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戦場から夫の鎧が帰ってきました  作者: 雲丹屋
第2章 激流と雷の支配者

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天高く馬越ゆる早春

 バロールの高い空を鳥が渡っていく。


 私は鳥に詳しくないので、下から見上げているだけではあれが何の鳥なのかはわからない。

 バロールの最強の騎士が"荒鷲"の二つ名を冠されたということは、鷲もこの空を飛ぶのだろうか。

 私は鷲の実物も見たことがない。


 名も知らぬ鳥は雪を頂いた山々の方へ飛んでいった。目の前に広がる丘陵には雪と霜が疎らに残っている。厩から出された鹿毛や栗毛の馬達は、雪の間を選んで冬でも青い芝の芽を探して食んでいる。


 私は振り返って、黒騎士に声をかけた。


「使っていなかった演習場を馬の放牧地にしたの。ここで慣らした馬を農村に送っているのよ」


 静かに風景を見ていた黒騎士は、こちらに向き直って軽く頷いた。

 その仕草はとても自然で、あの鎧の中が虚ろだとは、知っていても信じがたい。戦場から鎧だけの姿となって帰ってきた我が夫は、夜闇に湧く悪霊の類ではないらしく、日差しの中でもごく普通に活動しており、領主の館に滞在中だ。あまりに普通なので館の使用人たちは誰も怪異だなどとは思っていない。

 かといって、中身のない鎧を領主と仰ぐわけにもいかず、私達は奇妙な宙ぶらりんの平穏にいた。


 私達は馬を見ながら、解けかけの霜をザクザク踏んで厩舎の方に歩いて行った。

 私は、半分雪に埋もれている雪割ハコベのまだ硬い芽を見つけて、つま先でそっと周りの雪を避けた。

 何をしているのか気になったのか、黒騎士が私の後ろから覗き込んでくる。私は彼の硬い鉄の足が新芽を踏まないように、右手の人差し指を軽く唇に当て「そっとしておいてあげてね」と、彼の胸当て(クイラス)の前に左手をかざした。黒騎士は何のことか全然わからなかったようだが、私のその他愛ない気まぐれをとても真剣に理解しようとして、地面と私の顔を交互に何度も見るので、私は思わず笑ってしまった。


「奥様~! こちらへどうぞ~」

「今、行くわ」


 厩舎の前で手を振っている厩頭(うまやがしら)に私は手を振り返した。 

 途方に暮れて現状を受け入れただけの平穏は、かりそめでしかない。

 何とか穏便に追い返したとはいえ、神聖帝国の勇者に目をつけられている現状では、いつ何時、戦勝国である帝国が難癖をつけに来るかわかったものではない。状況がもっと落ち着くまでに進められることは進めて、打てる手は打っておかねばならない。

 私は、まだ地面を気にしている黒騎士の手を引いた。


「来て。貴方に確認してもらいたいことがあるの」



 §§§



 領主館の所有する厩舎は大きいが、現在は半分ほどしか使っていない。

 維持する人手が足りないというのもあるが、先の戦で軍馬の大半が出て行ったきりなのだ。

 一部は戻ってきたし、戦後のどさくさに紛れて、戦場で乗り手を失った馬を確保してもらうこともした。混乱する戦場で、敗残兵の胃袋に入れられてしまう前にはぐれ馬をこっそり集めるのは大変だっただろうが、山賊あがりで要領のいいワルドが、部下をうまく使って手際よくやってくれていた。

 しかし、そうやってかき集めた馬の大半も、もうとっくに農村に送ってしまっている。


 バロール領は北辺の貧しい土地だ。面積は広いが大半は人の住まない荒れ地である。耕作地を増やそうにも、硬い土を起こすのは一苦労で、戦争で男手が減った村々にそんな余裕はない。

 そこで私は、馬を農耕に使えるように、試験的に導入を進めてきた。馬がいれば(すき)を引かせたり、農産物を運ばせたりできるし、余裕ができれば耕作地を広げることだってできる。


 軍馬にしてみれば畑仕事なんて嫌かもしれないが、餓死して焼いて食われるよりはマシだろう。

 もちろん一度にはできないので、地区ごとに中心とする村を選抜して順に行っている。歯がゆいペースだが、貧乏人が通れる近道はリスクしかない。地道にコツコツやるしかないのである。


「新しく入った馬の気性はどう?」


 私達を案内してくれた厩頭のドーリーは、数頭は様子を見たほうがいいと答えた。

 農耕に使う場合、どんな馬でもいいというわけではない。特に馬の扱いに慣れた者が少ない村に導入する場合、大人しい従順な気性で馬具にも慣れた馬が望ましい。軍馬から転用するときは、気性が荒くプライドが高すぎる馬を見極めて省いてやらないといけない。

