討ち果たせ
頭部を失った怪異は、半分溶けた粘つく鎖の塊となった。火焔を蹴散らして着地した黒騎士が馬首を巡らせると、粘体は地面に突き刺していた黒鉄の棒を引き抜きながら、ずぞぞと後退し、うずくまるようにとぐろを巻いた。
黒騎士は、倒れているヴィクトリアのところに馬を進め、大きく身を乗り出して彼女を片手で抱え上げた。彼女の白い肌にわずかに張り付いていた粘体が、糸を引きながらずるりとはがれて、黒騎士を恐れるかのように本体に引き込まれていった。首に絡みついていた粘体がはがれ、息ができるようになったヴィクトリアは、ぐったりしたまま「くはっ」と一度せき込んだ。
己の鎧で彼女を傷つけないように、そっと彼女を馬上で抱え直した黒騎士は、月下に青ざめて血の気のない彼女の顔を心配そうにのぞき込んだ。
「あなた……来てくださったのですね」
朦朧としたままヴィクトリアは黒騎士を見上げて微笑んだ。
黒騎士は胸の装甲をきしませて天を見上げ、彼女を抱く腕の装甲の奥でチェインメイルをわななかせた。
黒騎士の腕に強く抱かれたヴィクトリアの目の焦点が緩やかに合った。
「黒騎士……」
カタリ(はい)。
はっと覚醒したヴィクトリアは、急にいつも通りの厳しい表情になり、黒騎士の腕に預けていた身を起こした。
「怪異は?!」
振り向いた先には、うねりながらもぞもぞと蠢いている粘体の塊があった。人の姿を失ったそれは、黒鉄の棒で体を支えるようにゆるゆると持ち上がった。
ヴィクトリアはその足の細長い蜘蛛のような姿になった怪異を嫌悪のこもった目でにらみつけた。
「殲滅するわよ。武器は……あれを」
彼女の燃えるような緑色の目が指したのは、怪異に弾き飛ばされた後、丘の頂上に斜めに突き刺さったままだった彼女の儀礼武器だった。
§§§
とんだ失態だった。もう少しで屈辱的な死を迎えるところだった。
私は黒騎士に身体を支えてもらったまま、これ以上血を失わないように手早く術を発動させて傷口をふさいだ。本格的に治そうとすればそれなりの集中が必要だが、血止め程度なら片手間で全部できる。
この、傷ついても自分で治せるという慢心が隙に繋がった。やはり実戦経験がない自分のような素人はこういう浅はかなミスをする。
二度と敵前で意識を失う羽目になるようなミスはするものか。私は傷の痛みを今後の己への戒めとして心に刻んだ。
実際、黒騎士が来てくれていなかったら無事にはすまなかっただろう。
触れられてみてわかったが、あの怪異は半分実体のない存在だ。体が浮かんでいたのもそのためだろう。物を操れるほど現世に干渉はできるし、実体があるように振る舞いもするが、それらはすべて幽世から現世に干渉しているにすぎない。
現世に確かな存在として顕現するには、依り代となる肉体が必要だから、あれほど体を手に入れることに妄執があるのに違いない。
私は丘の上でグレイブを引き抜いた黒騎士の手甲に自分の手を重ねた。自分の血を手甲につけてしまった感触がしたが、どうせ夜目に黒鎧だから目立ちはしない。これが終わったら磨いて錆止めを塗ってやろう。血汚れでガタガタいうような騎士は騎士ではないから、きっと大丈夫。
私の身体を支えていた黒騎士の左腕がすこしきつくなった気がしたが、私は無視してグレイブと黒騎士を強化するための術に集中することにした。
これ以上あいつに時間を与えてはいけない。
大きな虫のような姿になった怪異は、脚をぎこちなく動かして移動し始めた。
私たちの方にではない。あれは脅威である黒騎士が守る私をあきらめて別の獲物を狙いに行ったのだ。
その向かう先は……勇者!
先ほど弾き飛ばされたときにあたりどころが悪かったのだろう。彼女は倒れ伏したままだ。私が気を失っていたのはごくわずかな間だったとは思うが、身動きしていないところを見るとまだ意識を失っているのだろう。勇者武装がうっすらと白く輝いているから死んではいないはずだが、聖王国の術式が術者が死んでも維持されるものなのかわからない。でもこの場合、生きているという想定で助けてやらねばなるまい。
私は己の魔力を注ぎながら、術の発動に必要な精神状態を作るため、力ある言葉を唱えた。
「言祝ぎの儀に従いて汝に命ずる。我が力持て健やかたれ、鮮やかたれ。導きの下、漲り満ちよ。不壊!」
最後の発動句と同時に、グレイブの黒い柄に魔導紋が浮かび上がり、刃の先端に向かって金色の輝きが奔る。その輝きは黒騎士の鎧に刻まれた精緻な紋にも広がって彼の全身を闇に浮かび上がらせた。
「怪異の中心に、アレが現世に現れる核となっている石があるはずです。いけますね」
彼は私をそっと馬から降ろして、大きくグレイブを一振りした。
その背に黒いマントが翼のように大きく広がり、気迫が満ちる。
私は勇者を襲おうとしている怪異を指した。
「荒鷲よ、討ち果たせ!」
一陣の疾風が丘を駆け下った。
黒い人馬は怪異に迫り、ランスのように構えたグレイブで、あやまたずその真芯を貫く。
キン……と硬質な音が響いた。
絡まり粘ついた鎖状の粘体だったものは両断され、次の瞬間、爆散して夜の闇に霞んで消えた。
風は止み、月はただ静かに漆黒の騎士に白い光を落とした。
夫婦の初めての共同作業……




