そは還り、また始まる
それは生命の狂乱だった。
原初の幽冥、古代神玄冥の幻獣エレバスの甲羅は長寿と不死を司り、生育と繁殖の化身である蛇躰のかなめでもあった。そこに北方山嶺の霊鳥であり死と再生を象徴する鳳雷鳥の雷撃が撃ち込まれた結果、制御の利かなくなった未成熟な蛇躰は千切れ飛び、おのおの狂ったように増殖と死滅と再生を繰り返し始めた。
暖かい泥濘の中で白くうねる触手は、土を抉り、石を砕き、互いすら磨り潰しあい、その断片から再生して増殖した。無数の触手からあふれ出る魔力で、土壌に含まれた植物の根や種子も発芽し、野放図に生育して、たちまちのうちに花を咲かせ、実を付け、枯れて朽ち、また芽を出した。
地表に漂っていた濃い霧は生命の魔力に輝きながら、果てしなく循環しながら増殖する命の混沌に吸い込まれていき、あたりは脈打ちながら明滅する光の野となった。
光原に黒くそびえるエレバスの、一本だけ残った大きな蛇頭は大きく天を仰いで声なき叫びをあげた。
その首の付け根に近い背の断崖に立つ黒騎士は、腰に佩いていた鉄棍を構えた。
黒騎士は、目の前に水平に鉄棍をかざした。黒い鉄棍は白くひび割れていた。
まだ金色の雷電をその身に宿したままの黒騎士の手から、鉄棍にパリパリと電光が奔り、ヒビがさらに深く細かく入っていく。
黒騎士は左手を柄から棍の先に向かってゆっくりとかざした。それとともに鉄棍の表面はヒビに沿って薄氷のように浮き上がり、剥落していく。
黒かった鉄棍の内から現れたのは、光輝く白金の刀身だった。
エレバスの蛇頭がぐるうりと後ろを向いて、不死のはずの己の背にいる死の使いを見た。
黒騎士は両手で剣を構え、身体全体で回転するように大きく剣をふるった。輝く剣の刀身は黒騎士の動きに合わせてグンと伸び、一筋の光となって、エレバスの最後の一本の首を鮮やかに切り落とした。
エレバスの巨大な白い首が墜ち、水飛沫が冠状に高く高く上がった。
光の原の白い明かりに大きく虹がかかる。しかし落下した首の巻き起こした衝撃波と大波が環状に広がっていくのに合わせて、無数の触手による生命の狂乱は終焉を迎えた。触手は光を失ってボロボロに砕け、細かな光の粒子を立ち昇らせながら闇に沈んでいった。
雷雲が晴れ、満天の星の下に静寂が訪れた。
§§§
『おつかれさま』
柔らかいねぎらいの声に応えるように、黒騎士は己の胸元に手を当てた。
フィヨ?
首元の隙間からぴょこりと顔を出した鳳雷鳥の雛は、まだ雷撃の余韻で盛大に羽毛が逆立っていて、モフモフの毛玉のような状態だった。黒騎士が差し出した手の上に乗ったフィヨは得意満面な様子だったが、相当疲れているのかふらついてすぐにへたり込んでしまった。
フィ~フィ~。
『ふふ、おやすみなさい。よく頑張ってくれたわね』
フィヨの背に乗っていたヴィクトリアの人形は、フィヨの頭をなでて、鞍から降りた。
『私も少し休むわ。たくさん力を使ってしまったの』
小さな人形は少し子供っぽい口調でそう言うと、黒騎士がそおっと差し出した指にキュッと抱き着いた。
『とってもカッコよかったわ! 惚れ直しちゃった』
いうだけ言って、それはパタリと動きを止め、糸が切れたように倒れて、ただの人形に戻ってしまった。黒騎士はしばらく黙って手の上を見ていたが、すやすや眠っているフィヨと人形を、そのまま大切に胸の中にしまった。
§§§
晴れた夜空を見上げて、それからぐるりと周囲を見渡した黒騎士は、そこでハッとした。
山の上の湖に避難させたお爺さんが!!!
