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九尾の狐の娘  作者: 冬戸 華
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第6話  想い

 万姫は、安部を見た瞬間只者ではないと気が付いた。巫術氏か。いや、日本なら陰陽師か。


「葵、ごめん。急用ができちゃって。後は頼むね。」

「え?なに?どうしたの?」

 驚く葵を尻目に、急いで荷物をまとめるとそのまま社を後にした。


 人通りの多い道を避け、川沿いを北に向かって急ぎ歩く。何かが起こった時に、周りに沢山人がいない方がいい…。


 しばらく歩くと、背後から数人の男が気配を消して付いてくるのが分かった。いくら気配を消しても、万姫には分かるのだ。陰陽師だ。


 男たちは人気が薄れてくると一気に歩を速めた。万姫が振り返る。


 数人の陰陽師たちが、結界を破る為の短剣を持って襲い掛かってきた。術が込められた短剣で一突きにされれば妖怪の命なんてひとたまりもない。母がそうであったように…。


 万姫は必死に妖術を繰り出した。時空を歪め、辺りの景色を煙に巻き、方向感覚を失わせ走り去ろうとした。

 が、相手は手強かった。結界を破り突き進んでくる。


 万姫は術で竜巻を起こし、陰陽師たちを空へ巻き上げると、野良犬に姿を変え走り逃げた。

そのまま走って池のほとりまで着くと、一気に水を飲み一息ついた。が、ここも安全ではない。間諜たちが既に突き止めているだろう…。


 万姫は池や小屋の周りをゆっくり見渡した。そして、ひとつひとつの景色を目に焼き付けるように眺めて周った。


 万姫は悟っていた。ただ、最後の時が来ただけだと。

妖怪である母と共にこうなる運命だったが、それが遅かっただけだ。戦うつもりはない。


 ただ、ここであった幸せの数々を忘れたくはなかった。池のほとりに座って思い出す。目を閉じると、その光景が鮮明に瞼に映しだされた。


 心から慕った宗仁。自分が妖怪だと知りながら、普通の人間として扱い数多の幸せを教えてくれた。

 自分の想いを伝える事はできなかったが、それでも良かった。


 本当に幸せだったと思う。母の束縛から逃れて一人で過ごす事を選び、孤独に生きる自分を変えてくれた大切な人。彼のお陰で、人と触れ合う楽しさや喜びをたくさん知った。

 できる事なら、彼にはもう少し長く健康に生きてもらいたい…。

病で残り少ない宗仁の命を、妖術で治す術はなかったが、もう少しだけその命を永らえさせる方法なら、一つだけある…。


 万姫は小屋の中へ戻ると、筆をとって手紙を書いた。そして書き終えると、書棚から、医学書の全てを卓の上に並べ、手紙と共に並べて置いた。


 そして、さらにその奥にしまってあった黒い短剣を取り出した。


 それは、母の妲己を滅した短剣だ。巫術氏の呪詛のこもった黒曜石でできたこの短剣なら、妖怪を滅する事ができる。

 母が死んだ時、万姫は逃げる際にこれを一緒に持って逃げた。いずれ自分に使う為に…。


 遠くから、大勢の軍勢が向かってくる音が聞こえる。

万姫は心穏やかにそれを聞いた。時は夕暮れを迎え、辺りは少しずつ暗くなり始めていた。


 万姫が外に出ると、松明を手にした沢山の私兵が池の対岸に集結していた。誰かが叫んだ。

「悪鬼だ、討ち捉えよ!」

 私兵たちが矢をつがえ、剣を振りかざす。


 しかし万姫がさらに大きな声でそれを制する。

「待って下さい。私は無意味な戦いはしたくありません。お望みどおり、この場で自刃致します。ただ、最後に一つ願いを聞いてください。」


 一瞬、私兵たちの手が止まった。

「最後に上皇様にお伝えください。命ある限り、幸せに生きて欲しいと。」

 そこまで言って、万姫は静かに目を閉じた。これでいい…。


 兵が一気に万姫に向けて矢を放つ。何本もの矢が、万姫の胸を貫いた。が、これで妖怪が死ねるはずはない。


 万姫は、手にしていた短剣を自分の胸に深く突き刺した…。


薄れゆく意識の中で、松明の明るい光が池の水面に映り、万姫の目には淡い光となって滲み揺らめくのが見える。


「宗仁様…灯篭が綺麗ですね…。」

 そう呟いて倒れ、万姫は目を閉じた。そしてそのまま、二度と目を開ける事はなかった。



 会議の最中の宗仁の所へ彼の直属の間諜が、慌てて走り寄ってきた。


「何事だ。」

「大勢の得子様の外戚の私兵が、玉藻という巫女の家へ攻め込んでいます。」

「なに!」


 宗仁は何が起こったか分からなかったが、その場を飛び出し馬を走らせた。夢中で急ぎ走らせ、池のほとりの小屋を目指した。が、時は既に遅かった。


 池のほとりに着いた宗仁の目に飛び込んできたのは、大勢の私兵たちと陰陽師だった。


 そして、池の対岸には倒れている万姫が目に入る。


「一体何をしたんだ…。」

 馬をおりて、万姫の元へとよろよろと近づく。


そこへ軍と共にきていた安部が、事の次第を説明しようと宗仁に声をかけた。

