勇者来たる
魔導王国は伝統ある王国だったが、豊穣で富裕とは言い難い。わけても北辺は荒涼とした僻地だった。
荒野と沼地と陰鬱な森しかない土地は、薄明の空の下で闇に沈んでいる。
勇者イラーナは馬上で白絹の法衣の襟をかきあわせ、白い息を吐いた。
「戦禍は及んでいないはずなのに、戦場より寒々しいわね」
「この先の峠が宿場です。まだあれば、ですが……」
十騎ほどの白い一団は、街道とは名ばかりの荒れた坂道を一列になって登っていった。領境を示す石の道標は、街道脇の棘のある灌木の茂みに埋もれて、半ば倒れていた。
イラーナは神聖帝国公認の"勇者"である。
下ろせば腰まで届くサラサラの銀髪に神秘的な紫の瞳。彼女は若く美しく正義感の強い、まさに神聖帝国がシンボルとしてお墨付きを与えるのにふさわしい少女だった。
「本来なら聖女様って立場で、聖都でチヤホヤされてりゃいいだけなのに……酔狂な方だ」
「ディーノ、いつだって悪は光の届かないところにいるのよ。それに今追っているアレは放置できないわ。国の隅々まで照らすのが我々の使命だといつも言っているでしょう」
イラーナは従者をたしなめた。この茶髪の軽薄そうな従者は、こうして各地を巡る間、ずっと彼女に付いているせいか遠慮がない。ズケズケと言いたいことを言ってくる。
「国ったって、ここは帝国領じゃないですよ」
「正しいことをなすのに国なんて関係ないわ」
「いやぁ、まあ、戦で勝っちゃった側なので、それで通せるっちゃ通せるんですけどね」
「なによう」
ぷうっと頬を膨らませたイラーナを、従者はいつも通りへらりと笑って「いえいえ、どうぞお好きになさってください」と腹の立つ言い方でなだめた。
「自分はイラーナ様に従う者ですから」
「敬愛が足らない」
「それは要求して得るものではないです」
「本当にディーノってディーノだわ」
「お褒めにあずかり?」
「褒めてない」
機嫌を損ねたイラーナに、もう一言余計なことを言いかけたディーノだったが、ギリ峠の宿場が見えたので話題を変えた。
「ほら、人家がありましたよ。あそこで休みましょう。勇者様の無茶に付き合って、皆、疲れています」
「廃墟に見えるわ」
「確かに寂れているなぁ……でも、ほら、あそこ。炊事の煙が上がっていますよ」
手前にある宿には人けが無く、看板も半ば落ちていたが、奥のいくつかの民家には人が住んでいるようだった。
一同はひとまず下馬して、空き家と思しき宿の駒止に馬を繋ぎ始めた。
「イラーナ様、お手を」
「待って」
馬を降りかけていたイラーナは人影を見つけた。村娘を数人のゴロツキが囲んでいる。彼女はそのまま馬首を巡らせた。
「何をしている」
村娘は、白馬に乗った美少女の出現に目を丸くしたが、すぐにハッとした様子で「逃げて!」と警告した。ゴロツキどもがあわてて振り返る。
「なんだ、テメェは」
「おうおう、なんか、まっちろけな嬢ちゃんだな」
「我はイラーナ! 神聖帝国勇者の名の下に汝らの咎を問う」
「勇者だぁ?」
「なんか面倒なこと言い出したぞ」
「ごちゃごちゃうるせぇな」
たかが女一人と侮ったゴロツキがずいっと前に出たところで、ディーノらが追いついた。
「イラーナ様」
「お前達、徒党を組んで何をしている」
「勇者様にご無礼あらば承知せぬぞ」
揃いの白い軍装に身を包んだ人数で倍する護衛達の出現に、劣勢を悟ったゴロツキ共は及び腰になり、頭の悪い捨て台詞を残して立ち去った。
イラーナはヒラリと馬を降り、急なことにオロオロしている村娘に「もう大丈夫」と声をかけた。が、村娘から帰ってきたのは意外な言葉だった。
「旅のお方。悪いことは言いません。早くここを立ち去って都の方にお戻りなさいませ」
「どういうこと? 理由を言いなさい」
「あの者たちが仲間を連れて戻ってきたら大変です」
「お嬢さん、我々は長旅で疲れておりまして少々休ませていただきたいのです。事情があるならどこか落ち着いた場所でお伺いしてもよろしいですか?」
村娘に詰め寄ったイラーナをやんわり押し留めて、割って入ったディーノの言葉に、村娘は戸惑いながら頷いた。
彼女の案内で一行は宿場の本陣に落ち着いた。戦争が始まってからは使っていないというそこは、本陣とは名ばかりで、ひどく侘しい有様だった。本陣といえば身分の高い者が泊まる宿のはずだが、ここは他よりもやや造りがしっかりしているだけの古い家……イラーナ達から見ればただの田舎づくりのあばら家だった。勇者一行は、振る舞われた湯を飲みながら一息ついたが、それはため息に近いものだった。
「茶葉の選り好みを言う気はなかったけど、茶葉すらないとは」
「勇者様を侮っておるのではないか」
「なんと無礼な!」
「いやいや、単に貧乏なだけでしょ、これは。せめてもの心尽くしで、沸かしてくれたんじゃないかな。徹夜で凍えた身には温かいものはありがたいよ……」
頓着せずに貧乏くさい木の椀から湯をすすっているディーノに、一同は肩を落とした。
「まぁまぁ、せっかく雨露がしのげるところに来れたんですから、ちょっと交代で休みましょう」
「そんな呑気な。あの娘が言うておった件はどうする。賊徒がおるそうではないか」
「田舎賊徒程度なら、少々人数がいたところで、なんとでもなるでしょう」
「むむ、それはそうだが」
「空腹と疲労にやられて、格下に後れを取るのは嫌でしょう」
「むむむ」
「それに、いざ冥き者と遭遇した時に動けないようでも困る」
「わかった、ディーノ。皆、休め」
「2名は見張りに」
勇者の護衛を務める神聖帝国の聖騎士達は、装備は解かぬまま休息を取り始めた。
「イラーナ様もお休みください」
「私はまだ平気よ」
「おや、気が張って眠れないなら抱っこして背中をトントンして差し上げましょうか」
「お前の冗談のセンスは底の抜けた無礼と直結しているな」
「そうですかね」
ディーノは乾果入りのヌガーを一包みイラーナに差し出した。
「では今のうちに栄養補給を」
イラーナはこれは断らずに受け取った。
「ディーノ、お前はどう思う?」
「そうですねぇ。餌付けというのはなかなか趣深い趣味かと……」
「何の話よ。そうじゃない。ここの宿のさびれ方よ。統治する領主の怠慢だとは思わない?」
「ああ、それは致し方ないでしょう。王国の貴族は皆、戦争にかり出されましたからね。ここのバロールの当主も出兵していたんじゃないですか」
彼女は包みの中身を口に含み、しばらく黙っていたが「だからといって、この有様というのはどうなの」と呟いた。
「当主不在で統治ができず、民を苦しめる領主家なんて、さっさと退任させるべきよ」
「よく確かめずに結論に飛びつくのは迂闊なカエルがやることですよ」
「なによう。私はカエルじゃないもん」
ぷうっと頬を膨らませたイラーナは、彼女を見下ろしてへらへらしている従者を睨んだ。
「この後、ここの領主邸に向かいます。この目で確かめるわ」
それで思ったとおり無能だったら、絶対に辞めさせてやるんだから、と息巻きながら、イラーナはディーノにもたれかかって一眠りした。




