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九尾の狐の娘  作者: 冬戸 華
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第5話  巫女の正体

 雨ごいの儀式と、病を治す巫女の存在は、あっと言う間に京やその周辺に知れ渡った。そしてそれは宮中も例外ではなかった。


 一時上皇の寵愛を受けていた皇后の得子は、最近夫が閨に来ないどころか、夜な夜などこかへ抜け出している事を不審に思っていた。


 いや、夜な夜な抜け出していた事は、今に始まった事ではない。ただの散歩と聞いている。得子が入内してきた時には、既に上皇の癖のような物であったと認識していた。


 激変する政治に疲れていた宗仁は、よく閨を断ってきた。が、務めはちゃんと果たしてくれる。得子には天皇に即位した息子の他に内親王ももうけていた。

 

 政略結婚に恋愛なぞ関係ない。そう思っていたが、宗仁がいきなり連れてきた稀代の美貌をもつあの巫女は何者か…。気になった。


 御所には、困窮した民が噂の巫女を呼んで欲しいと嘆願に訪れる者が後を絶たなかった。

 あまりに多くの民が請う為、大臣たちは無下にする事もできず、京で大きな神社の一画に、玉藻が祈祷する為の社を設ける事を上皇に進言した。宗仁は迷ったが、万姫が許すのならと、許可を出した。


 万姫は初め人前に出る事を大変恐れたが、困窮している民を見捨てられなかった事と、宗仁の許可もあって受け入れる事にした。


 万姫の社には、連日多くの貧しい者達が列を成した。ある者は病の治癒を、ある者は家の厄払いの祈祷を、様々な悩みを万姫は受け入れ妖術を使って無償で治していった。

 

 その度に万姫は人々から感謝される。それは妖術を封印したはずの万姫の心に、何かが満たされる思いが積み重なっていった。喜びに近い気持ちだった。

 

 万姫には友人もできた。あまり深く関わらないようにしようと距離を置いていたが、屈託のないその少女は万姫よりやや幼い巫女で、一線を引く万姫の様子を気にする風でもなく、いつも明るく万姫に話しかけてきた。


「ねえねえ、玉藻さん。あなたは私より年上だけど、どうやってそんなに沢山の知識を学んできたの?」

 素直な子だった。

「うーん、経験かなあ…。」

 万姫は曖昧に答えた。

「そうなんだー。まるで百歳近い人の知識みたいですごい!」

 一部当たっているかもしれない…。

「そうでもないよ。私にも分からない事はあるし、できない事だってあるから。」

「えー。玉藻さんなら何でもできそうよ。ねね、それより、この後お勤め終わったら一緒に市場へ行かない?今日は貿易で珍しい物が沢山入ってきてるんですって!」

「市場かあ…。」


 何となく宗仁と初めて遊んだ市場の風景を思い出す。そういえば最近宗仁に会っていない。万姫が祈祷の仕事を始めた事もそうだが、政治もまた徐々に変化の兆しを見せていた。忙しいのだろう。


「行ってみよっ。」

 葵と名乗る少女は、お勤めが終わると、有無を言わさず万姫の手を取って市場へ向かった。


 市場では、よくある中国からの物以外にも、朝鮮や南国の物らしき珍品も売られていた。

「すごい人だねえ。」

 葵は目を輝かして、色んな装飾品に見入っている。万姫にとって見慣れたそれは、純粋な人間のこの少女には大変珍しい物だろう。

 

 万姫は中国でよく見た金装飾が美しい歩揺を買うと、葵の結い上げられた髪に挿した。動く度に先に付いている小さな鈴が、しゃらんと小さく可愛い音色を奏でる。

「うわー。ありがとー!綺麗ね、これ。うれしい。」

 葵は喜んで万姫に抱き着いてきた。ぎゅっと抱きしめられて、万姫は悪い思いはしなかった。もし普通の人間に生まれていたなら、これは当たり前の事だったのかもしれない。万姫は人の体の温かさを知った。


 こうして数年が経過したが、万姫は妖怪と知られる事もなく日々楽しく暮らしていた。友人も増え、お茶会なども楽しむようになっていた。


 そしてある日の夕暮れ、小屋へ帰ると先に宗仁が中で待っていた。

「しばらくぶりだな。楽しくやっておるか。」

 久しぶりに会った宗仁に、万姫の心が躍った。

「はい、つつがなくやっております。ありがとうございます。」


 万姫の満面の笑みに、宗仁もつい笑顔になった。思わず抱きしめたくなるが、それはしなかった。いくら想いを伝えたところで、自分は妖怪だと言い張る万姫を困らせるだけだろう…。

