勇者退散
昼過ぎに降りてきた勇者の目元は少し赤かった。
客間の夜番の報告によれば、客用寝室の枕が一つダメになったらしい。
だが、彼女は少なくとも私の前では見苦しく騒ぐことはなく、粛々と"呪物だったもの"を受け取り、回収の協力に関して礼を言いさえした。なるほど。あの一見チャラチャラした優男の従者は非常によく務めを果たしているらしい。ひどく腫れてしまった彼の顔を、私は気付かれぬ程度に少し治療してやった。
昼前に館に到着した勇者の護衛だという一団は、いささか尊大な態度でいかにも神聖帝国の聖騎士という感じだったが、私は特に逆らうこともなく彼らの要求に従い馬車を提供した。
うちで用意した馬車がひどいと聖騎士達は文句を言ったが、それが用意できる精一杯だと答えると、勇者が彼らをなだめてくれた。
どこまで彼女、あるいはあの従者が、こちらの事情を把握し、そのうえで私が提示した落としどころに乗ったのかはわからない。だが、聖騎士という援軍が到着しても、彼らをトラブルなく引かせる方を選択する程度には、勇者は穏便な対応を選択してくれた。もちろんこの後、帰って態勢を整えてから仕返しをしてくる可能性は依然として残っている。しかし、こうしてひとまず勇者の脅威はバロールから去ったのだった。
「勇者退散……ですな」
「グレン、後片付けは終わったの?」
「はい。割れた水晶の片割れはどちらに保管いたしましょう?」
「私の部屋に。後でかけられている術式の解析をするわ。旦那様の鎧の状態について何か手掛かりがつかめるかもしれない」
「承知いたしました」
バロールの忠臣たる老グレンは、領主代理である私に丁寧に一礼した。
§§§
「あああああ、も~ぉう!!」
「牛ですか?」
「なによう。牛じゃないもん」
ぷうっと頬を膨らませたイラーナは、白馬に乗った彼女の隣で馬車を御しながらへらへらしている失礼な従者を睨んだ。
「まったく腹が立つ男ね」
「あれ? お腹立ちは、このディーノに対してですか?」
「本当に腹が立って仕方がないけれど、全部そういうことにしておいてあげるわ」
「全然ありがたくないけれど、ありがとうございます」
イラーナは心底嫌そうにふてくされて、イラの茂みの間のデコボコ道の先を見た。
「あなたに腹が立っているのは本当だしね」
「ええっ?! なんでですか」
「なにさ。お前ったらあの女主人にデレデレして。見たわよ。別れ際に"ずいぶん腫れてしまいましたね、男前が台無し"とかなんとか言われて、ほっぺた撫でられて気持ちよさそうにうっとりしてたでしょ」
「あれは本当に気持ちが良かったんで……」
「気持ち悪い」
「えええ」
「よく見たら、そんなに腫れてないじゃない。色仕掛けに引っかかって。バカね!」
「ひどい。こんなにもイラーナ様に尽くしているのに」
わざとらしく顔を覆って嘆くディーノの座る御者台を、イラーナは無慈悲に蹴っ飛ばした。
聖騎士を荷台に詰め詰めに座らせたガタガタの荷車は、痩せ馬に引かれてゆっくりとバロールを去っていった。
§§§
「さてと。厄介なのがいなくなったから、後回しにしていた仕事を……の前に、鎧を磨いて錆止めを塗ってあげようかしら。右手の件も発生条件を色々検証したいし」
「奥様ーっ!!」
勇者一行を見送ってほっと一息ついていたヴィクトリアは、館の使用人棟の方から走ってくる村娘風の服を着た侍女の叫び声に首をすくめた。
「あああ、またそんな恰好で表に出て!」
「リラ……」
ヴィクトリアは、ばつが悪そうに、少しほつれてフワリと耳の前にかかっている黒髪の先をくるくると指で弄った。
「あのね。今朝はちょっと支度に時間がかけられなくて……ああ、それよりもあなたの具合を見なくては! 本当に無茶をして。あなたがぐったりして運び込まれてきたときには心配で胸が締め付けられる思いだったわ」
「無茶はヴィクトリア様の方でございます!!」
ヴィクトリアが輿入れの時に連れてきた最も信頼する……最も口うるさい侍女は、すごい剣幕でヴィクトリアに迫った。
「私の解呪のためにヴィクトリア様が単身で怪異に立ち向かってお怪我をなさっと聞いて、リラは卒倒しそうになりました」
「あなたは精神的ショックで卒倒するタイプではないでしょう」
「ヴィクトリア様!!」
「ご信頼いただけているのは嬉しいですが論点はそこではありません」と、リラはきっぱりヴィクトリアに物申した。曰く、自分は使用人であり、その自分を助けるために主人であるヴィクトリアが自身を危険にさらすことは本末転倒で愚かである。ヴィクトリアはこの世で最も優先されるべき存在であり、他の何事もヴィクトリアの価値を上回らない。それから……。
「そこまで! リラ。あなたが私を敬愛してくれているのはよく知っているわ。今日は忙しいからそこまでにして」
「ヴィクトリア様はご自分の価値をご存じありません」
「それはあなたもよ。あんなものを飲み込むなんて滅茶苦茶だわ」
「私はギリ峠で、ワルド隊の支援を任されていましたからね。あのバカの失態は私がフォローしないと」
ホントに! あんなもの持ち出さなくたって、人質の狂言で十分に何とか押し切れたでしょうに、打ち合わせと違うイレギュラーを差し込んで物事をややこしくして!! そもそも、換金しやすいかうちで役に立つものだけ盗って来いって言われているのに、ああいう問題の種になりそうなものに手を出すこと自体がまったくもって自分の役割をわかっていないというか愚かというか。原理のわからない神聖帝国の怪しい魔導具を手に入れたところで素人がすぐに勇者の特別な力を使えるようになるわけでなし。あのスケベ心丸出しのヒゲおやじは功名心が過ぎて腹が立つ。挙句に魔導暴走だか何だか知らないけど怪しげな怪異を呼び込むとは、まったく! ヴィクトリア様の御心に添えないばかりかご迷惑をおかけするなんて、ドタマかち割ってやろうかしら!
リラは一息にまくしたて、両手を腰に添えて憤懣やるかたなしという鼻息で、フン! と締めくくった。
「ワルドはどこです?」
「北よ。ルオボ川の堤の労役に行かせたわ」
「では、視察に行きましょう。近々様子を見に行かねばとおっしゃっていたでしょう」
「そうねぇ」
ヴィクトリアは、ルオボ川のあるバロールの北方を遠く望んだ。
ガラ大山脈の鋭い稜線が、良く晴れたバロールの空の彼方に白く輝いていた。
お読みいただきありがとうございました。
これにて第1章が閉幕です。
この後、閑話を挟んでから、第2章があります。
次は舞台が領主館から北方に広がります。
おかげさまでここまでで[月間] 連載中ランキング総合68 位、異世界〔恋愛〕21 位に入れました。
この後も応援よろしくお願いいたします。
第1章読み終えたこの折に感想、評価☆、いいねなどいただけますと大変励みになります。
さて、次回から4話はオマケのゆるゆるな閑話ですよ~ (^∇^)
勇者を追い返した後のヴィクトリアの一日。
のんびり日向ぼっこくらいの話でヴィクトリアも小休止です。
お楽しみに!




