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戦場から夫の鎧が帰ってきました  作者: 雲丹屋


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9/12

漆黒の貴婦人

 北方に遠くかすむガラ大山脈の雪を頂いた鋭い山稜の途切れた先、うずくまった獣のようなアボンの山々の黒いシルエットの向こうに日が沈んでいく。

 勇者イラーナの目の前に建つバロール領主の館は西日を斜めに受け、朱に染まった空を背景に黒々と影を落としていた。館の両側に張り出した副翼に囲われた馬蹄型のアプローチで馬を降りたイラーナは、敵に包囲されたような重苦しさを感じて顔をしかめた。神聖帝国の白大理石の華やかな建築物と比べて魔道王国の城館は陰気で重苦しいものが多いが、荒涼とした北の地に建つこの館は、陰惨なガーゴイル飾りがついているわけでもないのに威圧的だった。


「いやなところね」


 もう夕刻だというのに館に明かりはほとんどない。館の手前で誰何(すいか)し、ここで待つようにと命じてきた守備兵はいずれも岩と枯れ木でできたような老人だった。イラーナは自分が妖魔の棲む怪異の館に来てしまったような気がしてどうにも息が詰まった。いつも身を包んでいた法衣も、聖なる紋章の入った白い外套も今はない。ギリ峠で借りた古着はごわついて身に合わず、夕暮れ時の冷たい風がじかに肌を刺す。

 イラーナはぶるりと身震いした。


「イラーナ様?」

「何でもないわ。行きましょう」


 留めようとする守備兵を無視して、重厚な正面扉に向かう。

 己はここになすべきことをなしに来たのだ。着ているものがみすぼらしかろうが自分が勇者であることに変わりはない。辺境の領主程度に気後れすることなどないのだと自分に言い聞かせ、重い扉を押し開く。


「我は神聖帝国の勇者イラーナ! バロール領主に服侍を要請する」


 声高に呼ばわりながら、暗い前室をずかずかと通り抜け、天井の高いホールに進む。

 慌てた使用人が数人出てくるがイラーナの威光を恐れたのか、駆け寄って押しとどめに来る者はいなかった。彼女はホールの真ん中にすっくと立ち、あたりを見まわした。


「でてきなさい! ことは急を要するのよ」

「恐れながらお客様」

「ひゃっ」


 突然、声をかけられて、イラーナは飛び上がった。


「な、なになに? 何なの?!」

「ただいま当家の主は不在でございます。差し支えなければご用向きは(わたくし)めがお伺いいたします」


 いつの間にかすぐ側にいたのは、この家の使用人と思われる背の高い老人だった。灰色の髪と口髭はぴたりとなでつけられていて、襟もタイも歪み一つない。この礼儀の国から礼儀を広めに来たのかと思うほどやたらに姿勢の良い老人は、相手を委縮させる眼光で小柄なイラーナを見下ろした。イラーナは自分が作法の教師に叱られた子供になった気がしてうろたえた。


「そ、そう? じゃあ……いや、駄目よ! 領主が不在でも領主代理がいるでしょう。そいつが出てきなさいよ。あなたはそうではないでしょう?」

「では、あちらの部屋で今しばらくお待ちくださいませ」

「待てないって言ってるでしょう!!」


 イラーナは癇癪を起してトントンと足を踏み鳴らした。


「騒がしい。何事ですか」


 一瞬で空気が張り詰めるような凛とした声が響き、ホールの大階段の上に明かりが灯った。

 イラーナは階上に目をやった。隣で家宰らしき老人が、現れた人物に向かって恭しく一礼する。どうやらあれがこの家の現在の主らしい。

 滑らかなカーブを描く大階段の黒光りする手摺に片手を軽くかけてこちらを見下ろしているのは、黒ずくめの女主人だった。上品に結い上げた黒髪、胸元のブローチは大粒のオニキス。シンプルなシルエットのドレスとガウンも金糸の刺繍は施されているものの、レースから毛皮の縁取りに至るまですべて黒だった。黄昏時の空の色が透ける窓からのわずかな明かりと、召使いの持つランプの灯火に浮かび上がる顔は氷雪のように白く、唇は血のように赤い。伏目がちな緑の眼から放たれる眼差しは物憂げだが鮮烈で見る者の意識を否応なく引き付ける。

 年のころはイラーナよりいくつか上なだけなように見受けられたが、その雰囲気は遥かに大人で……ついでにデコルテからの豊かな曲線も、洗濯板扱いされるイラーナとは雲泥の差だった。


 思わず見入ってしまった自分が悔しくてイラーナはギリっと奥歯をかみしめた。負けたくない気持ちが反発になって、イラーナはこぶしを握り締めて女主人を睨んだ。女主人はいぶかしげに彼女を見下ろしたが、ふとその視線をイラーナの脇に従っていたディーノの方に向け、表情を変えた。


「その人、容態が悪いのですね」


 女主人は大階段を足早に降りると、ディーノの方に駆け寄り、彼が抱えていた娘の顔を覗き込んだ。


「顔色が真っ青だわ。すぐに寝台を用意させます。まだ息はありますね」

「はい、かろうじて。ですが危険な状態です」

「よくぞ、ここに連れてきました。安心しなさい。私が何とかします」


 黒衣の女主人は、使用人を呼んでぐったりした若い娘を丁寧に運ばせた。

 彼女はディーノの手を取り力強く握りしめると、呆気にとられているイラーナの方にも目をやって微笑んだ。


「ここまで大変でしたね。だいぶ気が張っていたでしょう。もう大丈夫ですよ。あなた方もあちらで少し休息を」


 彼女はイラーナとディーノの肩と背に軽く手を添えて、奥の客間の方に行くよう促した。家宰の老人が恭しく二人を案内する。気が付くと二人は大きな暖炉のある客間の長椅子に座らされていた。


「それで、何がありましたの? よろしければ事情を聞かせてちょうだい」


 大ぶりの背もたれとひじ掛けのある重厚な椅子に座った女主人は、気づかわし気にディーノを見た。


「こちらは妹さん……というわけではありませんね? 守らなくてはいけない身内を抱えてご苦労なさったでしょう。ここは安全です。どうぞ安心なさって」


 ぽかんと口を開けて座っていたイラーナは、隣でディーノが「どうしよう。泣きそう」と小声で漏らしたのを聞いて、彼の足先を踏んづけた。


次回から月水金の週3昼12時更新となります。

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― 新着の感想 ―
そうそう、こういう正義感と使命感に凝り固まった子供には、こういう落ち着きと滋味あふれる対応で肩透かしと真綿くるみの対応がね、効くんですよねーw 
どうしよう……ゴシック調の映画セットで照明の角度から計算しつくして、台詞、配役、登場シーンを取り仕切って(事前打ち合わせして)、「さあ、茶番の開幕!」と始めたヴィクトリア様しか思い浮かばない>< いえ…
ふぉお。今回は奥様がス・テ・キ。 唐突に『ランプトンは語る』のエドガーの肖像画を思い出してしまいました。 西日の朱、宵闇の黒、鮮烈に差し込む黄金の落陽、灯火、ドレスの刺繍。 最初から最後まで美しくて…
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