貯木場
針葉樹の暗い緑の葉が空を半分覆い隠している。
うつらうつらしていたボーは、がくんと馬車が揺れた拍子に吸い込んだ冷たく湿った空気で、鼻の奥がスッとして目が覚めた。
「森の匂いだ」
荷馬車隊は夕刻になる前に最初の目的地に到着した。
§§§
肩当てを巻いた男達が、エイサエイサと声を上げながら大きな木材を吊り上げて馬車に積んでいく。男達の身体からは白い湯気がもうもうと上がっている。ディックとボーは抱えて運べる程度の板を運びながら「すごいねぇ」と感心した。
「馬小屋の梁になる木かなぁ。馬車のあんな長い荷台からもはみ出ちゃってるねぇ」
「積むのはいいとして降ろすのはどうするんだろうな」
貯木場の滑車の付いた腕木のある柱を見上げながらディックは思案した。
「馬車の荷台の脇の柵を倒せば転がり落とすだけでいいんだよ」
板を運んで行った先の荷車にいた大工の親方はそう言って笑った。
なんなら馬小屋を建てるときはあの梁を屋根まで上げなきゃいけないんだから馬車から降ろすぐらいでガタガタいっていられないと言われてしまうと、素人の二人としては納得せざるを得ない。
「これ、戸板ですか? 最初っからこんな風にできあがっている物を持っていくんですね」
「ああ。建てるもんがもう寸法から何から決まっているから、作って持って行った方が早いんだ」
この貯木場には木材加工のための木工所もあって道具がそろっているから、作れるものは作ってしまって、現地では組み立てるだけにしているのだという。ヴィクトリアが村に馬を導入するときは馬用の馬小屋や飼葉置き場、水桶など、必要な施設一式を村に新設するところから始めるので、もうその図面は定型で決まっているらしい。
「馬小屋を建てに行くのは、俺はこれで3回目だからな。慣れたもんよ」
同じ手順の繰り返しなので、職人もすっかり要領が呑み込めていると親方は自慢した。最初の頃は無駄な失敗もしたし、村人ともめたこともあったが、今ではすっかり段取りができ上っていて、村でやる仕事のうち何を村の人にやってもらうかの人割りや教育担当まで決まっているという。
「えええ? 僕らも頭数に入っているのかな」
「兄ちゃん、おまえ体も大きいし力あるじゃねぇか。入っていなかったら今からでも入れてやるよ」
「遠慮します~」
ディックとボーは逃げ出そうとしたが、レンガを荷馬車に積む仕事を言いつけられてしまった。
§§§
「レンガってこんなところで作っていたんだねぇ」
「俺はレンガってどこかで作るって考えがそもそもなかったよ。言われてみればどっかで焼かないとレンガは生えてこねぇし、小さい村では焼く窯がないよな」
「村では窯を作るほどレンガが必要じゃないですし、窯にくべるほどの木を用意するのも大変ですから」
「そうなんだ……って、ラリーもレンガ載せる仕事しに来たの?」
護衛のラリーは、レンガを荷台に積む仕事を手伝わされていた二人に「ちょっと来てほしい」と頼んだ。
§§§
「黒さんのお世話?」
「名簿では君達が黒騎士の従者ってなっているから」
「そうだったんだ」
「知らなかった。なんで館の内勤の俺らが呼ばれたのかなって不思議だったんだ」
「それで、お世話って何すりゃいいの?」
ラリーは二人を連れて、貯木場のチップが敷かれた馬用の小道をザクザク歩きながら、「それが……」と言葉を濁した。
どうもラリーは館を出るときに、黒騎士にはあまり目立つようなことはさせないよう気を付けて欲しいと言われていたらしい。それで名目上は護衛役なのにもかかわらず、黒騎士は騎馬ではなく箱馬車での移動となっていた。ところが……。
「あの人……人? でいいのかな。とにかく黒騎士さん、みんなが働いていると様子を見に来て手伝おうとするんだよ」
あのなりでうろうろして人目に付くことをされると困るので、一緒にいて馬車かどこかで大人しくしているように見張っていてほしいと頼まれて、ボーは一つポンと手を打った。
「なるほど! 子豚の世話とおんなじだね!」
「一緒にすんな」
とにかく、二人は黒騎士を探すことにした。
§§§
「だから、その鎧は力仕事をするようにはできていないんですよ。そこんとこ、わかってますか」
黒騎士は木工所の脇で丸太を切っただけの椅子に座らされて、武具職人のサムソンに叱られていた。
「無理に物を担ごうとすると肩当てが歪んじまいますからね」
