足りないもの、奪われたもの
「ところで、こちらの様子はどう?」
ひと段落ついて少し手が空いたところで、私は黒騎士の様子を見に行った。
開けてもらった扉の間からちょっと覗き込んだところで、だいたいの惨状は把握できた。
「これは奥様。おおむね順調でございます」
立ち上がって綺麗に一礼した老グレンは、上着を脱いで袖まくりしている。
黒騎士は机に突っ伏している。その他の召使は部屋のぎりぎり壁際まで下がっていて、机周りの床と天井には鋭利なものでの新しい擦り傷がついている。
……事情を聴きとるだけでどうしてこうなる。場所を地下室にしておいてよかった。
考えたことが顔に出たのだろう。グレンは一つ咳払いをして袖口を直した。
「多少難儀はしましたが、本人がいたって協力的ですのでなんとか進んでおります」
「ここまでの書き取りを見せて。ここの皆はいったん休息を。グレン、あなたは休憩後に通常業務に戻って。夜に勇者がここに来ます」
「承知いたしました」
グレンは優秀な家宰だ。これだけでもろもろ整えてくれるだろう。
「それと、グレン」
「はい、奥様」
「壁に刺さった槍は抜いていってちょうだい」
「これはお見苦しいところを」
どういうわけか黒騎士の背後の石壁に突き立っていた槍をぷすっと抜いて、何事もなかったかのようにそこに立てかけると、老家宰は丁寧に一礼して部屋を出て行った。いつのまにかいつも通り上着をきちんと着ている。いったいどうやったら髪一筋乱さぬパーフェクトな身だしなみであの生き方ができるのだろう。コツがあるのか今度聞いてみよう。
私はぐったりしている黒騎士の傍らに行き、ずり落ち気味の肩装甲をそっと直してあげた。
「あなたも。休憩しましょう」
机に突っ伏したまま兜をぎこちなく回してこちらを見た黒騎士をねぎらう気持ちで微笑んであげる。
鎧の身にどの程度疲れがあるのかはわからないが、中身が人と同じなら休息は必要だろう。
私は廊下に待たせていた召使を呼び、用意させたカップを差し出した。
「どうぞ」
黒騎士は身を起こすと、私の手にある湯気の上がるカップをちょっと呆然とした様子で見た。
「あなたが飲食ができるのかどうかはわからないけれど、温かいものは休まりますよ」
黒騎士は両手でこわごわカップを受け取り。じっと中を覗き込んだ。地下室のランプの明かりに揺れる中身はただのお湯だ。様子がわからない状態で下手なものを飲ませて錆られても困る。
「飲めそうですか?」
カタ……カタカタ(わからない)
黒騎士は両手でカップを持ったまましばらくじっとしていた。私は黙って彼のそばに立っていた。立ち上る湯気しか動くものがない静けさは、朝からバタバタしていた身には心地よかった。
ほどなく彼は私を見上げて、それからゆっくりとカップを面頬の口元に持って行った。
傾けられたカップから湯が零れてテーブルと床を濡らした。
あたふたする鎧の手からカップが落ちる。背後に控えていた召使がすかさずそれを受け止めた。よし、よくやった。それは割られると困るのよ。
私は召使に一つ肯きカップを下げさせ、自分のハンカチを取り出した。
「ごめんなさい。無理をさせてしまったわね。熱くはなかった?」
濡れた鎧にハンカチを当てていると、うなだれた兜から結露した雫がぽたりと落ちた。
§§§
黒騎士にギリ峠での事情を確認しても、鎖の怪異が出てきたという宝飾品の行方はわからなかった。
ワルドの話では、それはハキマーにある神聖帝国軍の宿営地に夜襲をかけた折に手に入れた品だという。ワルドには、戦時中に領地外の南方の戦場で神聖帝国軍の物資をかすめ取る任務を与えていて、停戦協定後も賊徒の風体でこっそり働いてもらっていたのだが、どうやらハキマーでは"こっそり"ではなく"ごっそり"やったらしい。
ハキマーは大きな戦闘のあった平原の端にあり、神聖帝国の大規模駐屯地をささえる物資の中継所である。常駐する兵士の数の割に、使いでの良い物資が沢山あるので狙い目だという話はしたが、だからといって勇者が夜を徹して追跡してくるほどの夜襲をかけるとは……山賊程度の装備しかないはずなのに、なんで成功してるんだろう?
くだんの宝飾品は神官用の別棟に目立たないように運び込まれた黒塗りの箱に入っていたので、貴重品に違いないと思っていただいてきたのだそうだ。目立たないように運び込んでいるのを目ざとく見つけた下見の目ざとさも、そんな秘匿物を盗ってくる手腕も、凄いは凄いのだが褒めて良いのかは少し迷う所がある。
ワルドの見立てでは、その宝飾品は"聖珠"と呼ばれる勇者の装備らしい。
神聖帝国の勇者は皆、聖珠と呼ばれる宝飾品を神殿から授けられており、それを利用して勇者武装という特殊な魔術的武力を行使する。私は見たことはないが、それは非常に強力で厄介な力らしく、単騎でも戦の趨勢を決めるほどだったというから相当なものだ。
ワルドは、これはいいものが手に入ったと喜んで持ち帰ってきたが、うっかり壊して暴走させてしまったと謝罪した。
「(そんなことってある?)」
ワルドはそれほど迂闊ではない男だ。彼が取り扱っていてうっかり壊れるような不安定な魔導具を戦場で運用するほど、神聖帝国は魔導に疎いのか、それともそれほど扱いが難しい品を適切に使用できる者が勇者に認定されているのか……。
どちらにせよ、聖珠とやらにどんな術式が付与されているのか見てみたかったと思いつつ、私は執務室に戻った。
「奥様、お召替えを」
「ああ、そうね」
仕事に戻りかけたところで侍女達につかまった。そういえば朝からろくに身だしなみを整えていない。
一番口うるさい侍女のリラがお使い仕事で留守なのを良いことに適当にごまかしていたが、さすがに午後になってこの格好では体裁が悪い。グレンの一分の隙も無いスタイルを思い出し、私はちょっと恥ずかしくなった。考えてみれば、旦那様かもしれない相手が戻ってきているのにずっとだらしない格好しか見せていないというのは問題がある。私は私室に戻って髪を一度下すところから始めてもらった。
「奥様! 勇者を名乗るものが参りました」
その知らせを受けたのは、まだ日が残る夕刻だった。
「早すぎるわ。先ぶれはなかったの?!」
「申し訳ございません。それが……」
その一行は、到底勇者には見えない市井の古着を着た少女と、病人を背負った若い男の三名だという。
それぞれ馬に乗ってきており、男の乗っていた方の馬はうちの斥候が使う足の丈夫なバロール産の馬だったらしい。
「鞍も装具も今朝出たうちの守備隊の斥候の物です」
「やられた」
私は窓の下を見た。
下馬して館を見上げている勇者の影は、夕日に染まる白い石の敷かれた車寄せに長く伸びていた。




