惑乱のギリ峠
「さて、どうしたものかしら」
私は黒騎士が姿を消した虚空を遠い目で眺めた。
「一人で行っちゃったわね」
「坊っちゃんは昔から、いささか短慮で粗忽なところがありましたが……本人だとしたら、治らんものですな」
「本人でなかったら、そんなところを似せてくる必要はないのに」
黒騎士は、槍を渡した途端に張り切って馬首をめぐらし、風のように駆け去って出立してしまった。館の前庭の道を走る騎馬の前方に陽炎のようなモヤが現れたかと思うと、彼はそこに吸い込まれるように、すうっと消えてしまったのだ。幽世の者らしい行動だが、現場で指揮を執る必要がある身としては、効果が予測できない独断専行は大変に困る。私はそれほど軍事に明るくないからなおさらだ。
館の守兵が整列し、予備役の年寄り達が集まり始めたところで、私は隊長格に状況を説明して、判断を聞いた。
守備隊長のムーアは、中央に窪みのある男性的な顎をさすりながら、濃い眉を寄せた。
「単に消滅したのであれば、依然として解決していない問題を我々で解決すればいい話です」
「そうでないときは?」
「バロール領主籍の武装兵が勇者と明確に敵対し、積極的に戦闘行為を行うと、いささか問題があるかと」
「そこよね」
戦時中ならまだしも、敗戦後であちらが合法の立場である現状では、迂闊な戦闘行為は、バロールに謀反の意思ありとみなされて、取り潰しの口実にされかねない。
沼地と荒地ばかりの、旨味のない北の僻地だから見逃されている我が領だが、目立てば叩かれて利用される。最悪、停戦で終わった戦を完全占領にするための再戦のきっかけにされかねない。
さっきは黒騎士が惚れ惚れするほど格好良くて、ついテンションが上がってしまったが、まだ戦後の領地や利権の配分がちゃんと終わっていない今、できれば穏便に収めたい。領主代理というのは色々と難しいものなのだ。
「いっそ、綺麗に全滅させて来てもらうとありがたいですなぁ」
「グレン。旦那様って、あなたのそういうところを学んでお育ちになった?」
「坊っちゃんはバロール男としてはしっこしが足りませんでした」
「グレン殿、バロールの男をお主の基準でひとまとめに語らないでくれ」
「ムーアは小さい頃から、顔ばかりいかつくて慎重だからのう」
「守備隊長には最適の資質よ」
ムーア守備隊長は控えめに目礼して、話を進めてくれた。
「先行して5人、非武装の斥候をギリ峠に走らせています」
「ギリは、街道を閉鎖したときに宿の類は引き払わせているから、住民は少ないはずだけれど、被害状況によっては一時的な全村移転も視野に入れる必要があるわね」
「中期対応は現場の様子が判明してからでもよろしいでしょう」
「あそこは"山賊"もいるのよ……変な揉め方をしないといいけれど」
「そこは悪い側の事態を想定して動きます」
「そうね。まず峠から見える範囲の手前まで隊を進めてちょうだい。演習名目で」
「承知しました、奥様。守備隊、演習に出立いたします。……バロールの平穏に仇なす怪異がいた場合はこれを殲滅しますが、よろしいですね」
「ムーア、あなたも根っからのバロール男だわ」
「お褒めにあずかり光栄です」
守備隊長は胸に拳をあてる軍式の略式礼を返した。よく見れば最初から演習装備の軽鎧だ。私から細かく言わずとも任せて大丈夫だろう。
「生存している領民の保護を優先してちょうだい」
グレンが片眉をあげて「よろしいのですか?」と言外に言ってくるが、素知らぬ顔をする。現場に判断を任せるのならば、最悪の事態の時の責任の所在は明確にしておいてやらねばならない。"慎重な"ムーア隊長なら、与えた権限は本当に最後の手段にしてくれるだろう。
あの黒騎士を信じて、命を与えたのは私だ。アレが成したことの責任は私が取るのが筋というものだ。
……とはいえ。
「動く鎧が暴れた責任って、どういう建前があれば無難に収まるかしら」
「動く鎧がすでに無難ではないですな」
私は黒騎士が姿を消したあたりをもう一度見て、ため息をついた。
§§§
「イラーナ様、起きてください」
「にゅ?」
「ほら、しゃんとして」とディーノはイラーナの顔を手ぬぐいで拭いつつ、耳元でささやいた。
「敵襲です」