甲冑師でもあるサムソンは黒騎士の肩や背中の装甲を確認しながら、自分が鎧だという自覚が薄い黒騎士にお説教をした。
「旦那がどれぐらい力自慢なのかは知りませんが、こういう全身甲冑は精密部品で構成された繊細な工芸品でもあるんです。本来は中身が詰まっていてしっかり押し返してくることを想定して作られているんで、旦那みたいによくわからない原理でなぜか動いているだけってのは、どこにどう力がかかっているか俺にもわからないんですよ」
ついでに、壊れたからって外して歪みの打ち直しができるかどうかもわからないから、体の内側にハンマーを突っ込まれたくなかったら気を付けてくれと言われて、黒騎士はうなだれた。
「それに、旦那の手は堅いし尖った部分も多いから、綺麗に削った木材は迂闊に強くもっちゃダメです。それから人と押し合うと相手が怪我をするからそれも気を付けて。基本的に生身の人間や柔らかいものに触ったり近づいたりはしないようにしてください。いいですね」
黒騎士はますますうなだれて肩を落とした。
「あー、いたいた。黒さーん」
「どうしたんですか? どっか怪我したんです?」
……カタカタ。
小さく面頬を鳴らす黒騎士を見下ろしてサムソンはため息をついた。
ディックとボーは状況がよくわからなかったが、たしか黒さんの"カタカタ"は「いいえ」の意味だったはずなので具合が悪いわけではないのだろうと判断した。ボーは、貰ってきた雑穀パンを黒騎士に差し出した。
「夕食ですけど、食べられます?」
黒騎士は、無萎花莧の種子と羊豆の粉を混ぜて焼いたパンをじっと見て、悲しそうに首を振った。
「えーっと、もっといいものないかひとっ走り行って聞いてきましょうか」
「赤パンはおいしいよ」
サムソンは「たぶんそういうことじゃないんだよな」と苦笑して、そのパンはお前達が食べていいと二人に告げた。
「え? ほんと? やったぁ」
「ありがとうございます。あ、それで今夜ですけど荷馬車隊全員の寝床は用意できないけど、親方級の偉い人は木工所の脇の建屋に部屋があるそうなんで」
「黒さんは人じゃないけど"偉い人"だよね。えーっと、サムソンさんもマスターかな。案内するよ」
「そりゃ、偉いかどうかっていうなら偉い人だけど、鎧の旦那……どうしますかい?」
黒騎士は丸太椅子から立ち上がって空を見た。
周囲を囲む暗い針葉樹は、紫がかった藍色の空にその先端だけを赤く染めて突き立っている。夕日は西のデボンの低い山々の向こうにゆっくりと落ちていくところなのだろう。
カタカタ。
黒騎士は、サムソンやディック達に否の返事を返し、胸の前で指を二本立てて見せた。
「"コール"? なに黒さん?」
「また、呼び出し?」
つむじ風がごうと舞って、黒騎士は消えてしまった。
「ありゃ。またどっか行っちゃった」
「へーぇ、話には聞いていたけどあんな感じなんだ。本当にこの世の者じゃないって感じだなぁ」
「へへーん。すごいでしょう」
「ボー、なんでお前が得意そうにしてるんだよ」
「へへ、なんとなく。でも、黒さんどこ行ったんだろう。帰ってくるかな」
心配するディックとボーにサムソンは「ああ、それなら」と教えた。
「お屋敷のヴィクトリア様のところに毎日、日の入り時に報告に戻るって約束しているらしいぞ」
三人は何となく領主館があるはずの方角を見た。
§§§
領主館の元庭園で、収穫の終わった黒長根の畑に一列だけ残された株の畝を見ていた私は、突然のつむじ風に顔を上げた。
「あら、どうしたの? なんだか元気がないわね」
「なにかあった?」と問いかけると黒騎士は、何でもない風を装って静かにうつむいた。明確に答えないところを見ると、自分でも言葉にできないような何か些細な気鬱か、ちょっと体裁の悪いことがあったらしい。こういう時は無理にほじってもいいことはない。
「今、貴方のことを考えていたの。ちょうど来てくれてうれしいわ」
私は黒騎士に、畑に踏み込まないようにと注意し、自分が畝を回り込んで彼の隣へ行った。
「綺麗な庭園を畑にしてしまってごめんなさい。これは新しく領内の村で作ってもらおうと思っている作物なのよ。収穫した分はいくらか貴方と一緒に出発した荷車にも積んであるわ」
戦争で色々と苦しいけれど、なんとかこれ以上飢えずにやっていけるように、少しずつ頑張っているのだと話すと、黒騎士は何も返事を返さずにただその場に立ち尽くしていた。
