う風でもなさそうにノートパソコンに向かって呟いた。そうしてチラっと私の方を見る。目が合う。すぐに逸らされた。泣きたいような気分になる。


「怖いわけ?」

「…っ、あ、はい…」

「じゃあ帰れば?」

「え…」


 今井さんは私の方も見ず、冷たくそう言い放った。


「正直ここにいたって君にできることなくない?俺もやることないし、ひたすら迷惑被ってるだけ。偽善意識でいるだけなら帰ればって言ってんの。得することないから。大体当事者がのうのうとしてるの、見てるだけで俺はむかつくけどね。俺は部外者だけど、被害者でもあるから。君たちの」


 全くの正論。でもそれはひどく厳しく、突き放すような。ここに来てから数時間経って、ある程度今井さんの性格が…冷たい、とは感じていたけれど、そんな言い方…でも、そう思われても当然だった。厳しい言葉に泣きそうになるのを堪えて、頭を下げた。


「す、みません…っ、本当、すみませんっ…」

「……」


 しかし、謝った声と共に嗚咽が漏れた。それを聞いて、今井さんがまたチラリと私の方を見た。苦虫を噛み潰したような顔を見せて、再びノートパソコンに向かい合い、ちっ、と舌打ちをされる。


「…井坂妹が吐いてる嘘ってなんなの?2ちゃんの人が言ってたやつ。仮にそれが事実だとして、の話」


 急に話題が変わった。今井さんが気を使ってくれたのだろうか。今井さんは面倒そうに続ける。


「最初に事情聞いてた時から思ってたんだけど、嘘吐いてんのって君じゃないの。なんか隠してない?俺そーゆーこと勉強してる人だから、わかっちゃうワケ。今更隠さないでよね。人、死ぬかもしれないんだから」


 死、という単語。脅しに近い。

 嘘は、言ってなかった。でも、伝えてないことはある。あまり言いたくなかった。サチのことを悪く言いたくなかった。けれど…けれど。


「…ななみサンとは、別に友達じゃなかったんです。サチの知り合い…というか、あんまり…サチが、その…いじめてた子っていうか」

「なにそれ」

「い、いじめっていうか!なんか、ちょっとサチがななみサンに甘えてるような…も、持ちかけたのはサチですけど、ななみサンだって乗り気でした!」

「甘えって都合いい言葉だね。君いい子ちゃんなんだね。まあ、いいや。それで井坂妹とサチ?長瀬?は主従の関係にあってこと?俺が聞きたいのは井坂妹が吐いてる嘘なんだけど」


 ぐさぐさと突き刺さる言葉。ポロ、と目の端から涙が出たが、かまわずに今井さんの問いに答える。


「嘘は…ななみサンが、霊能力者だって、自称してて…く、暗かったんです、彼女。それで、友達とかもあんましいなくて…それで、オカルトとか好きで、だから自分で霊能力者だって…。それで、でも、本当はないって…そう、ななみサンもかくれんぼの途中で言ってて…!」

「高校生が……まあ、いいや。で、その中二病を利用したってことだな?長瀬が。まあある意味からかいだよね。井坂妹も強気に出たワケか。つーか、マジうけるんだけどさ、井坂が話す妹の話と全然違うな。これが嘘か?」


 今井さんは首を傾げた。しかし、井坂サンのお兄さんと話が違うって、どういうことだろう。私も、訳がわからないという風に首をかしげて見せると、今井さんは腕を組んで椅子に背を預けて話す。


「井坂兄は自覚なしのシスコンでな、妹のことをよく話すんだよ。シスコンフィルターかかってんだろって思って、そこそこに聞いてたけど、すごく明るくて聡明で友達も多くて、みたいなことを言ってた。嘘ってそれか?でも脈絡ないよな。そのIDからヒントないのかよ。コントロールFキーで検索かけろよ」

「ない、です…さっきから教えて欲しくて頼んでるんですけど…」


 言われた通りにするけれど、ID:pb9Td/ZwOはそれ以降発言がなかった。他のレスに散々なじられているせいかもしれないけれど。そのほかのレスは「実況しろ」だの「潜り込め」だの、無責任なことを言っている。そんな私の返事を聞くと、今井さんは盛大に息を吐いて、ノートパソコンを閉じ、その上に突っ伏した。


