伝えることの難しさ
当初の楽観的予測を裏切り、黒騎士との筆談は困難を極めた。
「まさかこんなにもペンが持たせづらいとは」
槍や手綱を普通に握っていたので、気にしていなかったが、全身鎧の手甲部分というのは、羽ペンで文字を書くのに向いていなかった。
チェインメイルのミトンではなく、一応、五指が別れた作りの精巧な手甲なのだが、いかんせん中身がないせいなのか、そこまで器用に動かせないらしい。
いざ羽ペンを持たせようとすると、すぐに取り落とし、何とか安定して持とうとすると握る形にしかならない。
私が雑用を済ませ、黒騎士のために用意された部屋に出向いたときには、黒騎士は鬼教官と化したグレンに、木の定規で兜をカンカン叩かれていた。
「全くもって嘆かわしい。書き取り一つ満足にできんとは!」
これが悪霊の浅ましさ、とまで罵られて、居心地悪そうにしょんぼりしている黒騎士はなんとも哀れだった。
「まぁまぁ、グレン。叱ってばかりでも解決はしないわ。何か工夫してみましょう」
ペンが持てないのならばと、指で机の上をなぞらせてみた。
「読み取りにくいわね。盆に砂を入れて持ってきて」
綴った線が砂に残るので読みやすい。しかし……。
「書く場所が狭いかしら」
砂に指で書くと1文字が大きくなる。綴りの途中で盆の端になると無理に収めようとするせいで可読性が下がる。砂をならして続きを書かせようとすると、律儀にも切れた単語の途中から書き始めるせいで、よりわかりにくい。
「床に砂を撒いて」
床を広く使えば書きやすかろうと思ったが、かがんで横に移動しながら書いているうちに、兜が転がり落ちた。
転がる兜を拾おうと踏み出して、書いた部分の砂が散った。やり直し。
「これなら、立ったままいける?」
槍を握らせてみた。
黒騎士はこれまでの不器用さが嘘のように、流麗に槍の柄を操り、石突の側で床の砂の上に文字を綴った。
竿状武器の扱いだと急に器用になるのはなんなのだろう。
シャッと一文の末尾を書き上げた黒騎士はクルリと槍の柄を回して、どんなものだと言うように、こちらに向かって頷いてみせた。
「勢いが良すぎて砂が散って跡が判別しにくいわね」
「書き写すのが一苦労ですな。踏まず当たらずで同じ部屋にいるのが難しい」
「それに床一面に書いてしまうと、次の文を書くために砂をならすのが地味に面倒ね」
カタンと、黒騎士の面頬と肩装甲が一段落ちた。
「別の手を考えましょう」
私は、盆ほどの大きさの薄板を用意させ、そこに文字と数字一式を書いた。
「これなら指さすだけでいいわよ」
笑顔で板を差し出すと、居心地悪そうにうなだれていた黒騎士は、急にシャキッとして、うなずきながら身を乗り出した。私はなんとなく嬉しくなって、にこにこしながら彼の向かいに座って、一緒に板を覗き込んだ。
『あ』
黒い甲冑の無骨な手甲の硬い指先が板上の文字をコツリと叩く。
「そうそうその調子」
文字を一つ一つ探しながら、コツコツと黒い鋼の指が木の板を叩く。
『り』『が』『と』
私は顔を上げて黒騎士の表情のない兜を見つめた。
「ありがとう?」
黒騎士の面覆がカタリと鳴った。
私はなんだか胸がいっぱいになったので、そっと目を伏せて、彼の指先をそっと次の『う』の上に導いた。
中身のない手はひんやりと冷たくて、どうにもやるせなかった。
「ヴィクトリア様、斥候が戻りました」
「今、行くわ」
私は黒騎士の手甲に軽く手を重ねて、「その要領でお願い」と一声かけてから席を立った。
「グレン、こちらは頼んだわ」
「お任せください」
さっきまで私が座っていた椅子に、定規片手にどっかと座ったグレンの向かいで、黒騎士が首をギシギシ軋ませて顔だけこちらを見たが、私は軽く手を振ってあげるだけにしてさっさと部屋を出た。
「ここまでの調書はまとまった?」
「先ほどの床の書き取り内容の清書まではできております」
窓のない暗い廊下を歩きながら。書面を受け取る。使用人の持つ明かりは足元を照らすだけだから文字を見るにはいささか暗すぎる。
狭い階段を足早に上がって一階の廊下に出てから、ざっと目を通した。
「現着時には宿場は騒乱状態にあったため、その元凶に対処した。物損は軽微。人命にかかわる被害なし。勇者一行には手も触れていない……という話だけれど、微妙に何がどうなっていたのかわからないわね」
「連れ帰った馬は、勇者一行のもの以外に、"山賊"のものと思われる馬もあったそうです」
「やだ、ワルドが絡んでるの?」
私は二階の執務室ではなく、斥候役が待機している控室に直接赴いた。
「状況報告を」
「はっ」
もたらされた報告によれば、本日、未明にギリ峠にやって来た勇者一行は総勢8名。元本陣にて休息。バロール訪問の目的は不明。
大人しく帰還してもらえないか村民側で検討中に、"山賊"のワルドがちょっかいをかけて揉めたらしい。
「余計なことを……」
出現した黒い騎士によって騒乱は鎮圧され、"山賊"は潰走。勇者一行は引き続きギリに滞在中という話だった。その人数なら荷を失った状態で遠征の継続はしないだろうが、どう出るにせよ、馬を失っていては迅速な移動はないだろう。こちらが手を打つ時間はできた。
帰着した斥候はムーアが出した5名のうちの一人で、第一報のために最低限の状況確認で戻ってきたそうだ。もう一人はムーア守備隊長の率いる演習部隊に報告に行ったらしい。残り3名のうち2名が第二陣として続報を寄越し、最後の一人は不測の緊急事態があれば走れるようにギリに残る予定だという。
ムーアはなかなか私好みのいい手配をしてくれるようになった。
「ムーアに伝令。山賊を捕縛するように伝えて。できるだけ回収して夕刻までに帰投……ワルドを確保したらその時点で速やかに撤収でいいわ。わかりやすく縛り上げて連れて来てと言っておいて」
「はっ」
私は取り急ぎ必要な指示をいくつか屋敷の使用人に出してから、ギリ峠から帰ってきた斥候に向き直った。
「それで、勇者と山賊とうちのあの黒いのがどういう具合に揉めたのか、わかっている範囲で教えてちょうだい」
「はい。それが何やら怪異が出現したようでして……」
「怪異? アレの他にも?」
斥候の報告を聞いて、私は頭を抱えた。
奥様、黒騎士をアレ呼ばわり……もうちょっと、こう……でも、旦那だという確証ないからなぁ(泣)
哀れ健気な黒騎士が奥様ともっとちゃんといちゃいちゃできる日は果たして来るのか!?(少しずつは進展してるから……)




