未来
小学生のころの思い出と共に、大人のころを語る。
甥くんが三歳になったあたりのころだろうか。
俺が車を出し、親父と母さん、そして甥くんとで海に行ったのだ。
海といえば、怖い思い出がある。
小学生低学年のころだったと思う。親父、母さん、兄貴と家族で海に来ていた時のことだ。
レンタルした浮き輪を使って、うまく波に乗りながら沖まで行って楽しむ兄貴。それは、とても楽しそうだった。
いずれ砂浜に戻ってきた兄貴から浮き輪を借りて『おにいちゃんのように』と淳司少年は海に入った。
押し寄せる波。これに、うまく乗って——。
淳司少年は海でも不器用だった。
浮き輪があるというのに波に乗れず、見事に飲まれてしまったのだ。
浮き輪が体から外れる。なんとか手でつかむも、そのうちにつかんでいる感触は消えた。
海という水が全身を覆う。息が、できない。
恐怖を感じたのは一瞬か、あるいは永遠のような長さか。
気が付けば、淳司少年は高い所から落下したように砂浜に叩き付けられていた。
痛い。
痛かった。
でも、痛みで済んで幸いであった。
波に飲まれて行った先が沖、その海中であったのなら命はなかったかもしれない。
浮き輪がぷかぷかと海中に浮いていた。
放心状態の、淳司少年の心のように。
そんな浮き輪は、しっかりと回収。
なくして、弁償する羽目にならなくてよかった。
そう、海は危険なのだ。
甥くん、海は泳ぐんじゃあなくて観るものだ。近づくんじゃあない!
預かった大切な君。その命を、この海で散らせるわけにはいかない!
「わぁい」
甥くんは、砂浜をとことこと歩く。
日中といえど、夏を過ぎて肌寒い秋。
止めるまでもなく、甥くんは海には近づかなかった。
俺の心配は、むなしく冷たい風に流されていった。
海を眺めた一行は、昼食にと海の近くで評判のいいラーメン屋さんに入った。
海というより、目的はここであったかと思う。
して、その味は——。
微妙だった。
泳いだあとならおいしいのか、ライバル店がないためにここらで一番なのか、単なる私の好みなのかは分からないが。
昼食後も、どこかに寄っただろうか。
何にしても、帰る時というのは来るものである。
助手席に母さん、後部座席に親父と甥くんを乗せて帰路に着く。
ふぅ。甥くんに何事もなくてよかった。
あとは、帰るだけだ。
だが、何事というものは、油断したときに起こるものなのだと思い知る。
はうっ!
お腹で、あるものが急降下(腹を下す)。
『俺』が。
食事。
いつもと違う量、いつもと違う時間帯、いつもと違い過ぎる内容。
いつのころからか、俺はこれらで簡単にお腹を下すようになってしまっていた。
そう、今回も。
「や、やばい。腹を下した」
「えぇ?」
親父か母さんかが、そんな反応をする。
だが、何かできるはずもない。
家まであと二十分ほどの距離。
しかし、これは数分と保たないやつ。
なんで、いきなり最高潮なんだよ。
せめて、あと少し遅れてキてくれれば。
家に帰ったあとなら、どれだけ壊れてもいいのに——いや。
不都合な爆弾の爆発は迫る。
切羽詰まった俺は、甥くんに大人とは思えないことを叫んだ。
「もう駄目だぁっ! 甥くん、甥くんのオムツを貸してくれぇっ!」
甥くんのオムツ事情がどうだったのかはともかく、この時は一応着けており、替えも持っていたはずだ。
痛い大人の渾身の叫び。それに対して、甥くんは冷静に口を開いた。
「小さくて入んないよ。トイレ行けばいいじゃん」
がっ! おまっ! 三歳になったばかりだというのに、なんて言語能力。末恐ろしいガ——、お子様だぜ。
くそう。完全にオムツが取れてから言えよ。……だがしかし、その意気だ! 社会で強く生きていく素質十分だな!
そんなことを思っている場合じゃあない。
もちろん正面を向いたままであるが、助手席の母さんの姿が視界に入る。
感心したように『うんうん』と頷いている。
感心している場合じゃあねぇ。今は孫への感心よりも、子の心配をしろぉ。
親父は静かに見守っている。
ああああ、もう。誰か、俺のパンツと腹——いや、心の心配をしてくれぇ。
そうこうしているうちに、甥くんの言うトイレがある場所、我らがコンビニに到着する。
まだだ。まだ油断するんじゃあない。
「トイレ貸してください」
「はい」
誰も入っていない。
かああぁぁみぃよおおぉぉ。
(訳:神よ、助かった。 ※紙がなかったわけではない)
うおおおおおおおおおおおおっ! このトイレ、俺がもらったああああああっ!
こうして、危機は去った。
だが、その後。
俺は不在であったが、そのコンビニの前を通った時に甥くんは言ったらしい。
「あ、ここは、おじちゃんがトイレを借りた所!」
甥くんは、俺とは違って道や場所をしっかりと覚えられる者であった。
なんだろう。
え? これ、一生言われ続けるやつ?
言われない未来よ、カムバァック!
こんなことを言われない大切な未来を、俺は失ってしまったのかもしれない。




