1-3 ~序章・その3~
その後僕がどういった行動を取ったのかは、語るまでもないだろう。
つまり、かくかくしかじかということで。
僕は針付き天井の下を爆走するという今に至る。
天井の落下スピードは僕の想像を遥かに超えたもので、一分も部屋にいれば間違いなく自分の体がローストビーフのような姿になるほどのものだった。
ごめん、ちょっと贅沢に表現しすぎた。多分、挽肉のような、が正解だ。
流石にそれだけは御免こうむりたい。
全力で疾走すると同時に動体視力をフル活動させて出口を探す。
扉らしきものはどこにも見当たらず、落ちてくる天井を止めるためのスイッチやレバーのようなものも見つけることはできなかった。
(くそ、万事休すか……!)
もう天井はかなり低い位置にまで落ちてきていた。
恐らく残り時間はもう三十秒もないだろう。
考えろ、考えろ。絶対に出口があるはずだ。
そうでなかったらこの仕掛けはあまりにも惨過ぎる。
そうでなかったら僕はあまりにも切なさ過ぎる。
考えろ、考えろ。出口は扉やスイッチとは限らない。
部屋にあるもので、出入り口にできる扉以外のもの。
――――――。窓だ。
しかし、天井は無情にも高速で自分との間隔を縮めてくる。
もう高い位置にある窓は使えない。どこか低い位置に窓はないか。
よく見ると自分が来た入り口から真正面の突き当たりにある、勉強机のようなものの下に小さな窓があった。恐らく室内の空気と外気を交換するための換気口の役割を果たすためのものだろう。
そのため冗談にも出口と呼べるサイズのものではなかったが、幸い自分は子供だ。
勢いよく滑り込めば突き破って脱出できないことはない。
もう他に選択肢は残されていないようだし……思い切ってこれに賭けてみよう!
「お願い神様っっ! 僕に空を拝ませて!」
両脚の筋肉に全エネルギーを注ぎこみ、それを爆発させるかのような勢いで加速する。
屋敷に入ってから何度も酷使してきたせいか、尋常じゃない痛みが体を走る。
(頼む、僕の脚。もう少しだけ耐えてくれ……!)
天井は上を見上げればもうそこにある。
残り十秒足らず。
既に僕は滑り込みの体勢に入っていた。その勢いが生む摩擦が高級そうなカーペットを焦がしていく。
(なんだか、僕)
生きるか死ぬかの瀬戸際に、僕はとても間抜けなことを考えていた。
(冒険活劇の主人公みたいだなぁ)
そして突き出した僕の片足は、ガシャーーーーン!という大音量の効果音と共に換気口の窓を蹴破った。
2
冒険活劇の主人公さながらのアクションを数々と駆使して、見事針付き天井の部屋を突破した僕。
そんな僕を、良い結果と悪い結果の二つが出迎えてくれた。
良い結果というのは、どういう道順を辿ってきたのかは殆ど思い出せないが、どうやら先程の針付き天井が最後の罠で今いるここがゴールだということ。
で、悪い結果というのは。
僕が換気口の窓を蹴破り出たところは、普通の建物でいう「二階」の高さの場所だったことだ。
僕の体は重力に逆らうことなどできるはずもなく、無抵抗に落下、あえなく地面に叩きつけられることとなった。
「い、痛っ……ぐぇぇぇ」
幸い落ちたところは花壇らしく、柔らかい土と花のクッションのお陰でダメージはそんなでもなかった。
お花さん、ゴメンナサイ。どうも助かりました。
僕が行き着いた場所は、屋敷中央にある中庭だった。
どうやら正面玄関のあった場所は「二階」で、この中庭がある階層が「一階」らしい。この屋敷はどうやら段差のある地形の上に建てられた家のようだ。
中庭の造りは子供の僕にも分かるほど、素晴らしく美しいものだった。
色とりどりの様々な薔薇が円を描くようにして植えられていて、庭の中心には白薔薇に囲まれた噴水が幻想的な水のアーチを創り出している。
アレクサンドロス公爵は園芸に関して優れた感性の持ち主だったのだろう。ここに来るまでに見てきた数々の罠は、彼の仕掛けたものではないものと心から信じたい。
そして。中庭には、噴水よりも色とりどりの薔薇よりも、僕の心を惹くモノがあった。
いや。モノというのは表現はあまりにも失礼だ。
そこには僕の心を惹く「人」がいた。
ひっ……ぐずっ……うぅ……。
屋敷に入る前に聞こえた、幼い少女の泣き声。
間違いない。今僕の目の前にいるのは、その声の主だった。