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戦場から夫の鎧が帰ってきました  作者: 雲丹屋
第2章 激流と雷の支配者

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今日を話して明日を約束できる相手がいるという幸せ

「今日も傷も汚れもなし!」


 私は黒騎士の全身を点検し「ヨシ!」と指をさして肯いた。

 我が愛しの鎧殿は本日も完璧である。やはり甲冑師(アーマラー)のサムソンを同行させて良かった。各部のパーツの歪みもベルトのたるみもない。


 昨夜、大鍋を持たせて揺らぎの中を移動させてみたところ、蓋をした鉄鍋の中身は消えなかったし、蓋を外した状態で持ち帰った空の鍋の内側にも汚れが残っていた。厨房で洗うときに確認させたが、外側である鍋底には煤汚れが残っていたらしい。だから、この鎧の汚れが完璧に落ちている現象は、揺らぎの中を移動することとは単純に結びついていないものと推測される。彼が持ち帰った人形の泥汚れが落ちていなかったところを考えると「綺麗になってほしい」と本人が思うかどうかは別問題だと推察できる。


 引き続き揺らぎに関する検証は必要だと心のメモに覚書を残した私は、それはそれとして今夜はまず、彼の手を引いて、ホールのタペストリーの前に案内した。


「見て! 綺麗になったでしょう」


 埃を払ってかけ直したタペストリーを見上げた黒騎士は、私の話がどちらに行くのかわからず戸惑っているようだった。私はずっと誰かに話したかった今日の発見をうきうきと彼に教えた。


「ほら、ここの装飾文様もはっきりして動植物の意匠が前より見やすくなったのよ。それで、これを見て気になったのだけれど、バロールって昔は今よりも水も緑も豊かだったのかしらね」


 かなり抽象化されていたり様式化されているのでわかりにくいが、明らかに今のバロールでは一般的ではない動植物が描かれている。

 もちろん絵画の中に実在しない動植物が描かれることはある。王都の王城にある絵画やタペストリーの中には、完全な伝承や伝説を描いた物も多くある。そういう絵では想像上の果樹や幻獣などもモチーフとして描かれているが、それにしてもそのモチーフ自体は、その絵が描かれた時代にはよく知られたものに由来する。

 そして画面内で主題の外側を構成する"背景"には、往々にして画家のよく知っているものが並ぶ。画家の手癖というやつだ。手癖という意味では、典型的な様式をうろ覚えで拝借したと思しき手抜きの草花文様も安物にはよく見かける。だが、それですらも"その時代にはその草花が身近であった"という証なのである。


「ほらここ。よく見ると白斑ではなくて馬と羊の群れなのよ。きっと草原だわ」


 現在、バロールで軍馬などに使われている馬種は他国とそれほど変わらない。しかし、荷馬車などで使われている大型の馬はバロール馬と呼ばれている固有種だ。そして、もしバロールの荒地が以前は広い草原だったのだとしたら、体の大きい馬が沢山いたというのは肯ける。

 また、草原が広く広がっていて羊が放牧されていたのだとしたら、このような大きなタペストリーを作れるだけの羊毛加工の文化があったことも納得できる。これらのタペストリーは富裕だった時代に領外に発注して買い付けたものではおそらくない。領主館内に複数点あるすべてが似た様式であることもそうだが、同じようなものがギリ峠の本陣にもあるのだ。領内に作れる職人がいたとみる方が素直だろう。


「それにこれが伝説上の架空の土地を描いているのではなくて、バロール全図だとしたら……」


 私はタペストリーの中ほどを指さした。


「この鱗のある前足と尾鰭のある大きな怪物が描かれている場所の周りが他と色が少し違うのだけれど、これ、湖だと思わない?」



 §§§



 思いつくままに一通り楽しく自説を話した私は、その間ずっと繋いでいた手を確認してみた。


「戻っていない。やっぱり、一晩ぐらいかけないとダメなのかも」


 なんのことかと首を傾げる黒騎士に、私は先日、夜明け前に少しの間だけだが彼の右手が人の手らしくなった件を説明した。


「条件を特定して再現できれば、あなたの全身を取り戻せる可能性があるわ」


 私は両手で彼の手を強く握った。


「ね、協力して。一緒に頑張りましょう!」

 カ……カタリ(はい)。


「今のところ現象の観測は一度。誰か人間と一晩隣接することだけでは発生しないのは検証済み。……だったわよね?」


 添い寝実験は、サムソンが風邪を引いただけで終わったと聞いている。貯木場では夜間の冷え込みが悪かったのかもしれない。


「その冷えやすい金属の身体を、一定時間、十分に暖かく保てば良いのか、次は温度面から検証してみましょう」

 ……カタリ?


