へそは曲げても正義は曲げない
「どうしろっていうのよ〜っ」
勇者イラーナは憤慨して足をトントン踏み鳴らした。
「どうしようもないですねぇ」
ディーノはどこか面白がっているような呑気な口調で「いやぁ、困った」と嘆いてみせた。
「賊は取り逃がす、聖珠は失くす、挙句に馬まで荷物ごとなくなって、騎士は揃って腹ペコで満身創痍……笑っちゃいますね」
「笑い事じゃないっ!」
「あ、いいことが三つありますよ、イラーナ様」
「何よ」
「全員、生きていてせいぜい軽症。イラーナ様の馬は無事」
「私の雪白号は驚いて勝手にどこかに行ってしまうような馬じゃないわ。それで三つ目は?」
「イラーナ様の外套と法衣の泥汚れは、きれいに落ちそうです」
ディーノは白い洗濯物を、パン! と一度両手で引っ張ってシワを伸ばしてから干した。
「早めに水につけて洗濯できたのが良かったんですかね〜」
「あなたって、どうしてそうなの!?」
村人に借りた小汚い茶色い毛布を身体に巻き付けたまま、イラーナは屈辱の記憶……洗濯タライに突き落とされてぐしょ濡れになった件を思い出して地団駄を踏んだ。
「呪われた悪霊め〜! ぜぇええったいに許さないっ」
「ええっ!? こんなに尽くしているのに悪霊扱いはひどくないですか?」
「あなたのことじゃないわよ! あの黒い鎧の奴よ!!」
「うーん。確かに見かけは怪しいですが、あれも悪霊というほど害はなかったような……」
「あの黒さは明らかに呪われてるでしょ! 全部、アイツが悪いのよっ」
「なるほど。まぁ、愉快な冗談はさておくとして」
「不愉快だし、冗談じゃないわ」
「些細な見解の相違は今は気にしないで重要な側面に焦点を当てて話を進めますが」
ディーノは、そこそこ整った顔に、本来なら好感度が高いはずの温和な笑顔を浮かべた。
「いいですか、イラーナ様。今、我々は実に沢山の困りごとを抱えているように感じられますが、実はこの大半は些事です」
「そうは思えないわ」
「いいえ、一つ以外はその気になればどうとでもなるか、気にしなくていいことです」
「そうなの?」
「はい。そうです」
イラーナは貧乏くさい毛布にくるまったまま、胡散臭そうにディーノを見上げた。
「その一つって何?」
「穢れた聖珠の行方がわからないことです」
道を外れた神官が浄化前の聖珠を秘匿していたなら徴収すればよい。確保した徴収品を軍人が横領しようとしたのなら宿営地を捜索すればよい。一足違いで宿営地を襲った賊が持っていったのなら、賊を追えばいい。
だが、突然現れた黒い騎士と共に何処かへ消え去ったというのでは、追うに追えない。
「でも、そうですね……突如現れた怪異が持ち去りました、と報告すれば、これ以上無理して追う必要もないかもしれません」
ディーノは「問題解決ですね」と手を一つ打ち鳴らした。
「そんなわけには、いかないでしょう」
「そうですか?」
「冥き者が解き放たれているのよ。どこで人を襲うかわからないわ。そんなの放置できないじゃない」
「聖珠から出てきた鎖は、あの黒い騎士が蹴散らしちゃいましたよ。あれで退治されたってことにしておきましょうよ」
「あんな黒炎や鎖だけ散らしても意味はないのは知ってるでしょう?」
「そうなんですか?」
ディーノは興味なさそうに空々しく自分の服のホコリを払った。イラーナは細く形のよい眉をぎゅっと寄せてディーノを睨みつけた。
「あの鎖は冥き者を捕らえている術式が実体化したものよ。それを祓っちゃったら中の本体が出てきやすくなっただけじゃない」
「でも現状は出てきていない」
ディーノは青空を見上げた。
いい天気だ。
空の高いところに刷毛で一掃きしたような雲が薄くかかって流れている。
「実に平穏です」
「どこがよ」
窓枠と壁板が半壊した本陣の建物に目をやってイラーナは顔をしかめた。
「逃げた盗賊も捕まえなきゃいけないわ。私達の荷物や馬も取り返さないと」
