賑やかな道中
貯木場で必要な資材を積んだ荷馬車の隊列は、丘陵地帯と森の境をゆっくりと東に進み、本格的にトールス山系に入る手前で緩やかに北に進路を変えた。荷馬車に混ざって1台だけある箱馬車で、明け放たれた窓から入ってきた明るい日差しにボーは目をしばしばさせた。
「今、どの辺りかな」
「この辺りだろう」
右手の親指の腹をディックにぎゅっと押されて、ボーは「痛い、痛い」と騒いだ。
「おいおい、偉い人の馬車なんだから騒ぐなよ、ボー」
「ひどいや、ディック」
「はっはっは、そこを押すと眠気覚ましになるし、体にいいんだぞ~」
「そうなの? あ、ほんとだ。なんかモミモミすると痛いけどちょっと気持ちいいかも」
「ディックさんは、様々な生活の知恵をよくご存じですね」
馬車の同乗者は、わいわいといつも通り無駄口を叩いている二人を疎ましく思う様子もなく、穏やかに丸眼鏡の奥の目を細めた。
「いやぁ、俺のは知恵なんてもんじゃないですよ。先生は王都の偉い学者様なんですって? そんな人にそんなこと言われちゃぁ、ケツが痒くなっちまうよ」
「ディック、お尻はよく洗わないとダメだよ。いい馬車にダニとシラミは持ち込まないでよ」
「うるせぇ、ボー! そういうこっちゃないんだよ。あと俺は綺麗好きだ」
やいのやいのとまた騒ぎ始めた二人に、"先生"と呼ばれた灰色の長衣の男……ローガンは右手の"この辺り"とはどういう意味かと尋ねた。二人が護衛のラリーからの受け売りの説明をすると、王都出身の学者は興味深そうにうなずいた。
「なるほどバロール平原を手のひらに例えたのですね。それは面白い。たしかにこの南東部は台地になっていて少し上がっているようですから親指の付け根というのは、あなたの手の印象通りですね」
「ボーの手は分厚いからな」
「えへへ、手が分厚いのとあったかいのは自信があるよ。うわー、学者先生の手はうっすいなぁ。なんか頭良さそうな手だ」
そこで一同は、向かい合わせの6人掛けの席の端っこに座っている黒騎士も、自分の右手をじっと見つめているのに気が付いた。
「黒さんの手はおっきいよね」
「そうそう。強そうだ」
「聞いたよ。昨日、すごかったんだって」
「なにがあったんですか?」
ディックとボーは、昨夜、サムソンから聞いた話をローガンに語った。
§§§
それは貯木場で男達が材木を荷車に積み込んでいるときだった。
吊り上げている最中の木の縄の結び方が悪かったのか結んだ位置が悪かったのか、とにかく向こうで足場に使う太い丸太がバランスを失ってずり落ちかけた。
貯木場で働く男達は吊り荷の下には絶対に入らないのだが、その時は運悪く一人の爺さんが丸太の真下にいた。地元の年寄りが貯木場がいつになく賑やかなので様子でも見に来ていたのだろうか。ぼろをまとった白髪の爺さんは、とてもではないが落ちてくる丸太を避けるのが間に合いそうになかった。
その場にいた皆が「あっ、もうだめだ」と思った瞬間、一陣の突風が作業場を吹き抜け、材木を吊る腕木が大きく揺れたかと思うと、ズンという鈍い音と共に、大きな丸太は地面に下されていた。
何が起こったのかと皆が呆気に取られている前で、漆黒の鎧をまとった騎士は爺さんを気遣いながら、丸太を片手で軽々と担ぎ直して「ここに積めばいいのか?」と尋ねるように荷台を指さした。現場を指揮していた親方ががくがくと肯くと、黒い騎士は丸太の端を持って、ありえない膂力で豪快にぶうんと回してその向きを変え、しかし丁寧に荷台に積んだ。
荷台にきちんと置かれた丸太の端には、黒騎士の手の型がくっきりとついていた。
§§§
「それで、サムソンさんに怒られたんだよね」
「お爺さん助かってよかったのにね」
「黒さんはいいことをしたし、偉い!」と褒めるボーの隣で、ディックは「そうだ。これを渡すのを忘れてた」と言って、持っていたズタ袋から何やら革製の物を取り出した。
「なんですかそれは」
「これを話してくれたのがサムソンっていう甲冑師の親方なんですけどね。その親方が、黒さんがあの手で色々触っても、手甲の尖ったところで傷をつけないか心配しないでいいようにって作ってくれたんですよ」