 もしかすると逃げ出してしまうかもしれない。それならこのまま、いつもと変わらず万姫の側にいたかった。


 が、万姫は気が付いていた。宗仁の心臓が弱ってきている。


「宗仁様。最近お疲れのようですが、息が重く感じる事はありませんか?」

「ああ、時々な。最近政務が忙しくて、あまり眠れていないせいかもしれない。」

「多分、心の臓が弱りつつあるのだと思います。あまり無理をなさらぬように…。」

「そうもいかない。最近近衛天皇の具合が時々悪くてな。またいずれ譲位をどうするかなどの話に巻き込まれよう…。」


 ここ数年の内にも政治は変動していた。崇徳天皇亡き後、璋子は虎視眈々と近衛天皇の崩御を狙い、手を下しこそしなかったものの、次期天皇には息子の勝仁をと目論んでいた。今でこそ外戚はまだ静かだが、何が起こるか分からない。


 万姫はこの時の為に育ててきた薬草を取ってきてすり潰した。そして白湯に混ぜると宗仁に勧めた。

「これは何だ?」

「薬湯です。心の臓の動きを改善します。中国より取り揃えた物なんですよ。」

「さすがは何百年と生きる妖だな。中国の知識か。宮中の侍医でもここまでは知らないだろう。」


 苦い…と言いながら、宗仁は飲み干した。よく自分に何の病が起こると分かったな。これが妖か…。


 それならなまじ人間の元にいるより、妖である万姫の側で暮らした方がよっぽど良いではないか…。

政務や宮中の人間関係に疲れ果てた宗仁が弱気な気持ちになったのは、単に病のせいだけではないのかも知れなかった。


 政治は思う存分全うした。まだやり残した事はあるが、いずれ自分が敷いた院政も新しく塗り替えられていく事だろう。政治はその繰り返しだ。

 それならば、いっそこのまま万姫の側で余生を過ごしたい…。


 決して口にできぬ思いが宗仁の胸に深く積もった。


 得子は宗仁が帰ってくると、巫女について尋ねようとした。が、彼は疲れているからと、話を断った。ならばと得子は侍医を呼び寄せ宗仁を診させる。脈を診た侍医の答えは、半ば想像通りだった。最近顔色が悪い。今日は幾分いいが…。

「上皇様は心の臓がやや弱っておられます。普段の生活に支障はないでしょうが、今後鍛錬や乗馬など激しい運動はお控えなさるよう進言致します。」

「そうですか…。分かりました。下がって良い。」

 二人きりになると得子は尋ねた。

「まだ最近も馬に乗って川原まで行かれるのですか。」

「ああ、一番落ち着くからな…。」


 一番落ち着く…。


「もしや、どこかの宅へ行っておいでなのですか。」

 得子は単刀直入に聞いた。

「いや、それはない。いつも一人だ。」


 嘘だ…。得子は見抜いた。嘘を付けないこの人は、つかねばならぬ嘘をつくとき、最初に少し言い淀む。


「そうですか…。ですがお体を大事になさって下さい。まだ近衛天皇も幼いですから。」

「そうだな…。」

 得子が去って行った。振り返りもせず、音を立てて襖を閉めた。

 じっと閉じられた襖を見ていた宗仁だったが、ゆっくり起き上がると再び馬に乗って御所を出た。


 得子は自分の部屋へ戻ると人払いをし、一人の信頼のおける間諜を呼んだ。

「お呼びで」

 物陰から静かな問いかけが来る。

「神社の一画にある社にいる、玉藻という巫女の詳細を調べて頂戴。」

「承知。」

 短く答えると、間諜は音もなくどこかへ消えた。

 

