幻の湖
「ではあなたは、このフォス村の西にある"枯れ底"が、タペストリーに描かれた湖で、しかもその湖に描かれた"鱗のある獣"が、今、ルス湖にいる怪魚だというのね」
ヴィクトリアは机の上に広げられた本と、黒騎士の報告書を真剣な面持ちでめくった。
黒騎士が館の図書室から持ってきたのは、バロールの口伝の昔話を聞き取って書かれた古書だった。鳳雷鳥の絵のある革表紙の本よりも簡素な装丁で、文字も装飾性が低くびっしり書かれている。専門の絵師に挿絵を依頼したのではないのだろう。隙間に描かれた絵は、下手すぎて魚なのか獣なのかよくわからない。
「たしかに、これが原本だとしたら、タペストリーの絵があんな感じになるのは納得できるわね」
古書の中での杖石伝説はこうだ。
四つ足の獣が草を食む豊かな土地には美しい湖水があった。命の源の谷で生まれた白銀の魚は雫のように山を下り湖水で育ち、海に至ったのち長い年を経てまた戻ってくる。
あるとき、湖に鱗のある獣が現れて大いに暴れ、人々に害をなした。人々が弱り果てていたとき、一人のみすぼらしい老人が湖のほとりの村を訪れて、一夜の宿と食事を乞うた。
一軒目の立派な家の主人は「お前のようなジジイを泊める部屋も、食わせるパンもない」と断った。
二軒目の厩のある家の男は、一椀の水と厩で休むことを乞われて「うちは馬の世話で精いっぱいだ」と断った。
老人は村を出ようとしたが、三軒目の粗末な家の前で子供が「うちでよかったらどうぞ」と声をかけた。
「わしは無法をはたらくかもしれないよそ者じゃぞ」と老人は子供を怖い顔で睨んだが、子供は「かまわない」と答えた。
「うちはもう父親も母親も鱗のある獣のために死んでしまったから」
老人が無法者で自分を殺めるようなことがあったら、自分は両親のもとに行けると、子供は笑みもなく笑った。
老人は粗末な家で一夜を過ごし、翌日、湖に向かった。
湖から鱗のある獣が現れたが、老人が手にした杖で三度打ち据えると、恐れをなして退散した。
老人は粗末な家の子供にその杖を渡し、それを立てておけば鱗のある獣は二度とやってこないと告げて、山に帰って行った。
人々は子供の望みを叶えて老人の杖を祭った。
時が経っても鱗のある獣も老人も二度と現れなかったが、美しい湖と豊かな村も消えた。
古書に収められている伝承には、よく似た話があり、西の沿海州に伝わる話としてこれの類例がある。
こちらは港に現れた巨大な怪魚が相手だが、同様に流浪の老人が杖で怪魚を追い払い、人々は杖を岬の突端の塚に収めて祭っている。
この岬が今のどこに当たるのかは不明である。
「ルス湖の怪魚がこの絵とよく似ているという話が本当だとしても、それだけで結びつけるのは早計かもしれないわ」
ルス湖はナジェール河の下流にある湖で、海につながっているが、"岬"のある港湾ではない。
それにルス湖の怪魚が"鱗のある獣"と同一だとしたら、伝承の冒頭に出てくる白銀の魚が下った河はナジェール河ということになる。ナジェールは杖石の位置よりずいぶん北を流れる河だ。
位置が合わない。
悩むヴィクトリアを黒騎士は抱き上げた。片手で燭台を持って暗い廊下を大股で歩き大階段を下りる。
着いた先はホールのタペストリーの前だ。
黒騎士はタペストリーを燭台で照らした。よく見ると、鱗のある獣のいる薄っすらと囲われた湖を示していると思われる部分から、西側に向かって微かな筋のようなものがあった。ナジェール河よりもずっと南の位置だ。
「ここにも河があった?」
黒騎士は燭台を床に置くと、腰の物入れから取り出したものをヴィクトリアに渡した。
それは、角が取れた白花崗岩の丸石だった。
「これは……ルオボ川の川原の石? 館の前庭の馬車回しに敷いているけれど、なぜ?」
カタカタ(いいえ)。
黒騎士はタペストリーの"鱗のある獣"のいる場所を指さした。
「杖石のあったところにこれがあったのね」
カタリ(はい)。
有角の公女の緑色の目が、床に置かれた燭台の灯りを映して輝いた。
なくなった伝説の湖と幻の河の痕跡を辿ってみると黒騎士はヴィクトリアに約束した。
§§§
朝日が乾いた大地を白々と照らしていた。
黒騎士は月魄号の手綱を握り、馬の腹に脚で"行け"の合図を送った。
漆黒の騎馬は無人の荒野を地平線に向かって駆け始めた。
『爽快だわ』
フィヨ♪
ひた走る馬の上で風を受けながら、流れていく雄大な景色を楽しみつつヴィクトリア……の人形は鳳雷鳥の雛に乗ってご満悦だった。お手製の小さな鞍のようなもので雛の背にちょこんと座っている人形は、ヴィクトリアの説明によると、鳳雷鳥からの魔力供給でより高度な魔導連携を実現した形代なのだという。見た目は元と同じ手芸品でしかないのだが、この人形はヴィクトリアに視覚を提供し、自力で少し動くことまでできた。
黒騎士は自分の肩の上に乗っている雛と人形を振り落とさないように気を使いつつ、"枯れ底"の端を指さした。
『うっすらと円弧状に白くなっているのが見えるわね』
白い丸石が多くあるところだ。ここが湖だった頃の波打ち際である。
その痕跡を頼りに辿っていく。古い湖岸は風化し、あいまいになっていたが、優れた魔術師であり学者であるヴィクトリアの観察眼と洞察力は、枯れ底の西に河川が大地を侵食した跡を見出した。
『見つけたわ』
フィフィ!
『どこまで続いているのか……行ってみましょう』
カタリ。
バロール領のほとんどを占める中央の荒野を一騎の黒い騎馬が疾駆していく。
それは、紙の上に落ちた一滴のインクの染みのようだった。
ボー「あれ? 黒さん、川下り来ないの?」
ディック「なんか馬でまっすぐ荒野を突っ切るんだって」
ボー「へー、ラリーとサムソンさんは一緒に行かなくていいの?」
ラリー&サムソン「あんな勢いで走る馬に同行できるわけないっっ!!」
月魄だからできる無茶(笑)
ボー「僕らどうする?」
ディック「明日から馬小屋建てるってよ。面白そうだから見ていこうぜ」
主人が気ままな以上に従者が気まま。




