うつろいのつかのま
ここしばらくの強い冷え込みが和らいだ柔らかな日差しの午後。
私は少し外を歩きたくて、使用人棟の南側の小農園に出た。もともとは風雅な庭園だった場所なので白い石のベンチや彫像があったりするが、その間にあるのは花壇ではなくて野菜の畝だ。
「これはこれは、ヴィクトリア様」
畝の間で根菜の葉の様子を見ていた人物が私に気づいて笑顔で迎えてくれた。
「ログ先生、こんにちは。新しい野菜のご機嫌はいかがです?」
「いいですね。虫や病気にもやられていないし、霜にも負けてない。今日あたり試しにスープにでも入れてもらって試食してみましょう」
この灰色の長衣と丸眼鏡が似合うローガン先生は、もとは魔導王国の学院にいた学者だ。私が王都にいたころからの知り合いで、戦争の難を逃れてうちに来てくださった。今は実験圃場でバロールでも育てられる作物を試したり、農村の収益改善計画を考えたりしてくれている。
「この時期に食べられるものの種類が増えるのはいいことですわ。これはどんな野菜ですの?」
「黒長根です。ラディッシュの仲間ですが、蕪よりも大きく育ちます」
「黒いラディッシュ?」
「いえ、皮が普通のラディッシュより黒っぽいからこういう名前が付いていますが中は白いですよ」
ローガン先生が一本引き抜いた黒長根は、黒というよりは薄茶色の太い根で、確かにラディッシュや蕪よりも食べではありそうだった。私とログ先生は、サラダや塩漬けも試してみようなどと一通り楽しい話を交わしたが、先生は「ただし」と付け加えた。
「この実験圃場では土を良く耕せて人手をかけられたからうまく育ちましたが、土の硬い荒地では根がうまく伸びないかもしれません」
「拳芋と同じ問題ですね」
「この手の根菜は保存がしやすくていいのですが、荒れ野の開墾で農地を広げるときには難しいです」
収穫物が重いのも男手がない村では負担になるから、近い畑で少しだけ作ることになるだろう。
それではあまり食糧事情の改善にはならないので、押し付けても手間が増えるだけだと敬遠されそうなところが悩ましい。
「いくつか食べ方を試してみて不味くなければ、今度の村への派遣隊の荷車に少し積んでみましょう」
「次というと予定では、まだだいぶ先では?」
「いいえ、思いがけず馬がたくさん手に入ったから近々出すわ」
厩の馬が増えたので計画を前倒しにすることにした。畝づくりに鋤を使えて、農産物を運べる馬の導入は拠点となる村を選抜して計画的に進めている。春まきの作物の仕事が始まる前に一つ前倒して導入できるのはありがたい。
北に向かわせたワルドの隊には、ついでに次の開発予定地のフォス村に寄って先ぶれをするようにすでに頼んである。ルオボ川の工事現場から農村に行く予定だった者達が抜けるなら、このタイミングが良い。ルオボ川の工事は計画を見直す予定だからだ。
ただ、派遣隊の人員の選抜はいささか大変だ。考えねばならない細かいことがありすぎて頭が痛い。
「ヴィクトリア様、今度の派遣隊に私もついていってもよろしいですか」
ログ先生の思いがけない提案に私は目を瞬かせた。
「良いですけれども、なぜまた急に」
「いえ、実は……」
先生は自信なさそうに照れ笑いを浮かべた。
何かと思ったら、こうしてここで色々と考えて計画は立てているものの、実際に現地はどうなのかというのがわからないままだと、ひどく頭でっかちなことをしてしまいそうだと常々考えていたという。
「ですからこの辺りで一度、土地や人をちゃんと見ておきたいと思っていたんですよ」
「それはいいことですわ。先生のために乗り心地の良い馬車をご用意しますね」
ログ先生は「それはありがたいなぁ」と笑いながら、半分は自分の専門の調査のためでもあるので、そこまでしてもらうのは気が引けると恐縮した。
