1-4 ~序章・その4~
なんて、声をかければ良いのだろうか。
自分は仮にも不法侵入して屋敷に入った立場であり、「泣き声が聞こえたから気になってここまで来た」なんて言ったらそれこそ精神的にヤバい犯罪者に間違われ街の警備兵に通報されかねない。
だが、恐らく泣き声の主は僕のことに気がついているのではないだろうか。
屋敷に侵入してからというものの、散々でかい音を立てながら罠の数々を作動させてきたわけだし、犬は吼えるわカーペットは燃やすわガラスは蹴破るわ、もう不法侵入というか強盗まがいのことをしてきている。
むしろ、気づかれていないほうがおかしい。
僕はしばらく泣き声の主の様子を伺うことにした。
とっくに僕に気づいているのなら、相手が声をかけてくるのを待って。
そしたら。素直に、謝ろう。無断で勝手にここまで来てしまったことを。
「噂に乗せられて、つい馬鹿なことをしてしまいました」
相手は僕と同じ子供だ。そう言えばもしかしたら許してくれるかもしれない。
僕はその作戦に、一縷の望みを賭けた。
…………………………。
…………………………。
…………………………。
何の反応も、ない。
泣き声の主は今までの騒動や僕の存在なんてまるで関心が無いのか、その場から一歩たりとも動くことなく泣き続けていた。
いくらなんでも異常じゃないか? 背筋に悪寒が、走る。
もしかしたらやっぱり既に僕の存在に気づいていて。
お前なんていつでも殺せる――――そういう類のサインなのか。
確かに僕のやってきたことは、正直万死に値する。
でも、目の前の泣き声の主が、そんな凶行に走るとは僕にはとても思えなかった。
真っ白な可愛いフリルのついた、真っ黒なドレスを着て。
流れるような長い銀髪はそよ風に揺れ光り輝いている。
頭に着いているのは、翡翠色に煌く天使の羽のような飾り。
どこからどう見ても貴族のお嬢様だ。
ここがアレクサンドロス公爵邸ということから考えても、十中八九、公爵の関係者なのは間違いないだろう。
では。ならどうして。
侵入者である僕に見向きもしないのか。
いやそもそも。
そんな子が何故、ここで一人泣いているのか。
違う。
そんなことより、もっとずっと前から気になっていたこと。
僕が先程気づいた、本当の「異常」の正体。
何故。この屋敷には、泣き声の主以外の人間がいないのか。
あれだけの騒ぎを起こしたんだ。部屋で寝ていて気づかなかったとか、何かしていて音が聞こえなかったということはまず無いはず。
外出しているにしても、これだけ大きい屋敷に使用人の一人も残さずに出るなんてことは考えられない。
そもそも普通、見張りの人間を要所に配置しておくはずである。
だが一番重要な正面玄関にも、その先の廊下にも、中庭に至るまでの室内にも、人という人は一人として存在しなかった。
せいぜい、いたのは番犬くらいだ。
(この屋敷で、何かあったのかもしれないな)
僕はこの「異常事態を起こしても気づかれない異常事態」という現実を前にして、当然の結論に至った。
よく分からないけど、どうやら僕がこの屋敷に忍び込んだタイミングは酷く最低なものだったようだ。
辿り着いた場所が中庭ということも不運だった。この造りや広さから考えて、ここからではどの方角に脱出しようとも恐らくその距離は変わらないだろう。
もう、観念するしかない。
目の前の泣き声の主に事情を話し、謝って、なんとか入口まで案内してもらう他に安全に帰れる方法は無さそうだ。
僕は自分でも不思議なくらいなんの躊躇もせず、突然泣き声の主に声をかけた。
「あの……すいません」
ノーリアクション。
「あの! すいません」
やっぱり、ノーリアクション。
「あのぉぉっ! すいませぇぇぇぇん!」
自分が不法侵入者だということを完全に失念しているとしか思えない大声で僕は叫んだ。
というか実際、失念していた。
ぐずっ……。
……………………。
泣き声が、止まった。