1-5 ~序章・その5~
泣き声の主はゆっくりとこちらを振り返ると、何が起こっているのかまだ理解していないようで目をパチクリとさせている。
しまった。
てっきり大声で悲鳴をあげるものかと思っていた。
むむむ。
これからどう言葉を繋げていこうか。
えっと……。あの、どうも、不法侵入者です。
なんちゃって。
「あの、どうも、不法侵入者です」
口に出していた。
泣き声の主はまだ状況を理解できていないようだ。
相変わらず目をパチクリとさせたまま、こちらを見ている。
……頼む。何かリアクションをしてくれ。
僕は猛烈にいたたまれなくなった。
寒い。寒すぎる! いくらなんでも、
(あの、どうも、不法侵入者です)
は、ないだろう! 自分の滑った口と欠片も無いギャグセンスと、そんなことを考えた頭を今すぐグシャグシャに丸めて潰してゴミ箱に捨ててしまいたい衝動に駆られた。
何なんだ、今日の僕。
死んでしまえばいい。
と、そんな馬鹿なことを一人延々と考えていると、突如として目の前の人物から声をかけられた。
「……どなた様ですか?」
想像していたよりも、冷たい感じの声だった。
話す相手を根本から拒絶するような。
誰にも話しかけられたくない、という意識の表れのような。
それでいてどこか、悲しそうな声。
「ごめんなさい。その、勝手に入るつもりは、なかったんです」
うそつけ自分。
噂の真偽を確かめるとか、そのほうが楽しそうだとか、そんな理由で忍び込んだんじゃなかったっけ?
質問の答えになってない僕の言葉に納得ができなかったのか、泣き声の主……いや、今は泣き止んでいるので、普通に「女の子」という呼び方が正しいか。
目の前の女の子は、もう一度僕に問いかけた。
「……どなた様ですか?」
変わらず、冷たい声。
とりあえず、普通に自己紹介ぐらいしておこう。
「えっと……。僕は、ライティル。ライティル・イシュトヴァーンっていいます」
一呼吸置いて、続ける。
「とある事情で屋敷の前にいたときに、誰かの泣いている声が聞こえて……」
なんとか、不法侵入の件を誤魔化さなければ。
「それで、気になってこの家の人に聞こうと思ったんだけれど。呼んでも、誰もいないみたいで返事がなかったから」
ここだ。ここで嘘を言えば誤魔化せる。
「普通に気になったもんで、入ってきちゃったんだ」
……………………。
今までで一番沈黙が長かった。
堂々と不法侵入宣言。
終わった。僕の人生もこれまでだ。
やはり自分に知恵などというものは皆無なことを改めて思い知らされた瞬間だった。
思えば短い人生だった。
こんなことなら明日食べようと取っておいた秘蔵の干し肉を朝の内に食べておけばよかった。
訓練校に入ったときから使い続けているボロボロの剣も、無理に使わずお父さんにねだって新しい剣を買ってもらえばよかった。
他にも、あんなこととか、こんなこととか。
「私に、逢いに来てくれたのですか?」
ふいに女の子が発した一言が、長く重い沈黙を破った。
私に逢いに来てくれたのですか――――。
そう、女の子は僕に聞いてきた。
もしかしてこの子、結構天然なんじゃないのか。
女の子の問いはあながち間違いではなかったので、僕もうっかり肯定の返事をしてしまった。
「あ、うん。そうだよ。君に、逢いに来たんだ」
馬鹿かと。阿呆かと。
いくら頭が回らないといえ、もう少しまともな言い方はなかったものか。
つくづく自分の語彙の少なさに呆れる。あぁ、死にたい。この世から消えてしまいたい。