大変だ! 無事かどうか確認に行かねば、と大慌てで月魄を呼ぶが返事がない。
光が収まった剣を拾って、普通の大きさに戻っていることを確認してから腰に差し、どこからどう降りるのが向こう側に降りるのに一番早いかときょろきょろしていると、すぐ近くから声がかかった。
「よいよい。そう焦らずとも。ワシはここに居る」
それはあのボロを着た老人だった。
特に怪我をした様子もなく、黒い岩に腰かけてにこにこしている老人を見て、黒騎士は安堵で胸をなでおろし……ガバリと顔を上げた。
「おぬしは良い奴だのう」
老人は楽し気に酒瓶を傾け、何がなんだかわからずにまごまごしている黒騎士に礼を言った。
「おぬしはワシを二度助けた。そして、寝起きでちいとばかり暴れよったうちの亀を大人しゅうさせてくれた」
老人は満足そうにうんうんと肯き、自分が腰かけている岩を撫でた。するとエレバスの背だった巨大な岩山はぐんぐんと縮んでいった。
あっと気が付いた時には、黒騎士はなぜか草の生えた地面に座っていて、目の前に立つ老人の手の上には小さな黒い亀が乗っていた。老人のもう片方の手には、木の洞に深く挿したはずの黒杖があった。
「いつかワシの庵に来ることがあったら。水の一椀でもふるまって進ぜよう」
老人は杖で東の空を指さした。
思わずその方を見た黒騎士が、視線を戻した時には、老人の姿は消えていた。
§§§
雫が一滴、額に落ちた。
へぷしゅん!
変なくしゃみを一つして、ユン少年は目を覚ました。
「え? わ、わ……」
身を起こそうとして失敗した。幼馴染のケノと一緒に大きな革のマントにぐるりと包まれていたために、二人揃ってバランスを崩して、寄りかかっていた楢の大枝の間でひっくり返る。
早春のまだ寒い夜明けに、水たまりの中に落ちて、ケノは悲鳴を上げて飛び起きた。
ユンがケノに怒られている声で目を覚ましたディックは、隣でぐーすか寝ているボーを揺り起こした。
「おい、起きろ。ボー!」
「ん~? おはよう。ディック」
「俺達、助かったみたいだぞ」
「えー、それは良かったねぇ」
ボーは、しょぼしょぼする目をこすりながら大あくびをした。
「ほんとだ。いいお天気だ」
空はまだ夜の名残を残していて、彼方はうっすらと紫がかっていたが、天頂は高く晴れ渡っていた。
「ううう、寒っ」と震えた二人は、まだほんのり暖かい楢の幹に身を寄せた。落雷で焼けたこの木の熱のおかげで寝ている間も凍えずに済んだらしい。
そういえば昨夜は、皆でこの幹と大枝の間に潜って、ひどい雨風をしのいだのだった。恐ろしくて恐ろしくて生きた心地もしなかったが、いつのまにか疲れて眠ってしまったようだ。
些細なことで言い争いながらも、仲良く一つのマントにくるまっている少年と少女を見て、ディックは人間というのは存外図太くできているものだなと思った。風で飛ばされてきたマントだろうか? 誰のものだかわからないが、ちゃっかりああして、ありあわせのものを利用しているおかげで彼らは助かった。
ディックは立ち上がってあたりを見渡した。
東のトールスの山々の間から昇った朝日が、西の大地を照らした。
「わぁ……」
ディックの隣でボーが目を丸くする。ユンとケノも口喧嘩をやめて起きだしてきた。
四人は薔薇色の明けの空を背に、台地の西に広がる光景を見て、言葉を失った。
そこにはきらめく青い湖水と緑の草原が広がっていた。
次回、2章完結