「ほら、あの晩はこうして右手だけ温めてしまったから……」


 と、話にかこつけて私は彼の右腕にぎゅっと抱きついた。ひんやりして気持ちいい。


「だからね、今度は()()()温めてみたらどうかと思って」


 腕を抱きしめたままチラリと見上げると、黒騎士は一拍考えた後、とても力強くガチン!と兜を鳴らして同意してくれた。


 私は黒騎士を階上に連れて行こうと、機嫌よく階段を上りかけて、はたと気がついた。


「あらいけない。そういえば今夜はフォス村到着日で歓迎会だったわね。引き止めちゃ悪いわ」


 私は階段の途中で振り返り、引いていた黒騎士の手を手繰り寄せるように胸元で両手で握った。ちょうどいい段差で互いの目線の高さが揃う。私は彼をじっと見つめて約束した。


「では明日の夜に」


 黒騎士はなぜか一歩よろけて、段を落ちかけてから、ずいっと身を乗り出して、私と同じ段に片足を踏み出して顔を寄せてきた。


「え? 何?」


 ハイとイイエで答えられない質問は相手を困らせてしまうと、すぐにハッとして言い換える。


「嫌?」


 黒騎士がときどき見せる仕草を真似てちょっぴり小首を傾げてみたら、彼は寄せていた顔を反らせ、まるでため息をつくようにガクリとうつむいて、私に握られていない方の手で顔を覆った。

 しまった。他人に癖を真似されるのは不愉快だったのかもしれない。

 あるいは彼がやると可愛いのだけれど、私には全然似合っていない仕草だったのかも……。


「あっ、じゃあ、それは明日でなくても、またあなたの都合が合うときでいいわ」


 私は失態を取り繕うべく、そそくさと階段を登った。


「そうそう、それからね」


 執務室の前で振り返った私は、大股に段を登ってたちまち追いついてきた黒騎士に「いいものを用意したの。ちょっとここにいて」と言って執務室で待たせた。


「ほら、こんな袋を作ったの」


 私が急いで私室から持ってきたのは、人形を入れるための小さな袋だ。首から下げられるように紐もつけた。頑張って刺繍も入れた自信作である。


「私も、お揃いよ」


 私は襟の内側に指を入れて紐を手繰り、胸元に突っ込んでいた自分用の袋を半分ほど引っ張り出した。


「ね、こうして入れておけば落とさないわ」


 袋の口を開けて、黒騎士人形を顔が出る分ぐらい袋から出して見せてあげる。

 黒騎士は私のドレスの胸元にいる人形をじっと見つめた。……彼が見ているのは袋と人形なのだろうけれど、兜は視線がよくわからないのでちょっと恥ずかしい。

 私は人形の頭をキュッと押し込み、ドレスの胸元をちょっと引っ張って直した。


「ええっと……こっちがあなたのよ」


 私は彼に持たせていた人形をその小さな巾着袋に入れて、彼の首から下げてあげた。


「それから、これはログ先生へのお手紙で、こっちは派遣隊への追加調査細則。それでこれは河川工事部隊宛の今後の予定の修正指示書。ルオボ川の工事はいったん全面的に休止して、部隊はタキリの町に撤収。ただしこの名簿に上げたメンバーと機材は派遣隊の荷馬車と一緒にこちらに帰還。ああ、最前線へ毎日指示が出せるってありがたいわ」


「お願いね!」と胸郭をトントンと軽く叩いたら、書簡をいっぱい抱えた黒騎士は、なぜだかやや力なくカクンと肯いた。



 §§§



「おや、鎧の旦那。おかえりなさい。今日はお土産はなしですかい?」


 フォス村のはずれの荷馬車のところに戻ってきた黒騎士を見つけて声をかけたサムソンは、その甲冑の胸元に何かが赤い紐で下げられているのに気が付いた。


「なんですか? そりゃ」


 触ろうとしたサムソンの手を黒騎士はさっと避けた。


「んん?」


 怪訝な顔をしたサムソンに、黒騎士は書簡の束を押し付けて、自分はその胸にかけていた小さな巾着袋を大切に両手でつまんで、そっと胸部装甲の中に突っ込んだ。



「あ~、黒さん帰ってきてる~。ねえねえ、なんか面白そうな話があるんだよ~。来て来て」

「バカ! 面白そうなって言うない。ここの人にとっちゃ厄介なトラブルみたいなんだぞ」


 村の中心の篝火の方から走ってくるディックとボーの声に、夜空よりも黒い騎士は静かに振り返った。

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― 新着の感想 ―
 ちょっと黒騎士さんがかわいそうになりましたね〜(笑) 奥様は無自覚なんでしょうし、そこがまた可愛いですね。 まあ、頑張ってください 私、男の痩せ我慢は美しいと思う変態なので!(どきっぱり!)
無自覚でしょうが、ヴィクトリア様がハニトラ仕掛けてる、としか思えませんでした。それと黒騎士様、視覚あるんですね。ガン見してますが、もしや、バレてないと思ってます? ヴィクトリア様がおそろいのグッズには…
そっか、鍋洗わないでー! ってそういうことだったのか かっしこーい
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