 それでも厩頭は、元からいたものと合わせて10頭程度は候補の馬を集めてくれた。


 放牧地の馬場に出された馬達は、どれもいい毛並みで健康そうだった。


「ただ、これだけの頭数の馬を移送するとなると、干草を積む荷車も人手も足りません」

「干草自体は足りているのね」

「はい。量はありますが、すぐに出発と言われても無理ですなぁ」

「そこはなんとかできると思うわ」


 私は、なんとなく事情を察している様子の黒騎士に向かって微笑んで見せた。


「貴方ならここの馬、全部運べるでしょう?」


 黒騎士は片手をスッと上げると指を鳴らした。


 一体全体、あの手甲と鎖手袋の手でどうやると指が鳴るのかわからないが、晴れた空に小気味良い音が響いたのと同時に、彼の背後に虹色の陽炎のような揺らめきが出現した。

 これだ。黒騎士がギリ峠と領主館をたちまちのうちに往復してのけたときの不思議な揺らぎ。その揺らぎの彼方から聞き覚えのある(いなな)きと重い馬蹄が聞こえてきて、おなじみの黒い装甲を付けた立派な馬が現れた。


「あ! お前、月魄(つきしろ)じゃないか!!」


 厩頭が驚きの声を上げる。

 黒騎士の馬はいそいそと厩頭に駆け寄り、嬉しそうに鼻面を摺り寄せた。


「生きていたのか~。良かったなぁ~」


 すすり泣きながら馬と感動の再会を果たしている厩頭に、いつ声をかけるかためらいつつ、私はまず馬に無視されて手を下すタイミングを見失っていたかわいそうな黒騎士の肩にそっと手を置いて慰めてあげた。



 §§§



 黒騎士が月魄号に乗り、牧の見える範囲で短距離の"移動"をやって見せてくれた。


 呆れたことに月魄号の嘶き一つで、放牧地の馬はまるで王に号令をかけられた兵のように集合した。黒騎士が牧に円を描くように月魄号を軽く駆けさせると、馬達はその後について走り始めた。

 一周回ったところで馬達の前に虹色の揺らぎがゆらりと現れる。先ほどよりやや大きい。黒騎士が揺らぎに馬を進めると、他の馬達は少しおびえながらも粛々と月魄号の後に続いて揺らぎに入っていった。

 私と厩頭が目の前で右から左に馬が次々と消えていく光景に目を丸くしていると、すぐに牧の奥の方……最初に一周回った時の円の反対側のあたりに揺らぎが現れ、今度は左から右に馬達が飛び出してきて、最後に黒騎士が現れた。

 他の馬が出現する順番は消えた順番だったので、揺らぎは単純な入口と出口だけの存在ではなく、少なくとも黒騎士と月魄号が中に滞在して全部の馬が外に出たか確認できるだけの"場所"は存在するらしい。


「みんなちょっと興奮してますが、馬体は何ともねぇようです」


 厩頭は全部の馬の様子を確認してから「こんなことができるなら、馬に我慢を強いらせずにどえれぇことができますねぇ」と彼自身も興奮気味に語った。


「ええ。だから今度の馬の輸送はとても楽になりそうなの。ただし……」


 この方法にも制約はあった。

 黒騎士が良く知っている場所にしか揺らぎの出口が開けないそうなのだ。


「今度の行先の村は飛んで行けるんですかい?」


 厩頭の問いかけに黒騎士は私の顔を見た。


「フォス村よ」

 カタカタカタ。

「やっぱりそうよね」

「そんなカタカタ言ってるだけでわかるんですか?」

「回数で意味を取り決めてるの。1回は"はい"、2回は"いいえ"、3回は"わからない"」

「そいつはまた……地味に不便ですねぇ」

「言わないであげて」


 万能の便利さはないのだとしても、黒騎士さえ先方に着けば、コストなしでこれだけの馬が一気に運べるというのは大きい。人も一緒に移動できるのなら本当に便利なのだが、それはそれで難しい問題があった。

 幾度かの検証と検討の結果、旦那様の愛馬だった月魄号は、あの謎の揺らぎの中にずっといるけれど、他の馬を連れて通る場合は、揺らぎに入ったらすぐに揺らぎの出口に出るような移動しかできない、またはしないほうが良いらしいということがわかったのだ。揺らぎを通った馬達は、続けてもう一度やらせようとすると尻込みをして、最初のように整然と従ってはくれなかった。


「奥様、(つき)の奴が言うには、あん中は真っ当な生身のもんが居ていいようなところじゃないらしいですよ」

「馬の言葉がわかるの?」

「こいつは賢いですから、言葉以外でちゃぁんと言いたいことを伝えてくれます。それに愛情があって長いこと一生懸命世話してりゃぁ、言いたいことなんてのは何となく伝わるもんです」


