眠れない夜
よく寝て、ちゃんと食べるというのは、やはり魔力で適当にごまかすというのとは違うらしい。
私はスッキリした頭で執務机に向かった。
「ダメです。ヴィクトリア様」
私はあえなくリラに捕まり、執務室から連れ出された。
手際よく着替えさせられて寝室に押し込まれる。
「リラ、あなたも休まなきゃいけませんよ」
「はいはい。私が安心してゆっくり休めるよう、ヴィクトリア様は今夜はもう寝室からでないと誓ってください」
「わかったわ」
私はリラにしっかり誓って、彼女を使用人棟に帰らせた。去り際に部屋付きの夜番に釘を差して行くあたりに、リラの私への信用のほどが窺える。
「(せっかく調子がいいんだから、今のうちに決めておきたいことが色々あるのに)」
私は寝台に、ぽすんと座った。室内履きが片方脱げて転がる。
面白くない。
「ねぇ、明かりと書くものを……」
「今夜は奥様に筆記具をお渡しすることは禁じられております」
夜番は笑顔で私の指示を断った。
これでは誰が当主だかわからない。いや、私も当主代理だけれども。
このままずっと代理なのだろうか? と、これまで何度も考えたことをまた考えてしまう。眠れないときに暇になるのはこれだから嫌だ。
バロールのことは好きだし、領主としてバロールのために働くのは楽しい。最悪の事態が避けられて、何かがちょっとずつ改善されていく手応えを得られるのはうれしい。
でも……。
私は寝台から騎士の絵を眺めた。
すっかり明かりを落とされてしまって、騎士の姿はほとんど見えない。
闇の中で一人、冷たい鎧の腕に自分の熱が伝わっていく感じを思い返し、あの夜明け前の手の感触を反芻する。
力強く頼れる相手が隣で私を慈しんでくれるという甘やかな夢への憧れが、うんざりするほどあると認めるのは、日頃の自分の生き方を考えると忸怩たるところだ。しかし、悔しいことに、その手の自分の弱さを認めないで意地を張る方がむしろ滑稽だと思える程度には、私は大人になってしまった。
「(あの勇者ちゃんぐらいの歳だったら、あんな風に頼りにしている人にツンケンしたってかわいいでしょうけれど、いい大人がそんなことしてもねぇ)」
勇者とその従者の様子を思い出しながら、心の中でひっそりと嘆息する。
男性が好ましいと思うようなタイプの女の行動を自然にとれる人は、人生が楽だろうなぁ、などと益体のないことをつい考えてしまう。気品と威厳を忘れない節度と教養ある淑女としての振る舞いは教育されたのでそれなりにできるが、それだけでは恋愛はできない。
いや、できる恋愛もあるのだろうが私が好きになったあの人は、貴婦人のお手本みたいな女が好みなのかどうかわからない。
「(いやだわ。今更こんなことでうじうじと)」
素敵だと思った騎士へのあこがれと、その彼への贈り物として造った鎧への愛着と、突然現れて自分を救ってくれた謎の怪異への興味と感謝が、ぐちゃぐちゃに混ざってややこしいことになっている。夫はもう帰ってこないだろうけれども、彼の故郷の土地を守って生涯誠実に生きていこうと心に誓っていた時の方が、物事は単純で悩みは少なかった。
「(肉体を失った死霊を夫扱いしてときめくというのは、常識を逸脱した判断よね)」
合理的で冷静な自分はとっくにその結論を出している。たぶん最初にグレンが下した「悪霊退散」の判断が常識に照らし合わせれば最も適切なのだ。……ランスをありえない膂力でぶん投げるという非常識な行動とセットだったから、なんだか非常識に思われて、つい穏当な解決にかじを切ってしまったのが間違いだったのだろう。それはしょうがない。
「(それに……)」
私は思わず暗い部屋の寝台で一人、両手で顔を覆った。
黒い鎧の動作の一つ一つが瞼の裏に浮かんでくる。
「どうしてあれが可愛く見えるのよ」
「奥様、お呼びになりましたか?」と夜番に声をかけられて、慌てて「何でもないわ」とごまかす。
どうにも自分が異形趣味の変質者になってしまった気がして泣きたい心持ちだった。
旦那様の顔を覚えていたのなら、その面影をあの黒騎士に重ねているのだと自分に言い聞かせられもするのに、思い出せるのが甲冑姿だけなせいで、そもそも自分は鎧に惚れた変人なんじゃないだろうかという嫌な考えが頭をぐるぐるする。
せめて可愛いと思うなら、人の面差しで……と考えたところで、あの絵皿の愛らしい顔が浮かんで、私は寝台に突っ伏した。もうだめだ。金髪巻き毛の五歳児がカクンと首をかしげて純真な目で不思議そうにこちらを見ている。
「(実務よ! 実務を考えなさい。ヴィクトリア。現実の世知辛い問題は否応なく正気を保たせてくれるわ!!)」
私はそう自分に言い聞かせて、今後のバロールの領地経営の課題を頭の中で列挙し始めた。
どちらにしても泣きたくなった。
仕事以外は空回りするハイスペックポンコツw
次回から第2章です。