がばりと立ち上がったイラーナは窓の外を見た。日は昇ったばかりのようで、それほど眠ったわけではなさそうだ。洗濯物が入った籠を持った今朝方の村娘がこちらに駆けてくるのが見えた。
「勇者様、大変です。早くお逃げくださ……きゃぁ!!」
激しい馬の蹄の音がしたかと思うと、窓で切り取られた視野の外から現れた馬上の男が、通りすがりざまに娘を横抱きに抱えて拐った。
「今朝の賊徒か」
イラーナが表に飛び出すと、むさ苦しい賊がわらわらといた。
「おうおう。これが噂の勇者殿かよ。ちっけぇ小娘だなぁ」
「なんの用だか知らねぇが、ここいらは俺等の縄張りよう。とっとと帰って、洗濯板は大人しく井戸端で洗濯してな」
「この……っ」
「勇者様、お逃げください! ああっ」
賊徒の首領らしき男は、抱えていた村娘を締め上げ、髭だらけの顔でにたりと笑った。
「なんならテメェも今夜の前座に使ってやってもいいぜ」
「何を、この下郎めが」
「イラーナ様」
イラーナは、自分の半歩前に体を割り込ませたディーノを睨んだ。
「突っ走るのは悪い癖ですよ」
彼の目配せにイラーナはハッとした。ディーノは付いてきてくれたが、いつの間にか本陣にいた部下達と分断されている。部下達が出てくる前に、出入り口を賊に塞がれたのだ。見張り役を置いていたはずだがイラーナの位置からは様子がわからない。
武装した賊徒に囲まれ、傍らの味方は優男の従者ただ一人。それでもイラーナは気丈に叫んだ。
「その人を離しなさい!」
「わからん嬢ちゃんだな。怪我する前に帰れっつってんだよ。」
首領の恫喝に合わせて賊徒どもが威嚇するように身構える。
イラーナは法衣の胸元に手を差し込み、首から下げた金鎖の先に手を伸ばそうとした。
「おっと、"勇者武装"はお断りだぜ」
賊の首領のドスの効いた脅しにイラーナは動きを止めた。
周囲の賊が一斉に武器を構える。
「もの知らずな田舎者と侮ってもらっちゃ困るぜ。お前ら神聖帝国の勇者って奴らが、聖珠とやらを使って不可思議な手妻で武装してるって話は有名なんだよ。なんなら……」
髭面の首領は毛皮のチョッキとボロ着の胸元をかき分けて、鎖の付いた飾り物を取り出した。
「俺も一つ持っているんだよなぁ」
じゃらりと鎖を下げて掲げられたのは、小さな卵型をした宝飾品で、黒ずんだ金属製の装飾格子の中にくすんだ煙水晶が入っている。
「それは!」
イラーナは目を見開いた。
隣でディーノも目を細める。
「イラーナ様、ハキマーの宿営地を襲った賊が釣れましたよ」
「それは危険なものです! 返しなさい!!」
「勇者というのはアホなのか。この状況で返せと言われて返すわけがないだろうが」
「"冥き者"は忌むべき存在です。速やかに聖殿に戻して正しい手続きを……」
「やかましい!」
苛立った首領の手元で、繊細な金属細工がミシリと軋み、彼が腕を振り上げた拍子に、突端に付いた小さなピンが外れて落ちた。壊れた聖珠の歪んだ格子の間から黒い焔が噴き出した。
「ああっ」
「ぬおっ!? なんだこれは」
噴き出した黒い焔は宙空で渦を巻き、太い鎖の形に凝縮した。小さな卵型の聖珠に収まるわけがない量の、幾本もの黒い鎖が四方八方に伸びた。ジャリジャリと音を立てて鎖がイラーナにも迫る。
「勇者様、危ないっ」
賊の首領に馬上で横抱きに抱えられていた村娘が、聖珠を掲げたままあっけにとられている首領の腕をつかんで馬から身を投げるように引き倒した。不意を突かれた首領の手から聖珠が飛ぶ。驚いた馬が棹立ちになり、首領と村娘は馬から転がり落ちた。
伸びた鎖は周囲にいた賊徒達に巻き付き始め、辺りは騒然となった。
「イラーナ様、お下がりください」
「アレを回収しないと」
「ひとまず立て直しを」
イラーナに迫る鎖を打ち払いながら、ディーノは彼女を建物の陰の鎖の届かないところに引き込んだ。
落ちて壊れた聖珠からは、黒い焔と鎖が湧き出し続けた。
乗り手を失った馬達が恐慌をきたし、鎖は人々を襲って建物の軒端や柱を打ち壊し、その場は大混乱となった。
「勇者様! ご無事ですか!」
「おわあぁあっ」
やっと本陣の建屋から出てきた聖騎士達は、賊達と同様に鎖に襲われ、個々に奮戦する羽目になった。が、そこは聖騎士。イラーナを保護すべく、なんとか連携し、密集して盾を構える形で体制を立て直し始めた。
