しからば共に
ディーノが作ってくれたわずかな隙をついて館の外に出たイラーナは、灯火のない前庭を走り抜けた。
幸い月は出ていたので、白い石の敷かれた車寄せは辿りやすい。馬蹄型の前庭を抜けると屋敷の両翼から伸びた副棟沿いの植栽が途切れて視界が広がった。イラーナは月下の荒野に目を凝らした。星空を背景に広がる暗い丘の上に、ちらちらと揺れる篝火が見えた。
あれだ!
彼女は足元など気にせず、まっすぐ走った。
篝火の近くに蠢く人影が見える。黒ずくめの揃いの装束で、頭部をすっぽりと覆う頭巾をかぶった怪しい一団だ。ぐったりしているあの村娘を白布でくるんでどこかに運ぼうとしている。その背後には何やら祭壇のようなものがあり、禍々しいローブを着た女がこちらに背を向けて立っていた。その手には長柄の儀礼用武器。その向こうには召喚されたと思しき昏き者の焔が揺らめいていた。
「そこまでよ!! あなた達! 観念してその娘を離しなさい!!」
イラーナは、走りながら自分の聖珠を取り出した。
長柄武器を持った魔女が肩越しに振り向く。思った通りこの館の女主人だ。その背後で昏き焔がひときわ高く燃え上がった。
やられるものか!
胸にかけていた聖珠の細い鎖を引きちぎり、高く掲げる。
イラーナの聖珠の紫水晶が、月光に煌めいた。
「解錠」
叫びと共に、勇者イラーナは卵型の聖珠の頂点にあるピンを摘まんでカチリとひねった。
聖珠の外殻が花弁のように開く。中央の紫水晶が光を放ち、浮かび上がった。
「聖鎧顕現!」
紫水晶が煌めきながらイラーナの額の中央に座し、そこからあふれ出した白い光がティアラのような額冠を形作って彼女の額を飾った。光はそのままイラーナの銀の髪を編むように側頭部を結い上げながら、長い毛先にそって肩から体へと流れ落ち、彼女の全身を包んだ。
勇者イラーナのほっそりした手と足は白銀の手甲と脛当で、そして胸元の心臓に近い部分は神聖帝国の紋章が入った胸当てで覆われた。
それこそは、神聖帝国の勇者のみに与えられた勇者武装であり、イラーナの肉体の能力を幾段階も引き上げる特殊な術であった。
「うぉりやああああ!」
イラーナは一気に彼我の距離を詰めて高く飛び上がった。そのまま黒髪の女が使役しているのであろう昏き焔に向かって思い切り拳を叩き込む。インパクトの瞬間、焔は闇に溶けるように霧散した。
手応えがない。躱された。
勢いあまって反対側に突き抜けたイラーナは、転がりながら着地して、すかさず振り返った。
二撃目を打ち込もうと拳を構えて顔を上げたところで、長柄武器の刃が目の前をかすって横薙ぎに払われた。イラーナに覆いかぶさるようにまとまりかけていた焔が切り裂かれる。
「え?」
「下がって!」
叱責の声が飛んだ。反射的に大きく飛びずさったイラーナが先ほどまでいた場所に、散らしたはずの焔がなだれ込んで渦を巻く。声の主である黒髪の魔女も、長柄武器を両手で回転させながら下がって間合いを取っていた。
驚いたことに彼女はイラーナではなく昏き焔に意識を集中させているようだった。その緊迫感は、召喚した魔に勇者を襲わせようとしている者のそれではない。むしろ彼女は自分の背後にいる者達やイラーナを、焔から守ろうとしているように見えた。
「なぜここに来たの。危険だから早く館にお戻りなさい!」
イラーナは自分が何かとんでもない勘違いをしていたのではないかと、はっとした。
ぱっと見ではいかにも怪しく見えた黒ずくめの一団は、今は頭巾を取り、一生懸命に館の方に逃げ帰ろうとしている。最後尾の2名が白い掛布でくるんだ村娘を抱えているが、そのあたふたとした様子には焦りと同時に娘への気遣いも見えた。
「えええ? ここで何をしていたの?!」
「あなたがお探しの呪物。あの子の体内にありました」
「何ですって」
逃げる一団を追う形で、鞭のように細く伸びる焔の揺らめきを切り払いながら、館の女主人は、屋内では危険だからここで解呪の議を行っていたと言った。イラーナは、自分の方にも襲い掛かってくる冷たい焔を打ち払いながら「なんで貴女がそんなことを?!」と問うた。聖珠の問題など彼女にはかかわりのないことのはずだ。
「私が何とかすると申したでしょう!」
庇護を請われたからには我が任だと、女主人はきっぱりと言い切って、武器を構えなおした。魔導紋の刻まれた長い黒柄の先の刃がほのかに光りだす。
「お客人は館でお待ちください」