「ほら、黒さん。おっきな手袋だよ。すごいでしょ」
茶色い革製の手袋は、細かい鎖と精密な装甲でできた黒騎士の手甲をすっぽりと覆うミトン型で、ばかばかしい大きさだった。それをはめた黒騎士は元々の格好良さがどこかに吹き飛んで、ひどく間の抜けた感じになったが、ボーは「うん! 似合う似合う」と絶賛した。
黒騎士は反応に困った風に、自分の大きな手袋をじっと見ていたが、斜め向かいの席に座っているボーの膝をその手でむぎゅむぎゅ押した。
「わ、わ。やめてくださいよう」
「あはは。たしかに痛くはなさそうだ」
ディックは「でも、その手袋をはめているとカードはできないね」と言って笑った。
§§§
「もうすぐトリル村ですよ」
ローガン先生がカードゲームのルールを完全に把握して、これは必勝法がこうだろうと試した挙句、運でボーにボロ負けしたころ、窓の外からラリーが声をかけてくれた。
「へー、どれどれ。見えてきた?」
「まだですよ。でも、ほら。あそこに道祖柱が見えてきた」
窓から顔を出してラリーが指す方向を見ると、道の脇に白い石柱が立っていた。
「あ、ルマだ!」
街道での休憩の目安になる石柱をこれまで楽しみに毎回数えていたボーは「10本目」と喜んだ。
「ルマというのは道標のことですか?」
学者のローガンの問いかけにラリーは「ただの道しるべってわけでもないですね」と少し考えてから答えた。
「なんというか、古い神様みたいなものだってばあちゃんから教わりました」
馬車が石柱の脇を通るときにラリーは「ほら」と石柱の表を指さした。
「黒い筋が刻まれているでしょう。あれが昔々のここの人が信じてた神様を表しているそうです」
「へーえ、あの柱そんなに古いものなんだ」
「ああ、それはそんなことはないんだって。あれはけっこう新しく立て直したもので、バロールが今よりもっと豊かだったころにその時の領主様が奮発して街道沿いにいっぱい建てたらしいよ」
「ふーん」
馬車の脇を通り過ぎていく石柱を、身を乗り出して見ていたローガンは「バロールの白花崗岩ですね」と言った。彼の言うところによると、バロールは昔、その石材の産地として名高かったことがあり、王城の一角にもバロール産の白花崗岩が使われた部屋や廊下があるという。
「知らなかったなぁ。どれぐらい昔?」
「うちのばあちゃんのばあちゃんが子供だった頃より前」
「それを、けっこう新しいっていうのは間違ってるよ!」
「それだけルマの元になっている伝承が古いということでしょう」
ローガンはルマに書かれた黒い筋はこの魔導王国北方に伝わる古い伝承の古代神エーレか、あるいはその原初の深淵を表しているのだろうと解説を始めた。
「玄冥というのは地下の暗黒であり、死者の魂が沈む原初の幽冥であり、古代の人々の死と夜に対する恐怖が信仰として神格化された神です」
「へーえ。なんだか怖いねぇ」
「神様ってのはよくわからないんだけど、魔導王様みたいなものなのかい?」
「魔導王様みたいに実在する超絶した力の個人とはちょっと違って、人の力ではどうにもならないことへの恐れや畏怖を擬人化して考えやすくして敬ったものでしょうか。私も神を信仰したことはないので正確なところはよくわかりません」
「神聖帝国の神様ってのも一緒なのかな」
「あれはもっと何か異質なもののように思いますね。少なくともエーレのようなこの国の古代の神々とは完全に源を別にする何かです」
「ふーん」
馬車に奇妙な沈黙が下りた時、荷馬車隊の前方からトリル村が見えたとの声が聞こえてきた。
①②と来て、③に到着です。(目的地は④)
-[簡易地図]---------------------------------------
~L 山地^ 荒野 ④^トールス
~L^^^ ③ ^^^山系
~L^^^ ①領主館 ▲②▲▲▲▲^^
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~:海、^:山、▲:森
②貯木場、③トリル村、④フェス村
ヴィクトリアの出番を入れられなかったので、次回はヴィクトリア回!