「はー…マジうっせえな隣。いい加減にしろよ…」


 ひっきりなしに隣から何かを叩くような音が聞こえている。でもそれよりも何よりも、今は、今井さんが怖かった。隣の部屋の恐怖、今は塩を持った安全地帯にいる、という意識からかもしれないけれど。

 無責任だな、私。ふと、そんな言葉が浮かんで、今井さんの言葉と重なって、すごく悲しくなった。


「さっきから気持ちが悪くてたまらないしさ…具合悪い…。水持ってきてよ、コップ適当に使って」

「は、はい!」

「ちょっと塩入れてね。効果あるかわかんないけど」

「はい!」


 落ち込む手前に、今井さんが機嫌が悪そうに私に命じた。私はその要求に飛び上がるように返事をし、すぐさま席を立って、一枚ドアを隔てたミニキッチンに向かった。片付けられたミニキッチンで、水切り棚に上げられた透明なグラスに水を注いだ。塩の入った瓶のキャップを取った時だった。ぼそぼそ、と声が聞こえた。

 はっとして開かれたドアの向こうを見ると、突っ伏したまま、顔だけこちらに向けた今井さんが何か私に話しかけていた。びっくりするから、やめて欲しい。


「…で、井坂ななみは長瀬祥子にいじめられていた…うん?長瀬祥子だっけか?」

「あ…はい、そうです」

「長瀬祥子、ながせさちこ…ながせ…さ、ちこ…人形の名前って、チコだったよな?」


 トントントン…

 トン、トントン…


 さっきよりもずっと鮮明にあらゆる音が耳に入っている。隣の部屋のノック、そして、今井さんの声。鋭く刺さる。今井さんが、身を起こして私に聞いた。けれど、私は答えられない。そんな、そんな、まさか。今井さんの唇は、確信を付くかのように動く。ノートパソコンを再び開いて、すばやくキーボードを叩く。


「書き込み、なんて書いてあった?最初の、確かあいつ、髪入れたって書いてあったよな?爪じゃなくて、リスクのある髪をわざわざなんで?」


 トントン、トン…

 トン、トントン…



 私は答えられらない。私は、知らない。そんなこと知らない。知ってたら、そんな…サチは、サチはどうなる?


「井坂妹が願掛けしてたって本当か?爪を入れなかったんじゃなくて、髪しかいれられなかったんじゃないの?長瀬祥子の髪を。爪なんか、どうやって貰うんだよ。井坂妹は長瀬を嫌ってた、違うか?」



 トン、トン、トン…

 トントン、トン…



 動機は十分。利用したと思ってた。違うんだ。利用されてた、としたら?嫌な汗が、背を伝う。音が、音がうるさい。うるさい、うるさい。



 トントン、トン…

 トン、トントン…



「もしかして、井坂妹が人形につけた名前って本当は、『長瀬祥子』じゃないか?もしくは『長瀬祥子と同等の意味を持つ名前=チコ』とした。それが、井坂妹の吐いてる嘘だとしたら?」




 トン、トン、トン…

 トントン、トン…



「井坂は、長瀬祥子の身代わりである人形…長瀬祥子にもっとも近い存在に、再びおにごっこの宣言している。それって、まずくね?」




 トントントン…

 トントン、トン…




 沈黙。汗。音。鋭い視線。問い掛け。そして、恐怖。

 私は、思わず、その場にずるずるとへたり込んだ。頭がくらくらとする。信じられない。怖い、怖い、怖い。これから、どうなるの?どうしたらいいの?私は、私たちは、本当に何か恐ろしいことをしてしまったんじゃないか。


 そう思った時だった。


 ヴヴヴ…ヴヴヴ…


 低い音が鳴る。ケータイのバイブ音だった。思わずびくりと身をちぢこめて、パーカのポケットを触った。私のケータイじゃない。今井さんの方を見ると、今井さんは立ち上がって自分の黒いケータイをじっと見ていた。そうして、私に歩み寄り、私にそのケータイを突きつけた。まぶしい画面、そこには、着信。



「愛川、この番号、知らない?嫌なことを、俺は、期待してるんだけど」



 今井さんの声が僅かに、震えていることに気が付いた。私はすぐに、自分のケータイを開いて電話帳を探す。長瀬サチの番号、080-XX3X-22XX…違う。じゃあ、じゃあ、井坂ななみ。

 井坂ななみの番号は、



「…それ、ななみサンのケータイ、から…です…」




 ヴヴヴ…ヴヴヴ…

 低いバイブ音が、鳴っている。


 


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