すくい
小学一年生のころだっただろうか(もう少し上か)。
生き物に触れてみようとかそういうことであったのか、どじょうすくいをする校外学習があった。
『どじょうすくいをする道具を家から持って来ましょう』
ということで、その日にお母さんが持たせてくれたのは、ざる。
本当にこれでいいのかと思ったのかどうかは覚えていないけれど、まぁ持って学校に行った。
教室で目にしたのは、ほとんどが虫取り網のようなものを持って来ていたクラスメートたちだった。
そして、その中で明らかに浮いている ざる を持っていた僕に注目が集まる。
「なんだよ、それ」
当然のように失笑を含んでバカにされた。
ざるを持って来ていたのはもうひとりいたけれど、そいつがどうだったのかは分からない。
「ざるも、すくえる道具だよね」
そんな感じで先生がフォローを入れてくれたものの、恥ずかしい思いは消えなかった。
僕の今日の一日は終わった。
そんな、失意の中で挑んだ、どじょうすくい。
虫取り網のようなものを持って来ていた生徒たちは、思うようにすくえない。
圧倒的にすくったのは、ざるだった。
お母さんは正しかったのだ。
バカにした者たちよ、見ろ。これが、ざるの力だ。
などと得意気だった。お前(僕)も疑っていたくせに。
でも、そんな正しさが通用するのも小さいころくらいで。
段々と、正しさよりもその場の集団の意見のほうが強くなっていった。
雨の日、長靴を履いて登校。
当然だ。濡れるからな。
これも。
「こいつ、長靴履いて来てやがる」
てなもんである。
バカにされたくない。
その思いから、長靴を履いて行ってほしいお母さんに反して、普通の靴で登校したりもした。
軽いケンカまでして。
みんなに合わせないといけないんだ。どうして分かってくれないんだ。
そんな感じだったと思う。
笑われる度合いは低くとも、個性は抑えて合わせるなんてことはしないくせにね。
長靴の話は一例で、このような話は高校まで続いてしまった。
大人になってから、こんな人と出会った。
「学校に長靴? 普通に履いて行っていたけど」
堂々と学校に通っていたらしい。
それだけではなくて。
ギアチェンジができる自転車が欲しいと言ったところ、その人のお母さんはギアレバーをダンボールで自作して自転車にくっつけたらしい。
もちろん、ギアが生まれたわけじゃあない。
ギアチェンジの気分が味わえるだけで、ギアは変わらない。実際にはギアはないのだから。
その自転車さえも、楽しく乗っていたらしい。
長靴もお手製のギアレバーも、バカにされたこともあっただろうに。
たとえ、バカにされても。
長靴じゃあないと、足は濡れてしまう。
手作りのギアレバーでも、お母さんが懸命に作ってくれたもの。
きっと、その人のようであるべきだった。
「何が悪いんだよ」
なんなら、そのくらい言える奴で。
母さん、情けない子でごめんなさい。
もし、あのころに戻れるのなら……。
やっぱり、繰り返すかなぁ……。




