何もわからないけれど対策は迅速に
領主館前に整列した守備隊が"演習"に出立していく。
予備役の配置の手配を承認し、通常の朝の業務も片付けながらせわしなく過ごす合間にも、私は何度もギリ峠の方角に目をやってしまった。
やっと諦めかけていたのに、こうしてまた気をもませるというのはひどい。
「心配かけさせないで、さっさと帰って来てくれないかしら」
私が思わずポツリと漏らしたとき、急に馬のいななきが聞こえた。
振り返ると微かに虹色に揺らぐモヤの中から、馬が次々と出てきた。馬具をつけた旅装の馬だ。荷馬だけではなく鞍をつけた馬もいる。十数頭といったところだろうか。
「捕まえて!」
あわてて守備兵らが動いたところで、その馬群の最後に黒騎士が現れた。黒騎士は戦闘してきたようには見えず、その漆黒の鎧には傷はもちろんチリ一つついていない。
堂々と胸を張って、なんだかちょっと自慢そうな黒騎士は、私のところまで来た。
「おかえりなさい」
カタリ(はい)。
教えた合図で返事をしてくるからには、理性がある状態の本人だろう。
私は彼が連れてきた馬に目をやり、それから困惑気味に馬上の黒騎士を見上げた。
「あの馬は……勇者一行の馬?」
カタリ(はい)。
鞍の敷布や荷物の白い掛布に神聖帝国の紋が入っている。
何ということだ。盗人の上前をはねてきた……というか勇者一行の馬を荷物ごとぶんどってきたらしい。
「まさかもうギリ峠に行って、帰ってきたの?」
カタリ(はい)。
ありえない早さだ。あのモヤを通ると地上を駆けるよりよほど早く離れた地に行けるとでもいうのだろうか。
だが、今の争点はそこではない。
「勇者一行はどうしたの? 人間の方は……退治しちゃった?」
カタカタ(いいえ)。
見つめ合う私と黒騎士の沈黙の間を、一陣の木枯らしが吹き抜けていった。
「お話はあとでゆっくり伺います。まずはこの馬をどうにかしないと」
興奮気味の馬達を捕まえるのに手間取っている守兵らに、私が指示を出そうとしたとき、黒騎士がヒラリと馬から降りて、馬の首元を軽く叩いた。彼の黒馬はその合図に応じるかのように、混乱している馬達の方に向き直ると一声高くいなないた。すると、その他の馬達は一斉に大人しくなって、まるで王に従う家臣のように黒馬のところに集まってきた。
「あら、お前偉いわね。ありがとう」
思わず褒めると、黒馬は「どういたしまして」という声が聞こえそうな仕草で、馬首を一振りすると、そのままスゥっと虚空に消えていった。
なんだろう。やはり生き物の顔があって目の表情や耳元の仕草がある方が、意思を読み取りやすいからだろうか。黒騎士より彼の馬との方がコミュニケーションがスムーズだった気がする。
ふと思ったことを一旦飲み込んで、守兵が馬を確保したのを確認する。
「すぐに荷と鞍と馬具を外して。焼印と怪我の有無を確認。問題なさそうなのから蹄鉄を外して付け直してちょうだい」
「いつもの要領ですな」
「数が多いから急いで」
やることは多い。
荷は解いて中を確認。神聖帝国産と由来が同定できたり私物として特徴があるものは、全部細くして必要なら焼却。これには馬具も含まれる。
もったいないものもあるが、迂闊に残すと窃盗の証拠になってしまう。
また、書や手紙、硬貨、貴金属など貴重品は一旦全部集めて判断する必要がある。兵が個人でかすめて売りさばこうとすると、そこから足がつくからだ。
我ながら出している指示が盗賊団の女首領のようで嫌だが、実は乗り手のいない馬を保護するのはこれが初めてではない。これまで敗戦のどさくさで乗り手を失った軍馬と荷馬を、飢えた敗残兵に食われる前に確保してきたのである。その中にはもちろん神聖帝国の馬もいた。敵国とはいえ、馬種はそれほど変わらないので付属物を何とかしてやれば、基本的に見分けはつかない。
黒騎士が戸惑ったように、守兵らの様子を見回しているので、声をかける。
「館の方で筆記具を用意します。何があったか顛末を書いてください。グレン、案内して道具を揃えてやってちょうだい」
「はい、奥様」
すぐに動こうとせず、こちらを見ている黒騎士に私はにっこり微笑んだ。
「状況が確認できるまで、あなたは外出禁止です。いいですね。意思疎通が困難な状況で独断専行はいけません」
金属の小手とチェインメイルで覆われた手から槍を取り上げる。
黒騎士はいささかしょんぼりして、グレンに連れられて屋敷に入っていった。かわいそうだが、半端に神聖帝国の兵に危害を加えていたとしたら、ここの周囲で出歩いているところを神聖帝国の追っ手に見咎められるのはまずい。
私は、後で少しは優しくしてあげたほうがいいだろうかと迷いながら、今後の対策を考えた。
「ヴィクトリア様。焼印と怪我のある馬を集めました」
「今、行きます」
まずはできることから片付けてしまおう。
私は己の内なる魔力を練り始めた。身体の芯が熱を持つ感覚を拾いながら、ゆっくりと呼吸を整える。
「こちらです」
その場に集められた馬は、焼印と怪我の位置にチョークで印を付けられていた。全頭の印を確認した私は、内なる魔力をさらに高めた。
側頭部の角質が放出される魔力光で金色に輝きだす。
角によって制御された魔力は私の思念が形成した術式に従って、本来、癒えるはずのない傷を回復させていく。
数はあるがどれも大した怪我ではないので、あっという間に治った。
「相変わらずお見事ですなぁ」
「本来、こんなことに使う魔術ではないのよ」
王家の秘術を馬泥棒に使っていると言ったら、代々の王族に叱られるだろう。
私は少しだけ伸びた角をさすりながら、苦笑した。じきに元に戻るのだが、これから黒騎士のところに行くのに、少し体裁が悪い。怖い女だと思われないだろうか?
私はそこで自分がまだ槍を持ったままであることに気がついた。
今更か。
魔導王の血を引く有角の公女は、首無し騎士と対話するために、己の領館に踵を返した。
半刻後、出していた斥候が戻ってきた。
鬼嫁じゃないよ。