 大真面目にそういう厩頭のドーリーと、その手から雑穀を貰って、もしゃもしゃ食べている月魄号を見ながら、私は自分と黒騎士の間のどうにも進まないコミュニケーションにダメ出しをされている気がしてしょんぼりした。隣の黒騎士の肩装甲もどことなく下がり気味なところを見ると、気持ちは同じであるらしい。


「月魄は身体があるのね」

「この装甲を全部おろして体を洗って休ませてやりたいんですが、どうにも外せねぇんです」


 厩頭の言葉に同意するように、月魄号も鼻を鳴らして首を縦に振る。


 うん。この馬は完全に人語を解しているわね。


 水桶から水をがぶ飲みして、雑穀と芝草を貪り食い、ドーリーに蹄鉄の加減を見てもらって機嫌よさそうにしている月魄号は、黒騎士と違って生身の身体がある状態で、勇者が纏う特殊な武装に似た霊体由来の馬鎧で全身が覆われていた。

「月長石みたいに綺麗な葦毛だったのにこんなに真っ黒けにされちまってかわいそうに」と厩頭は嘆きながら、装甲の隙間から覗く生身の部分を優しくなでてあげていたが、おそらくその黒い霊装のために月魄号は揺らぎの中で無事に生きて(?)いられるのだと思われる。


 なんにせよ、馬が大丈夫だからといって”生者には不向き”な所に生身の人を送り込む気にはならない。


「どちらにしても、馬小屋の建築資材を運ぶのにいつも通り荷車隊はだすから」


 黒騎士はその荷車隊に同行してもらって、フォス村に着いたらこちらに帰って、馬を連れて行ってもらう手筈になった。一度向こうに行って場所を覚えてもらいさえすれば、領館の放牧場(ここ)フォス村(あちら)をつなぐことができる。


「それでいいわね」

 カタリ(はい)。

はい。奥様(ヤーフラー)


 一通りの段取りの打ち合わせが終わったところで、厩頭がもう少し世話をしておきたいと月魄号を引いていったので、私は黒騎士となんとなくその場に取り残された。


「そうかそうか! 気になる別嬪さんを見つけたのか。お前も隅に置けないなぁ。どんな牝馬(むすめっこ)だ? 何? そこの雪みたいに白い? ほんとか~」


 真っ黒な馬鎧で全身を覆った大きな馬相手に、ちょっとどうかと思うテンションでしゃべりながら厩の方に歩いていく厩頭を見送りながら、私は黒騎士の肘の金具をちょっとつついた。


「ねぇ……ちょっとしたお願いがあるのだけれど良いかしら?」


 黒騎士は少し首をかしげるように私の方を見た。


 私はまず彼に、自分はフォスには同行できないと謝った。あのように勇者を追い返した直後で何があるかわからないときに、領主代行の自分が長期間、館を離れるわけにはいかない。

 黒騎士はどことなく残念そうにはしてくれたが、それでも大きな落胆のそぶりは見せずに、ただ私の両肩にそっと手を添えてくれた。それは「がんばれ」と励まされているようで、私はなんだかうれしかった。


「それでね」


 私は本題に入った。


「フォス村に着いた時だけじゃなくて、毎日、夕刻になったら館に帰って私にその日あったことを教えていただきたいのだけれど……できそう?」


 カクン、と兜の顎が落ちた音がした。


2章開幕です。よろしくお願いします。

今度は領館から離れて、バロール領北方にお出かけします。


ちなみに月魄が気に入ったお相手は、雪白号(勇者の馬)です。ロミオとジュリエットですね。

本章に勇者の出番はないので月魄の恋は進展しません。

ヴィクトリアと黒騎士の恋愛は……通いの遠距離恋愛という謎な状況になる模様。

どうぞまだの方はブクマなどしてゆるゆるとお読みください。

感想、リアクションなど執筆の励みになっています。ありがとうございます。

2章もお付き合いのほど、よろしくお願いいたします。

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― 新着の感想 ―
鎧さん、立場的には宙ぶらりんですが、関わる人たちのは既に喋れなくなったけど旦那様なんだろうなって扱いですね。 奥様の「そっとしておいてあげてね」の一文のやりとりが微笑ましくも甘酸っぱいくってほっこりで…
黒鎧さんの仕草がいちいちかわいい。ヴィクトリア様に幼子のようにさらっと手を引いてもらえるとか、かわいいアピール成功してますよ! 色(外見)が違っても、同個体と断定されるお馬様の個性がすごい。馬屋番さん…
おお、牧場デート。 唇に人さし指を当ててうふふと微笑む奥様と、その意図を図りたくて図りきれない鎧様、甘酸っぱい。 無言で励ます鎧様の頼りがいに惚れ直していたら、小野小町もびっくりの奥様のおねだりに、…
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