挿話 名前
成野淳司。
人数が多くはない田舎の小学校に通っている。同学年は幼馴染である。
だとするならば、違和感を覚えた読者様はいないだろうか?
同様の環境で過ごしてきた方であれば、特に気になったかもしれない。
そう——、
『なんでこいつ、名字で呼ばれているんだ?』
と。
幼馴染なら名前ではないのか。そして、田舎であれば先生からも。
そのとおりかは分からないが、私の周りでは大体そうであった。
私も、例に漏れず名前で呼ばれていた。
しかし、これまでの作中で『成野』呼び(ほんの少し『ナル』)だったことは、読んできてくださっている読者様にはご存じのとおりである。こちらの回が初めての読者様は、そうだったのかと読み進めてくだされば嬉しい。
なぜ『成野』だったのか。
成野淳司の知名度がなかったからである。
人名は大抵名字から覚えるもの(違ったらすまない)。
姓名よりも、まずは名字に集中して覚えていただこうとした次第だ。
実際に呼ばれていたほう(名前)とは異なるが、そこはまぁ創作としているし、ペンネームなのだから『成野』も名前みたいなものだろうと。
家族に呼ばれるときですら『成野』を使おうかと思ったくらいだ。
さて、どうしてこんな話をしているのかといえば、その理由はこちら。
今までの『ナル含む成野』呼びは、全部『淳司』呼びでした。てへ。
これからは、実際に呼ばれていたように使い分けていくことの予告。
知名度はまだまだないのだが『淳司さん』や『淳さん』と名前や名前からの愛称で呼んでくださる方も現れて、名前まで覚えてきていただいているようだからと踏み切ることにした。
呼称によって関係性を想像してもらったり、場合によっては表現をしやすいためというのもある。
多くの幼馴染から離れて進んだ高校。にも関わらず、ほとんどの生徒は私を名前で呼んでいた。呼びやすい名前だったのか、呼びにくい名字だったのかは分からない。
ほとんどの生徒が淳司と呼ぶ中で、かたくなに成野と呼ぶ女子がいた。
え? 逆に何かのフラグですか。
と、高校編で触れることもないだろう大したことのない話を例に出したのだが、成野に統一では表現ができない。そして、成野(姓)、成野(名)では味気ないだろう?
ちなみに、大したことのない話としたようにフラグでもなんでもない。現実は非情である。
創作でも、女性と接すればドキドキしてしまう主人公がドキドキしない女性と会うなんてのがあって。
こんなんフラグじゃあないですかなんて思っていたけれど、そんなことはなかったぜ。ショックだった。
……なんの話だっけ。
話を戻そう。
といっても、自分の呼称については上記のとおりだ。
次は、私から登場人物たちへの呼称について話そう。
ここまで。
名字で呼ばれている者が目立つが、成野に合わせただけだ。
幼馴染。名前が同名であったりしない限りは、名前呼びなものである(あるよね?)。
塚本は再登場するけれど、そのまま塚本にさせてもらう。関係性が悪かったわけでは決してない。
和美さん。
やはり幼馴染。実際はお互いに名前の呼び捨てであったのだが、現在の私が憑依しているような状態では呼び捨てるのはためらわれた。それに合わせるように和美さんも成野くん呼びにしていた。
この先も女子が出てくることになるけれど、向こうが呼び捨てでもこちらは敬称を付けることになると思う。
ひとつ問題があるとすれば、高校編からの女子に実際には敬称を付けていたかどうか不明になることか。が、今はそれでよしとしよう。
とりあえず、この先で幼馴染から『淳司』と呼ばれることが出てくると思うが、急に名前で呼ばれるような仲になったのではなくて元々だということが伝わっているとありがたい。
また、前の話に関しては、あの時はこういう方針だったからと現状では直さないことにする。
さて、小学生編もいよいよ大詰め。
しかし、ここから数話は時を戻して、ネットでの記事やカクヨムでのコメントのやり取りから書こうと決めた思い出を上げていく。
卒業したくないのか、小学校を。
(終わりたくないのか、小学生編を)
終わったとしても、時系列関係なしとしているからふと書くかもしれないけれど。
では、もうしばし小学生編にお付き合いいただければ幸いです。