「妖怪退治の指示を得子さまが…。」


 しかし、宗仁は聞いていなかった。万姫はすでに息絶えていた。なぜこんな事になっている…。宗仁は呆然としながら、万姫の胸に刺さった矢を取り除いていた。


 その場にいた私兵たちはどうしたらいいのか分からず、ただ宗仁の行動を見守っていた。


「誰もついて参るな!」

 宗仁はそう強く言うと、万姫を抱え一人小屋の中へ入っていった。そして万姫を寝床に横にすると、深く刺さった短剣を引き抜いた。

「なぜこんな事に…。」

 宗仁は万姫を抱きかかえ、嗚咽し泣いた。妖怪なのだから、何とか蘇ってくれないかと揺さぶって泣いた。混乱し、激しく泣き叫んだ。


 しばらく泣き悲しんでから、そばの卓の上にある手紙と書物に目がいった。それは万姫が宗仁に宛てた遺書だった。


 万姫の血でまみれた手のまま、その手紙を読む。そこには、万姫が宗仁のお陰で幸せに生きた事への感謝の言葉が綴られていた。

そして、自分の命と引き換えに、後何年かの健康な寿命を宗仁に捧げる事ができる旨が書き記されていた。


 最後には、自分を深く愛していてくれた事も書き綴られていた…。万姫が初めて語った宗仁への想いだった。


 宗仁の涙はとうに枯れていた。ただ、愛する者を失った悲しさだけが彼を包んだ。

 

 皇族の生活こそ自由もなく愛情もなかった。宗仁は常に愛に飢えていた。それを満たしてくれたのは、万姫の方ではないか…。

 数年寿命を延ばしてもらっても、万姫を失ってしまった宗仁にとっては、この先の人生に何の希望も見出せなくなっていた。


「万姫よ、ありがとう。私の方こそ幸せであったのだ。

私もそなたを、出会った時から慕っておったのだ…。孤独な私に愛を注いでくれたのは、誰でもない、そなただったのだ。これからも万姫の側に居たかった…。」

 宗仁は、万姫の胸に刺さっていた短剣を手に取った。


「万姫よ、そなたの最後の命懸けの望みを聞いてやれなくてすまない。勝手を言い本当にすまないが、私の最後の願いをきいてくれはもらえまいか…これからもずっと側に居させて欲しい…。それが私にとっての一番の幸せなのだ…。」

 穏やかな表情で微笑みかけ、万姫の顔をなでると、宗仁は短剣を自分の胸に深く突き刺した。


「またこの池で灯篭を見よう…。」

 そうつぶやいて、宗仁は目を閉じた…。



 宗仁が小屋に入ってから随分時が経った。安部はさすがに心配になり、一人中へと入っていった。が、彼の目に飛び込んできたのは、折り重なるようにして亡くなっている二人の姿だった。


 慌てた安部は、

「急ぎ中へ入れ!上皇様を侍医の元へお連れしろ!」


 声を荒げる安部に、皆驚いたが、宗仁が胸に短剣を刺して気を失っている事にさらに驚いた。慌てて御所に運び、侍医に治療を依頼する。が、すでに宗仁は息絶えていた。


 一人小屋に残っていた安部は、間諜の一人から宗仁が崩御した知らせを聞いた。驚きはしたが、やはり玉藻は妲己だったのかと思った。そして彼女が住んでいた部屋を見渡す…。


 ふと、卓上に多くの書物が置かれているのに気が付いた。

「これは…。」


 日本中の医者を集めても、これほどの医学知識はでてこないだろうという程の医術の書かれた本であった。おそらく中国のみならず西洋の治療法まで詳細に記されている。


「これがあれば、どれだけの命が救えるか…。」


 そこまで思って、はたと安部は止まった。もしかして玉藻は上皇をここで治療していたのではないか。そばには薬草をすり潰す薬研がある。薬湯を飲ませる杯も棚にあった。そして外を見てみると、よくある薬草の他に他国から取り寄せたのであろう、見た事もない薬草も生えていた。


 自分は何か間違ったのかもしれない。確かに玉藻は妖怪だった。間違いなく妲己と関係があると思われた。

 が、上皇に危害を加えるつもりではなかったのかもしれない。寵愛を失った得子と話しているうちに、自分も判断を誤ったのかもしれない…。


 いまさら安部は悔いた。しかし全てが遅かった。そして足元に目がいく…。そこには玉藻の血と思しき朱の滲んだ遺書があった。


 安部はそれを読んだ。読んで固まった。そして、みるみる内に涙が溢れて嗚咽しはじめた。あまりに悲しい内容だった。


 安部は間諜に伝えた。


「得子様には詳細は説明するな。そして、天皇にあの二人を共に埋葬するよう話してくれ…。」

「承知。」

 即座に間諜は去った。


 安部は空を見上げた。人も妖怪も色んな個性がある。姿形が皆と違うだけで悪と決めてしまってはならない…。世の中には神に仕える狐だっているというのに…。

 各々の良い所を見て手を取り合っていけば、どこの国の人間でも妖怪でも、争い合う事は減るのではないか…。


 玉藻の遺した遺書も一緒に埋葬する為に、手紙を懐にしまった安部はただ、朱に染まってゆく空を眺めつづけた。




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