壊れた聖珠から湧き出した黒い焔と鎖の塊は、いつの間にか宙空に浮かび、その只中に何やら人のようなシルエットを形作りつつあった。
「冥き者が……解き放たれる」
「総員、勇者殿をお守りしろ!」
「イラーナ様、こちらへ」
「くっ」
聖騎士達に守られて、その場を離脱しようとしたイラーナは、先ほどの村娘が落ちた聖珠に飛びつこうとしているのを、彼らの盾の合間から目にした。
「それに触れてはダメ!」
「こんなもの! ……きゃああ」
聖珠を掴みかけたとき、村娘の上から冥い焔をまとった鎖の塊が雪崩落ちた。
「今、助ける」
「いけません、勇者殿!」
怒号と悲鳴が交錯する混乱の場に、ひときわ大きく馬のいななきが響き、人々は重い馬蹄の轟きを聞いた。
「なんだアレは!?」
その漆黒の騎馬は朝日を背にして現れた。そして、行く手のすべてを吹き飛ばしながら、真っ直ぐに突っ込んできた。馬上の黒い騎士が手にした槍を振るうごとに、瓦礫は消し飛び、鎖は切り払われ、鎖に絡め取られて締め上げられていた賊徒らも吹っ飛んだ。
「いけない! そこには人が!!」
黒騎士の槍先が冥き者の鎖の塊に向かう瞬間に、イラーナは護衛の守りから飛び出して、鎖の中に取り込まれた村娘を助けようと手を伸ばした。
踏み出した先は、井戸端のぬかるみで足が滑る。
イラーナの手は届かず、視点は反転した。
「ああっ」
したたかに肩をぶつけたイラーナが、顔を上げたとき目に入ったのは、馬上で村娘を抱えた黒騎士だった。
黒騎士は、手にした槍をブンと一度振って、槍にまとわりついていた鎖の断片と焔を祓った。鎖は実体を失ってボロボロと崩れながら焔と化し、宙に溶け込むように消えていった。
黒騎士は抱えていた娘を、たいそう優しい手つきでそっと降ろした。
「あ……貴方様は……」
ふらつく村娘の手を取って、馬から離れるように促しながら、黒騎士は黙って首を振った。ハッとして数歩後ずさった村娘に鷹揚に頷くと、黒騎士はさっと馬を返した。
ぬかるみにへたり込んだまま、ポカンと口を開けてそれを見上げていたイラーナに気づいたのか、黒騎士はそこで手綱を一度引き、槍を持ち直した。
「ひゃっ」
思わずペタンと座り込んだイラーナの前の壁に、黒騎士は槍の穂先を走らせた。
『疾く還れ』
大きくメッセージを書き終えた黒騎士はクルリと槍を回すと、漆黒のマントを大きく翻した。そしてまるで高笑いするような馬のいななきを残して、疾風のごとく去っていった。
「待て、貴様、何者……っ!?」
あっけにとられていたイラーナは、我に返ってあわてて黒騎士を追おうとしたが、起き上がりかけた彼女の目の前で、馬の蹄が水たまりを踏み、盛大に泥を被る羽目になった。
「ぶへっ!」
「イラーナ様」
辺りに散っていた馬が、一斉に黒騎士の馬を追うように駆け出していた。道端に座り込んでいたイラーナは馬に踏まれかけたが、ディーノに引き起こされギリギリ助かった。
しかし、急いで勢いよく引っ張られすぎてよろけた彼女は、そのまま逆方向に倒れて、井戸端に置かれたままの洗濯用の木のタライに突っ込む羽目になった。
駆け去った馬群の蹄の音が遠くなり、辺りに静寂が戻ってきた。
前髪から落ちる水を払うこともしないまま、タライに尻もちをついて呆けていた勇者イラーナは、黒騎士も、冥き者も、ついでに山賊もいなくなったギリ峠で盛大に癇癪を爆発させた。
水も滴るいい勇者(笑)
各話の感想、いいねなどありがとうございます!
とてもうれしいです。わくわくしながら感想返しをせっせと書いています。(笑)
そして評価☆は作品で1回だから完結してから……と思っていらっしゃる方!本作はけっこう長編です。なかなか終わらないので、「あー面白かった」と思った時点で、勢いでこの下の☆マークをクリックしちゃってください。(^∇^)ノ♪
☆って何のこと?と思っているあなたのために以下に解説をご用意しました。ご存知の方は読み飛ばして良いですよ(^∇^)ノ♪
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