私は彼の右手を取って「見て」と、一列残っている黒長根の葉を指さした。
「これは種を取るために収穫しないのよ。私達はもう飢えないために何もかも犠牲にするような段階は脱しているの。次に蒔くための種を育むことができるの。偉いでしょう」
私は、一度は人の手の温もりを確かに感じた彼の右手をしっかりと握って、彼の目があるはずの兜の奥を覗き込んだ。
「バロールのみんなが私に協力してくれているから、私、何とかやっていけてるの」
私は嘘偽りない気持ちで心から「バロールはいいところね」と彼に告げた。
彼は深くうつむいて、彼の右手を握っている私の手の上にそっと自分の左手を重ねた。それはまるで触れたら壊れてしまう泡に恐る恐る触ろうとしているような触れ方で、私はその気遣いの距離感が何だか悲しかった。
残照が消え、夜風が肩を冷やした。
「入りましょう。今日の様子を教えて」
私は彼の手を引いて、館に入った。
「そうそう。私が一緒じゃないと貴方が結界に入れないから、今日は庭園で待っていたのだけれど、毎日それでは不便でしょう? だから、そんなことをしなくてもいいように、いいものを作ったのよ」
執務室に用意しておいた"それ"を、私は黒騎士に見せびらかした。
「どう? これを持っていてくれたら貴方は私が館に張っている結界に入れるわ」
それは私の形代の役割をする人形だ。一応、魔道具だが、羊毛の白いフェルトと黒い端切れ布で作った手のひらサイズの小さな手芸品である。あまり細かい細工はできないのでずいぶん簡単な造形だ。単純すぎてあまり似てはいないが、黒いドレスを着た私の姿を模しているつもりではあった。
彼に持ってもらうものだからと、ちょっとかわいらしく作って、中にほぐした羊毛も詰めてふっくらさせたので、老グレンには「奥様がご幼少のみぎりのお姿ですかな」と評された。リラには絶賛されたのでそれほど不細工な出来ではないとは思うが、リラは私が作ったものはとりあえず褒めるので、やや不安もある。
私は人形を差し出して黒騎士の反応を待った。
端切れで作られた小さな人形を、美しい装飾が施された精巧な作りの艶やかな全身鎧である黒騎士は、両手で慎重に受け取った。細かく震えているのか手の部分のチェインがチャリチャリ細かく鳴っている。
「えーっと、一応依り代として魔導の術はかけているけれど、怖いものではないから大丈夫よ」
私が心配そうにのぞき込むと、黒騎士はがくがくと兜を揺らして肯いた。
「あのね。それで私の分はこっちなの。ほら、お揃いで二つでセットよ」
私は黒い布で作った鎧の騎士の人形を両手で持って黒騎士に見せた。これも造形は単純で、鎧の騎士に見えるかどうかは微妙だが、鎧のデザインの特徴は押さえているので簡単な作りの割には似ていると思うし、我ながら結構かわいく作れた自信作だ。
「後で鎖帷子の端っこの輪を一つちょうだい」とお願いしたら怖がられるかしら? と少し心配しながら、私はこの人形の役割と使い方を説明するために彼に椅子をすすめた。
§§§
「あ、黒さん。お帰りなさい」
「領主館でお泊りじゃなかったんだ」
荷車のところで野営の支度をしていたディックとボーは、なんだか軽い足取りで帰ってきた黒騎士から紙片を受け取った。紙片にはヴィクトリアの署名と簡単なメッセージが書かれていた。
「なになに……重要な検証をしたいので、黒騎士を一晩、他の人と近接した状態で過ごさせてください。なお、女性は不可です。……だってさ」
「重要な検証って何だろうね」
「他の人って、僕らでもいいのかな?」
ディックとボーは顔を見合わせた。
「黒さん、試しにここに横になってみて」
ディックとボーは用意した薄い敷物の真ん中に黒騎士を横たわらせた。大きな黒騎士が寝ると敷物はほとんど余りがなくなったので、ディックとボーはその両側に詰め詰めに寝てみた。
……黒い鎧は夜気にあたってどんどん冷えてくるし、おまけに肩や肘の装甲が当たると痛かった。
「黒さん! やっぱり黒さんは"偉い人"の部屋で寝よう!!」
その夜、黒騎士の横で寝る羽目になった甲冑師のサムソンは風邪を引いた。
翌日からディックとボーは黒騎士の従者として、彼と一緒に箱馬車に乗ることになった。
黒騎士はクール(物理)なヒーローです。