 床に就いてうとうとしかけていた万姫は、何かの物音で起き上がった。馬?まさか。

が、そこにいたのは、先ほど帰った宗仁だった。来てくれたのは嬉しいが息が荒い。


「どうなされたのですか?」

 宗仁を支えるようにして腕をとり中へ入ると、まずは宗仁を床に休ませた。

「ひとまず薬湯を。」

 と急いで万姫は薬草をすり潰すと、温かいうちに宗仁に飲ませた。飲み干してから一息つくと、

「万姫よ、ありがとう。」

 と手を取って礼を言い、宗仁は眠りについた。

なぜ先程帰ったのに、またいきなりやって来たのか…。

また、宮中で心中穏やかでいられない事でもあったのだろうか…。


 宗仁の息が穏やかになってゆくのを見届けると、万姫は筆をとった。そして、今まで知りえたありとあらゆる治療法を全て書にしたためた。


 万が一自分がいなくなっても、誰かがこの書を指南にして宗仁の治療を続けてくれるように…。東洋から西洋まで伝わるありとあらゆる治療法は、何冊もの本として綴じられた。


 それから五日間程万姫の元で療養していた宗仁は、完治とはいかないまでもすっきりとし、久々に爽快な気分を味わった。


「万姫よ、これからも私の治療を頼めるか?」

「もちろんですよ。いつでもお越しください。」

 万姫が笑顔で答えるのを見て、宗仁はまた御所へと戻った。


 五日間も所在不明にしていた上皇を皆が心配し捜索していたが、意外にも元気に馬に乗って戻ってきた事に皆が安堵した。

「どこへ行ってらしたのですか。お体を心配いたしておりましたが。」

 侍医が慌てて脈をとると、不思議と以前より圧が強く整っている。なぜだ…。侍医には分からなかった。


 得子はややいらいらしていた。間諜からは、これといった朗報はない。一体あの巫女は何者なのだ。そして上皇とはどういう関係で巫女に抜擢されたのか…。


 と、物陰から得子を呼ぶ合図が来る。得子は人払いをし、間諜を部屋に入れた。

「巫女の正体が掴めません。今しばらくお待ちを。」

「なぜだ。ただの女子であろう。後をつければ良いものを。」

「それが、社を出て暗闇に入ると、すっと姿を消してしまうのです。」

「忍者か。」

「可能性はあります。ですが、忍者なら、つけられたと分かれば反撃に出てくるでしょう。もしくは妖か…。」


 妖…。考えてもみなかった。だが、彼女が妖だとするなら全ての辻褄が合う。必ず雨を降らせられる事も、病を瞬時に治す事も。そして、上皇を妖術で騙す事もできるだろう。


「分かった。では、陰陽師を呼べ。」


 宮中に参内した陰陽師の安部は、得子が苛立っている為になかなか顔を上げられないでいた。

「面を上げよ。」

 得子の声に恐る恐るその顔を見る。声は苛立っていたが、表情は柔和そのものだった。これだから女は怖い…。と密やかに安部は思った。


「何用でございましょうか。」

「神社の一画の社で祈祷をする、玉藻という巫女を見てきてほしい。その者が妖か人間か、そなたの目で見極めてきて欲しいのです。」

「妖…。神社でしたら狐の化身か何かでしょうか。狐でしたら神にお仕えしているだけなのかもしれませんが。」

「分からぬ。ただ、上皇様とも何か関係がありそうなのです。良いですか、この事は決して他言せぬよう。上皇様のお耳に入るような事があれば、そなたの首はないと思いなさい。」

「は、承知いたしました。」

 これはまた難題を…と安部は冷や汗をかいた。が、断る事ができるはずもなく、護符や短剣を持って、指示された社へと向かった。


 社には、すでに大勢の民が列を成していた。安部も並んで周りの人々の噂話に聞き耳を立てた。

「何でも、どんな病気もたちどころに治してしまうそうよ。」

「私もこの前、家が火事になると教えられて、慌てて帰って無事に防げたわ。」

「うちは子供が人攫いにあったんだけど、巫女さんが居場所を教えてくれてね。危うく中国へ売り飛ばされる所だったの。危なかった。」


 評判はかなりいいようだ。列が進む。徐々に居並ぶ巫女たちの顔が見えてきた。

 さらに先へ進んだ所で、安部は驚いた。玉藻が美人であるとは評判には聞いていたが、絶世の美女だ。なぜこんな美女が嫁にもいかず、巫女なぞしているのか…。


 そして、安部は玉藻とよく話す一人の若い巫女に目がいった。髪に豪奢な歩揺を挿している。あれは日本にも少しはあるが、金の細やかな装飾と揺れる鈴をつけたそれは、主に中国の妃賓がつける事が多く、一般人は普通は付けない。それともただ知らずして、舶来品を付けているだけなのか…。