「ご専門というと古き神と地方の伝承、伝説ですか」
「せっかくバロールに来たのだから北方の伝承は調べておきたくてね」
先生は今はうちのために畑や家畜のことばかりしてもらっているが、本来は博物学と民俗信仰の研究者だ。魔導王国が魔導王によって治められ現在のようになる前の古い土地神の信仰や昔話を、実際の土地の地形や動植物と照らし合わせて研究するという、途方もないことをなさっている。
「このままこの国が神聖帝国の勢力下に入れば、古い信仰の研究などは真っ先に邪教信仰と言われて弾圧されるだろうから、今のうちにと思ったわけだ」
「縁起でもないこと言わないでください。バロールは私が守ります」
「頼りにしているよ」
私は、面白いお土産話をたっぷり聞かせてもらう約束をログ先生と交わした。
§§§
小農園で天日干しした干果を入れた平たい籠を取り込んでいた老人達から、棗を一つ貰って、私は上機嫌で本棟の二階に戻ってきた。久々の甘味にひどく元気が出た気がする。元は少し休むために寝室に行こうと考えていたのだが、階段を上がって執務室の前まで来るとさっきの話が気になってきた。
フォス村への馬の導入の計画は、今日中にもう少し詰めておいた方がいい気がする。
私は執務室の扉を開けた。
「ヴィクトリア様」
「リラ、どうしたの? こんなところに。あなたまだ休んでいた方がいいのではなくて?」
執務室で待ち構えていた私の忠実で口うるさい侍女は、「その手には乗りませんからね!」と言わんばかりの態度で、ずいっと私に迫った。
「休まなければならないのは、ヴィクトリア様です!」
どこをうろついていたのかはわからないけれどどうせここに戻ってくるだろうと踏んでいたら案の定……と、なにやらまるで私が仕事中毒みたいな言いようのリラは、私を執務室から追い出し、無理やり寝室に押し込んだ。
「ちょっと。少し仮眠をとる程度で髪までおろしてそこまでしっかり着替える必要なんてないでしょう」
「いいえ! ヴィクトリア様はご自分で思っていらっしゃる以上にお疲れです。顔色が悪いし、歩き方がふわふわしているし、それに何ですかこのウェストは! コルセット外しても変わらないじゃないですか。また、食事を抜いたでしょう。まったく私が監督していないとすぐにご自身の身を養生するということを怠るんだから」
「そんなことは……ないと思うわよ?」
思い当たる節を心の棚の奥に押し込んで、私はしらばっくれた。
リラは私からむしり取ったドレスとコルセットを抱えたまま、私の言い訳をフンと鼻であしらった。
「ヴィクトリア様。不摂生で痩せると、顔にしわが寄って、その無駄に大きな胸が萎んで垂れますよ」
私は急いで夜着を被り、寝台に直行した。
「夕食まで、ゆっくりお休みください」
「今日は圃場で採れた新しいラディッシュのスープを作ってもらうことになっているの」
「それはいいですね」
「喉や胃にも良くて薬効があるんですって。すりおろして蜂蜜と混ぜたら咳止めにもなるってログ先生がおっしゃっていたわ」
新しいラディッシュがどんなものだとしても蜂蜜舐めたら咳は止まるでしょうよ、と身も蓋もないことを言って、リラは部屋のカーテンを閉めて、暖炉の加減をみてくれた。寝室が暖かいのは今日の陽気だけではなくリラの気遣いだろう。
私は鼻の上まで上掛けを引っ張り上げて大人しく眠ることにした。
暖炉の上にかかった騎士の絵は、カーテン越しに窓から少しだけ差し込む早春の日差しで、なんだかいつもより明るく見えた。
合間の息抜き回で新キャラ登場。
ログ先生 (ローガン)丸眼鏡の学者先生です。
……糸目だったり胡散臭かったりはしないよ!




