彼方からの呼び声
穢れた聖珠から湧き出してきた昏き者とやらは強かった。
昏き者の鎖の腕が鞭のようにしなり、黒鉄の棒がうなりをあげて振るわれる。
棒自体に重量がある上に、怪異の長いリーチで振り回される勢いが乗っているので、私の薙刀ではじき返すには重すぎる。中ほどにうまく当てて弾いて逸らせるのが精一杯だった。
それでも人が構えるように一本、多くて二本ならまだ、隙を突くこともできただろう。だが、この厄介な怪異は肩から伸びた鎖の腕12本を絶え間なく振るってくるので、勇者と二人掛かりでもどうにも手を焼いた。
「浄化結界は?!」
「維持しているけれど、集中しないと強化はできないわ」
下がれば術に集中できるが、私が下がれば勇者に12本全部の攻撃が向かってしまう。そもそも下がるだけの隙がない。何とか反撃しようとするが、無理をしたせいで逆にこちらに隙ができた。
「あ……」
「っぶないわね!」
勇者の少女は、特殊な術式で肉体を強化し装甲もまとっているだけあって、さすがに大したものだった。彼女は私より細くて背も低いのに、私が攻撃をよけきれないと見るやすかさず前に出て、正面からの黒鉄の攻撃を、白銀に輝く腕を交差させて受けきった。
「いったぁ~いっ」
「痛いの?」
「痛いに決まってるでしょ!」
「ごめんなさい」
おしゃべりしている暇を怪異は許してくれず、次の鉄棒が振るわれた。
勇者は大きく外に跳躍し、私は身を低くして相手の内に踏み込む形で躱した。
勇者の着地点めがけて、第二第三の棒が撃ち込まれ地面に突き刺さる。棒を握る鎖は腕と違って自在に伸びるので厄介だ。勇者は身軽に回転しながら連続で跳び、追ってくる攻撃をしのいだ。
派手な動きの勇者に気を取られたというわけではなかろうが、長い棒を内側に振るのは怪異といえども、やりにくかったらしい。内に迫った私への怪異の対応は一拍遅れた。
私は相手の脇を駆け抜けざまにグレイブで怪異の足元、地面すれすれを横薙ぎに払った。
あれだけ重いものを持っているのだ、足を刈られては立っていられまい。
切れぬまでも打ち据えれば揺らぎはするはず……そう思っての攻撃だったが、手ごたえは拍子抜けするものだった。
「(しまった。こいつ、浮いてる)」
変な掠り方だけして、グレイブは半端に空振りした。
私はたたらを踏んで体勢を崩し、怪異に背を向ける形になってしまった。
致命的な隙!!
ぐにゃりと変な軌道で曲がった鎖の先の棒が私に向かって同時に二本打ち込まれる。私はとっさにグレイブを差し込んで直撃を避けた。一方の棒に跳ね上げられたグレイブが弾き飛ばされる。わずかに逸らせたもう一方の棒の一撃を、私は体を捻ってぎりぎりで躱したが、そのまま転倒してしまった。
倒れた私の顔の真横に鉄の棒が突き刺さる。転んだ拍子にほどけた髪が巻き込まれて痛い。咄嗟に起き上がるのにも失敗した私の上に怪異がのしかかってきた。私を地面に縫い留めるように、他の黒鉄の棒が次々と打ち込まれる。助けに来ようとした勇者が横薙ぎに打ち払われて殴り飛ばされるのがわずかに見えた。これはまずい。
棒を操っていた鎖がどろりと溶けた。粘体となったそれは突き立てられた棒を伝って、ドロドロと私の方に流れ落ちてくる。
『躰……』
昏き者の生身の肉を求める妄執が私に絡みついてきた。
棒から落ちた黒い粘体は、私の身体を確かめるように、手や足先からじわじわと這い上ってくる。胸から下げた護符を嫌ってなのかその動きは緩やかだ。
顔の脇に落ちた粘体にずるりと頬を撫で上げられて私はぞっとした。
「離れよ、下郎!」
もがく私をあざ笑うかのように、粘体は私を押さえつけた。顔の脇から来た粘体は、首筋の血の熱を確かめるかのように頬からとろとろと流れ落ちて、私の首を絞め始めた。
息が詰まる。
足先から登ってきた粘体が腿をなでる感触に激しい嫌悪を感じた。
「(この程度の怪異に我が身与えては、旦那様に申し訳が立たない!)」
あの人とは、臥所どころか口づけもまともにしていないのに別れ別れになってしまった。それでもいつか帰ってきてくださると信じて、今日までこの地を守ってきたのに、ここでこんな下賤の輩に、と思うとあまりに口惜しかった。
あの人を初めてみた時を思い出す。
あの輝かしい馬上槍試合の日。彼は誰よりも強かった。
特に興味もないのに嫌々観覧席に座らされていた私は、槍試合のルールなど何もわからないのに彼の強さに見惚れた。聞いたこともない北の辺境の貧乏騎士の装備はお粗末で、他の出場者と比べて見劣りがしたが、そんなことは関係なかった。
私はその日、優勝した彼に勝者の花冠を被せ、その栄誉をたたえ彼の肖像画を作らせた。
……ああ、もうあの寝室の肖像画を見ることもできないのだろうか。ここに嫁いで来た時に主寝室にあの時の肖像画が飾られているのを見て、ずいぶん驚いたっけ。
息ができぬままもうろうとする意識の切れ端で、私は夫の名を呼んだ。
§§§
「黒さん、どうする〜?」
大きな手甲でちんまり持った手札を覗き込んで、うんうん唸るような素振りをしていた黒騎士は、ハッと顔を上げた。
「ん? どしたの?」
「コールする?」
黒騎士は突然立ち上がった。
カードを置いた手がスッと胸の前で上を指す。……立てた指は二本。
"呼んでいる"
地下室に風が吹き荒れ、カードが宙を舞った。ディックとボーは突然の嵐に、慌てて顔をかばったり、机に伏せたりした。
風の渦の中央で、静かに上を見上げた黒騎士の背後が虹色に揺らぎ、彼の姿は幻のように掻き消えた。
月光が白く落ちる冬のバロールの丘で風が凪いだ。
大地に突き立てられた幾本もの黒鉄の棒……女の肢体を地面に縫い留めたその上端に赤黒い火焔が灯り、一斉に天に向けて噴き上がった。
月が火焔に焼かれたその時。
重い馬蹄の音が静寂を裂き、欠けた白い月が揺らいだ。
女の上にのしかかっていた冥き者は、顔のない頭部を上げて天を見た。
月光を背に、一陣の風とともに中空に現れたのは漆黒の人馬。
次の瞬間、昏き者の頭部はその逆立つ頭髪のような火焔ごと、黒騎士の愛馬の蹄に蹴り飛ばされた。
人の恋路を邪魔する奴は、馬に蹴られて冥府に落ちろ!




