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魔女とあるるかん

 森のそばにある大きな屋敷に、くろがねの魔女と呼ばれる女性が住んでおりました。

 領主である父が倒れて歳若い娘が後を継いでからというもの、周辺の領主たちが何度も領土を奪おうとやってきましたが、それを鉄のように表情一つ変えずに全て追い返して領土を広げたので、娘はくろがねの魔女と呼ばれるようになったのです。

 いつしか娘の本当の名前を呼ぶ者はいなくなっていました。

 領主さまやお館さま、くろがね、魔女──皆そのように呼ぶのです。

 魔女は決して人々に嫌われてはいませんでしたが、好かれてもいませんでした。

 度重なる戦いは財政を逼迫(ひっぱく)させて領民に税金という形で跳ね返りましたし、戦いのたびに働き手である男たちが駆り出されるのですから、しようがありません。

 かつては小さな村だった街に下りたところで魔女は笑うことも泣くことも怒ることもできずに淡々と領民の話を聞いているので、彼女の祖父のように人々と親しげな関係を築くこともできないのです。



 あるとき、街を歩いていた魔女は手風琴を抱えた男の子に会いました。

 男の子は小さな手で目一杯手風琴を弾こうとするのですが、鍵盤に気をとられると蛇腹を押したり伸ばしたりすることができなくなりますし、蛇腹に気をとられると鍵盤を押す指がおろそかになってしまって、なかなかうまく弾くことができません。


「貸してごらんなさい」


 魔女は何年かぶりに微笑みながらそう言うと、男の子を膝の上に乗せ、一緒に鍵盤を押したり蛇腹を引いたりしました。

 なんとか音は出ましたが、かつて道化の少年が弾いていたような軽やかな音はしません。

 あの少年の奏でる音色がもう一度聞けたなら、きっと自分は涙を流すだろうと魔女は思いました。


「おーい、親父さんが呼んでるぞ」


 酒場の看板のぶら下がったレンガ造りの建物から出てきた青年の顔に、魔女は見覚えがありました。

 青年は慌てて男の子に駆け寄って「とんだご迷惑を」と頭を下げます。そうして男の子の襟首をつかんで説教をはじめました。

 リュカ、と呼ぼうとして魔女はやめました。

 青年が本当にリュカなのかどうかわかりません。本当にリュカだったとしても、もう七年近く前のことですから、魔女の顔を覚えていないかもしれないのです。

 仮に、もし仮に、青年が本当にリュカで魔女の顔を覚えていたとしたら。

 魔女はヴェールの内側で小さく息を飲みました。

 きっとそのときは、そばにいて欲しいと口にしてしまうでしょう。



 魔女がいくつも言葉を飲み込む間にお説教は終わったようです。男の子が手風琴を青年に渡して弾いてくれとせがみます。最近練習してないから、高貴なご婦人に聞かせるものじゃないからと断り続けた青年ですが、男の子が折れなかったので一曲だけという約束でレンガの塀の縁に座って手風琴を構えました。

 ドレミファソと音階を順に上がっていく青年の手はなめらかで、聞き覚えのある、あの音色でした。

 時々間違えながらも懐かしい曲を弾く青年を前にして、布の靴に包まれた魔女の足がとんとんとステップを踏みます。魔女はローブのすそを持ち上げ、長い袖をひるがえして踊りました。


「お嬢様」


 手風琴を弾き終えた青年がそう言うと魔女はヴェールをそっと外して首を横に振りました。


「私はジュノです」

「ジュノ。ジュノ様」


 何度も噛みしめるように名前をくり返す青年の前で小さくお辞儀をすると、魔女は涙を浮かべながら微笑みました。


「もう一曲、今度は私のために弾いてはいただけませんか」


 喜んで、と青年は笑って再び手風琴の蛇腹を伸ばしました。

 そうして青年は、くろがねの魔女をただ一人ジュノと呼ぶ人になりました。



<おわり>

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