静かな気迫が辺りに満ち、昏き焔を囲むように風が渦を巻き始めた。周囲の地面から淡い燐光が、まるで蛍がふわりと飛び立つようにいくつも立ち昇る。
浄樹の葉を使った浄化結界術式だ。
野放図に広がって館の方にまで行こうとしていた焔の端が、浄化結界にチリチリと焙られて、あるいは散り、あるいは身を縮めるように中央に引いていく。
イラーナも聖殿での儀式のときに見たことがあるが、こんな野っ原で単独術者で行うような術ではない。魔道王国の者は、その名の通り魔導に関しては神聖帝国よりも巧みだとはいうが、田舎貴族の未亡人がここまでできるとは聞いていない。
「ちょ……ちょっとぉ! だからって、"はいそうですか"って下がれるわけないでしょう!!」
アレは勇者が責任をもって何とかしなければならない。穢れた聖珠から解き放たれて人に災いをなそうとする怪異に向かって、イラーナは拳を構えた。
「私は神聖帝国の勇者イラーナ! 深淵より出でし呪物から世を守るのは我が使命です」
「ここは魔道王国領です。この地を守るは領主の務め。余計な手出しはお控えください」
にらみ合う二人の間で、昏き焔は妖しく揺らぎ、内側になだれ落ちるようにその動きを変え、中央に凝り固まって実体を持ち始めた。
「余計じゃないわよ! 邪魔なよそ者扱いはやめて。だいたい、領主の務めって、あなた領主じゃないでしょ」
「バロール領は旦那様からお預かりした大事な領地です」
「ってことは、あなたもよそ者じゃない」
ドロリと凝った怪異がにわかに収縮し、次の瞬間、大小のいびつな鎖が四方に放たれた。
夫人はギャリンと大きな音を立てて鎖を打ち払った。
「よそ者じゃないわ! 私はここを愛している」
「こんなところを?! 何にもないじゃない!」
イラーナは自分の方に伸びた鎖の端を蹴り上げた。跳ね上がった鎖が他の鎖と絡んで嫌な音がした。
「なにもなくたってかまわないわ!」
戦争に行ったまま帰らぬ領主の代わりにこの地を収める領主夫人は、襲い掛かるすべてを振り払って叫んだ。
「あの人を育み、私を受け入れてくれたこのバロールを私は守る!」
「なによ……かっこいいじゃない」とイラーナは呟いて、白銀の手甲をガキンと胸の前で交差させた。
額の紫水晶が煌めいて、聖凱に紫電が奔り、両腕の先を覆うように白炎が噴き出した。
「なんでもいいけどとにかくこいつはぶちのめす!!!」
白い炎に包まれた勇者は、ジャリジャリ音を立てて蠢いている鎖の塊に拳を突き立てた。
絡まりあった黒い鎖の間から白い光があふれて、周囲をぐるりと照らした。
半拍後、昏き者は爆散するように弾け、鎖と焔の奔流が四方に伸びた。……そこには赤く燃えさかる篝火台があった。暗い焔が、赤い篝火と混ざり合って禍々しく赤黒い火焔となる。黒鉄の篝火台に絡みついた鎖は、その台を支えていた三本の脚をばらして、槍を握るように取り込んだ。
「なんであんなところにあんなものを、四つも置いておくのよ!」
「すぐ用意できる手ごろな明かりが、秋祭用のあれしかなかったのよ」
赤黒く渦を巻く火焔は、うぞうぞと集まり人がましい姿に収束した。まるでその身体を形作るように黒い鎖がとぐろを巻きながら起き上がる。冥き者は、その肩にあたる部分から生えた鎖の触手をゆらりともたげて、イラーナ達に向かって12本の鉄槍を振り上げた。
「これは……協力した方がよさそうね」
領主夫人と勇者は並んで敵に対峙した。
§§§
「わぁ、これは大変だよ。ディック」
「なんだよ。ボー」
「黒さん、目線も表情もぜんぜんわからないから、きっとカードの勝負、激つよだよ」
「どのみち、お前はカードで相手の表情を読むなんて器用なことできねぇじゃないか」
「あー、言われてみればそうだねぇ」
のんきな使用人二人は、あっはっはと朗らかに笑った。
「黒さんは、気にしなくていいから。それと基本ルールはさっき言ったとおりだけど、黒さんは声を出せないから、"コール"は指をこうやって二本立ててくれればいいよ」
ディックは人差し指と中指を重ねるように立てて見せた。
黒騎士は自分もぎこちなくそのしぐさを真似して見せて、カタリと一つ了承の音を鳴らした。
「じゃぁ、カード配るよ~」
地下室で一緒に卓を囲んでいる二人と一領は、仲良くカードゲームを始めた。
はたして黒騎士はヴィクトリアのピンチに間に合うのか?
それともこのまま、でくのぼーコンビとカードゲームして終わってしまうのか?!
次回、乞うご期待!!




