暗々裏
端の欠けた月が白々と昇り、黒い森と鈍色の山々に縁どられた青黒い丘陵を照らしている。
四辺に低い塔のある重厚なシルエットの館では、ほの暗い灯火が一つ二つ揺れていた。
「すみません。隙間風が気になるので、一度、窓を開けて閉めなおしたいのですが手伝っていただけませんかね」
客用寝室前の廊下で夜番に立っていた守備兵は、客人の従者に声をかけられて部屋に入った。
「ここの窓です」
「どれどれ、そんなにガタが来ているか?」
「あ、イラーナ様があちらでお休みになっておられるのでお静かに願います」
「おっと。すまん、すまん。かわいいよな、あんたの主人。起こしちゃかわいそうだ」
「ははは、ちょっと気の強いところはあるんですが、身内の身びいきではそれも愛嬌で」
「わかる、わかる。うちの奥様も気丈な方なんだが、なんだかんだ言ってまだお若い御婦人だからな。できるだけのことはして守って差し上げないと……おや、ここの鎧戸はずいぶん固く締まっているな」
「お互い苦労しますね……ちょっと一緒に引っ張ってもらえますか?」
男二人が窓際でああだこうだと談笑しながら窓の鎧戸を開け閉めしている間に、扉の陰に潜んでいた小柄な人影はするりと部屋から出て行った。
灯火のない通路を銀髪の少女が音もなく駆けていく。廊下の窓から差し込む月光が、白レースの古風なナイトガウン姿の少女を切れ切れに照らし出す。
見張りの目を盗んで廊下に出たイラーナは、案内されたときの記憶をたどりながら進み、月明りを頼りに階段を下りた。部屋があった南西の塔は普段使わぬところなのか、一階の通路も人の気配はなく不気味に静まり返っている。イラーナは誰にも見つからぬように足音を忍ばせて、しかし足早に反対側の北東の塔に向かった。
ディーノの見立てでは、何かが隠されているとしたら自分達から一番離れたところだろうからそこが怪しいとのことだった。また、応対中の人の動きを見た感じでは、館の西側の別棟は使用人用らしい。夜でも起きている使用人がいると厄介なので、イラーナはそちら側は避けてホールの脇をこっそりと抜けた。
誰にも見つからずに無事、最初の応接室のあったあたりまで来たイラーナは、そこで使用人棟の方からやってくる灯りに気づいて、急いで物陰に身を隠した。息を殺して様子をうかがっていると、小さなランプと大きな何かを抱えた使用人が歩いてきた。自分の荷物で手一杯の使用人はイラーナには気づかず廊下をそのまま歩いていく。イラーナは柱の陰などに隠れながらそっと後をつけた。そうとは知らない使用人は廊下の奥の内階段に行き、階下の同僚に向かって声をかけた。
「おーい、ちょっとこれを降ろすのを手伝ってくれ」
「どうした」
「荷物で足元が見えない」
階下から上がってきた相手は、ランプを受け取って荷物を照らした。
「なんだよ、この大荷物。えーっと、毛布とクッションに……枕?」
「奥様が下にいるアレにとおっしゃったんだ」
「ええ? いるのかなぁ……」
「できるだけ快適に過ごしていただきたいんだそうだ」
「うーん。鎧掛けかなんかの方がいいんじゃないかなぁ?」
使用人達は手分けして荷物を抱えて階段を下りて行った。
「(鎧……?)」
イラーナは彼らの足音と灯りが遠ざかっていくのを確認してから内階段に近づいた。
目立たないところにある装飾のない石造りの階段は、地下に続いている。
イラーナは冷たい壁に手をついて、一歩一歩確かめるように灯りのない階段を地下に降りて行った。
§§§
「いやぁ、ありがとう。助かったよ。まだちょっと気になるところはあるが、あとは一人でやるから」
ディーノはにこやかに見張り役を送り出した後、客用寝室の扉をきちんと締めた。
「(さて……)」
厚手のカーテンを引いた裏でもう一度静かに窓を開ける。夜気は冷たいが開け閉めしていたばかりなので室内に流れ込んでくる感覚はない。部屋の外にいる見張りには全くわからないだろう。
ディーノはするりと窓から身を乗り出して、先ほど目処をつけていた窓枠の出っ張った飾りに足をかけた。音をたてぬように鎧戸を器用に閉めると、蔦と装飾を足掛かりに南西の塔の外壁を伝い主棟の屋根に降りる。中庭を中心に四隅の塔を結ぶ形の四角い館の南側の屋根に立ったディーノは、一度辺りをうかがった後、夜を駆る獣のように身を低くして、慎重に主棟の屋根を北側に向かって渡っていった。
館の北側では、手燭を掲げた者を先頭に幾たりかの人影が静々と馬蹄型の前庭を出てどこかに行こうとしていた。その一行の中ほどの4名は棺ほどの大きさの台を担いでおり、台の上には人が載せられているようなふくらみがあった。
人影が向かう先は館が建つ荒涼とした丘の上の何もないところだったが、昼間にはなかった三本足の篝火台が四つ設えられていた。黒いローブをまとった者達は運んできた台座を四つの篝火の中央に下した。
§§§
「奥様、月が昇りましてございます」
「参ります」
金糸で精緻な魔導紋が刺繍された儀礼用の黒いローブをまとったヴィクトリアは、大粒のエメラルドが連なる黄金の護符を胸にかけ、悠然と立ち上がった。
いざ!