 そして、安部の順がやってきた。

「何かお困りごとですか?」

 玉藻という絶世の美女が涼やかな声で話しかけてきた。

 

 瞬間的に安部は、玉藻の妖気を感じ取った。これは只者ではない…。いや、かなりの妖術使いだ。


 安部は動揺を面に出さないよう努めて冷静に振舞った。

「はい。尋ね人がおりまして。なかなか見つからないのです…。」

「それは困りましたね。どんな風貌の方ですか。」

 玉藻の横にいた巫女が聞いてきた。

「ええ、風貌ですが…。女人ですが、ちょうどあなたのような簪を付けていたのです。あなたはそれをどこで得たのですか?」

「これですか?綺麗でしょ。玉藻さんに貰ったんです。」

 と、その巫女は玉藻を見てにっこり笑った。


 が、玉藻の表情はなぜか固かった。


「そうですか、それでは私はこれで…。」

「え、尋ね人はいいんですか?」

 歩揺を挿した巫女の声を無視して、安部は列から離れた。


(間違いない、あれは妖だ。しかも歩揺を知っているなら、中国の妖だ。そしてあの美貌。中国の美貌の妖といえば…。)


 安部は三百年前に殷王朝を没落させた傾国の美女の話を思い出した。その美女の名は妲己と言い、悪の限りをつくした九本の尾を持つ狐の化身だ。神の使いなどではない。安部は強敵を前にひるみそうになる自分を鼓舞した。

 

 ちょうどその頃、得子は間諜から報告を受けていた。間諜は仲間の情報網を使い、上皇と巫女の関係性を突き止めていた。


「上皇様は、あの玉藻という巫女に頻繁に会いに行っているようです。池のほとりに一人で住んでいるようでして、どうやら上皇様はそこで寝泊りもされているようです。」

「なんてこと!本当ですか。」

 得子は怒りに震えた。少し前まで上皇の寵愛は自分のものだったのに。


「すぐに玉藻をここへ連れてきなさい。」

 怒りのまま間諜に指示していると、慌てた様子の安部が部屋を訪ねて来た。間諜がいるが構わない。

「入りなさい。」

 と、得子は安部を中へ入れ、襖を閉めさせた。


「得子様。今しがた玉藻なる人物を確認して参りましたが、あれは人間ではありません。狐の化身です。しかも神の使いなどではなく、九尾の狐とよばれる悪の化身です。」

「九尾の狐?」

「はい。三百年程前の中国の伝承になりますが、当時妲己と呼ばれる傾国の美女がいたそうです。妲己とは九本の尾を持つ狐の化身で、当時の王を篭絡し悪の限りを尽くし、戦乱を起こし、国を滅ぼした恐ろしい妖怪で御座います。」

「なぜ中国の狐の化身と分かったのですか。」

「玉藻なる巫女が、歩揺という物を知っておりました。歩揺とは日本でいう簪の事ですが、少しばかりなら日本にもあります。本来は中国の装飾品ですが、巫女の付けていた歩瑶は金装飾の素晴らしい、豪奢な物です。それ程の品になりますと、皇后など高位の妃賓のみがつける特別な簪です。それを日本でたまたま知らずして手に入れたのか、知っていて手に入れたのか…。ただ、友人に贈り物として渡したそうですので、高価な物と知っていて渡したのでしょう。渡された相手の巫女は、大層仲が良さそうな雰囲気でしたので、さすれば良い品をあげようとしたと考えるのが妥当でしょう。」

「な、なんて事…。」


 両方から報告を聞いた得子は、恐怖におののいた。二つの報告を合わせれば、上皇は九尾の狐に篭絡されて、毎夜会いに行っては寝泊りしてくる…。

 そして九尾の狐は上皇を使い、日本を壊滅させようとしているという事になる。


 こんな話を、篭絡されている上皇に伝えた所で逆に怒りを買ってしまうかもしれない。


「いいですか。まず安部殿は、他の陰陽師を連れて、今すぐ玉藻の元へ向かいなさい。そして、上皇様に知られないよう即座に討ち取りなさい。そして間諜は、もし玉藻に返り討ちにあった時の為に、今から私兵を集めなさい。」

『承知いたしました。』


 安部と間諜は去って行った。今頃上皇は議会の真っただ中だ。大臣たちや他の重臣もそこにいる。上皇に知られる前に動くとするなら今だ。

 得子は焦っていた。



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