「それは必須ではない些事です。聖珠を持っていないのであれば賊を追う必要はないし、物資は供出させればいい」
「供出って……お金もほとんど手元に残ってないのに?」
「買い取りじゃありません」
「強奪は……したくないわ」
「でしょうね」
「私は他の勇者みたいなことはしたくないの」
「イラーナ様としてはそうでしょう」
「軍票を書いたらどうかしら?」
「それでお気が済むのでしたら」
「何よ。引っかかる言い方ね」
むくれたイラーナに、ゆるやかにウェーブした茶色い髪の青年は、穏やかに微笑みかけた。
「イラーナ様の手書きの軍票を受け取ったここの村人がそれを金銭に交換できるとしたらどこまで行く必要がありますか?」
「ハキマーの軍営……」
「……は混乱していてそれどころじゃないでしょうね。地方の宿営地の部隊はイラーナ様のサインが照合できないです。だとすると?」
「神聖帝国の中央神殿」
「次の収穫までの備蓄から、春に蒔く種籾も出せと搾り取ったあげく、お支払いは遥か隣国の聖都でと、ここの女と年寄に仰るおつもりですね」
イラーナは黙りこくった。
「大丈夫ですよ。貴女様は勇者ですから非難はされません」
むしろ、冥き者の討伐のためにそれを成すならば、神殿はそれを良しとするだろうとディーノは静かに保証した。
「好きにおやりなさい。それがどのような決断でも補佐するのが自分の務めです。たとえイラーナ様が泥をかぶることがあったとしても、全部綺麗にすすいであげますよ」
軍旗のように吊り下げられた神聖帝国の紋章が入った白い外套の前に立っている背の高い青年の顔は、明るい日差しの下なのに逆光気味でむしろ影になって見えた。
北辺の空気は冷たくて、イラーナは暖かい古毛布をかき寄せて、ブルリと身震いした。
「おや、ここは寒いですね。中に参りましょう。薪を用意させます」
「いらないわ」
「なあに、そのあたりに散らばっている窓枠をくべるだけいい。つまらない配慮は不要です。勇者であるイラーナ様の健康の方が優先されます」
「……使命を果たさせるために?」
「そうですね。不本意ですか?」
「そのために、自分が正しいと信じていることを曲げるのは嫌だわ」
神聖帝国の勇者として便宜を享受しているのなら、その命を果たすことを個人のポリシーよりも優先する必要があると、中央の神官達は考えるだろうとディーノは指摘した。
「……ですが」
彼はイラーナの薄い肩を包む毛布が落ちないように手を添えて、彼女が本陣の入り口の段差でつまずかないようにエスコートした。
「何も物事はアレかコレかの二択で考えなくてもいいですからね」
ディーノはいつも通りの曖昧にニヤけた顔でイラーナの顔を覗き込んだ。
「イラーナ様のわがままを、ついきいちゃうのがこのディーノのダメなところなんで、まぁ、言うだけ言っちゃってみてください。この後、どうしたいですか?」
イラーナは本陣の壁に掛けられた古いタペストリーを見上げてから、一つ息を大きく吸って、首をしゃんと伸ばし、自分の従者の方に向き直った。
「冥き者を討伐します。この地の人々の安寧を脅かすものは怪異も盗賊も討ち払います。もちろん私自身が民からの略奪者になることはしません。すぐに実行します。ディーノ準備しなさい」
「はい。イラーナ様」
ディーノは何が面白いのかニヤニヤしながら、深々と大仰にお辞儀をした。
「では、しばしこちらでお休みください。すぐにご準備いたします」
イラーナはどうにもペテンにかけられているか、からかわれている気がして、むぅと口を尖らせた。
「どうするか、あてはあるの?」
「はい。最初にイラーナ様が仰っていたとおりにいたします」
「え? 何?」
キョトンとした彼女の前で、ディーノは、単純な解決策を提示した。
「この後、ここの領主邸に向かいます」
バレバレだとは思いますが、作者はディーノ気に入ってます(笑)
ビバ、胡散臭い従者!




