1-1 ~序章~
― 序章 ―
ただ、独りぼっちなのが寂しくて。私は泣き叫んでいた。
泣けば誰かが慰めてくれるわけでもなく。
泣けば誰かが叱ってくれるわけでもない。
ただ、気付いてほしかった。ここに私がいることに。
ただ、気付いてほしかった。私が泣いていることに。
このままずっと泣き続け、私は死んでいくのだろう。
そう、思っていた。
でも――あなたは気付いてくれた。
ここに私がいることに。
あなたは私に微笑んだ。太陽に向かい咲く向日葵のように。
笑顔をくれたあなただから。幸せをくれたあなただから。
私はこの人生を、あなたのために捧げます。
1
「なぁ、『泣き虫魔女』を見に行かないか?」
十三歳の冬にして、まさかこんな奇妙奇天烈な体験をするなどとは夢にも思わなかった。
雪こそ降ってはいないものの、この日の寒さは極寒と呼ぶに相応しい。
街を覆う大気は凍てつき、吹きすさぶ寒風が頬を擦る。
暖かい上着は生地が厚く、重くて動きにくいからと、最低限の寒さだけ防げる程度の服装を選んだ一時間前の僕の判断を呪いたい。
黒髪をかきあげて、そう心の中の自分自身に悪態をつく。
ガルドニア人の髪の色は、茶色が一般的だ。
僕みたいな黒髪の人間はとても珍しく、しかも黒はガルドニアでは不吉の象徴として知られている。
そのせいか、黒髪の子どもが生まれた家は生まれてすぐの赤ん坊を教会に連れていき、体を清めてもらわないとその一家に不幸が訪れるという言い伝えまである。
僕の両親はそういうところに関しては面倒くさがりだったので、僕は体を清めてもらっていない。
自分自身気にしていないし、髪の色が違うだけで不幸が起こるなんて迷信もいいところだ。
だが、家族以外の人間にとっては、そう単純な考えは通用しなかった。
他人は僕の黒髪を見ると、恐れ、怖がり、嘲笑い、敵意をむき出しにしてくる。
死神、歩く災い、呪われた子――。
一人の人間に対して、なんとも酷い扱いをするもんだ。
そして僕はついさっき、それを体現したばっかりだ。
いい機会なんで、僕が体験したことを話しておこう。
今僕がいるのは、両親や街の大人から絶対に行くなと言われていた場所。
僕の住んでいる国、ガルドニア帝国でも屈指の恐怖スポットとして名高い〝魔女屋敷〟アレクサンドロス公爵邸。その恐ろしさたるや筆舌に尽くし難い。
まず、一つ。屋敷の正門はドス黒く極太な鉄格子みたいな作りで、取っ手の部分の装飾は不気味の象徴である骸骨の形をしている。この門だけでも大の大人が裸足で逃げ出したくなるような雰囲気なのに、子供なのに逃げ出さなかった僕は多分、凄い。
二つ。正門から正面玄関までの距離は約五十メートル。さすがは公爵邸といったところか。
個人の邸宅の入り口にしては感動に値するべきその長さは、ただの好奇心で屋敷に忍び込んだ僕には、両足がガックガクに震え、全身が竦み上がるほどの恐怖を生むのである。
具体的な例をいえば。 それはいかにも凶暴そうな二メートルほどの大きさの番犬が、実に六匹ばかりうろついていたのだ。ハァハァと獲物に飢えた眼つきで辺りを警戒する彼らにとって、不法侵入者の僕はさぞ美味しそうなご馳走に見えたに違いない。
いや、ご馳走ですらない。多分、おやつ程度だ。
それでもって、三つ。
見事華麗な身のこなしとプロの暗殺者もビックリな隠密行動で屋敷内に進入した僕を待ち受けていたのは、センサーのようなものに反応して外敵を駆除する目的で作られたであろう火炎放射器だった。
いやぁ、いくらなんでも。
ないね。これはないね。
天井に設置された二つの火炎放射器は僕を外敵と判断したらしく(実際に侵入者だけど)、僕を亡き者にするためこれでもかというほどの炎を浴びせてくる。
僕逃げる逃げる、床燃える燃える。
何故こんな仕掛けを用意してあるのに、周りの物はすぐに燃えそうな物ばかりなのか。恐らくこの屋敷を建てた公爵は、金を持っているだけのアホなんじゃないのかと小一時間問い詰めたい。
僕はまだ無事なカーペットを床から引き剥がし、それを小さく畳んで火除けとして使えばここを切り抜けられるんじゃないかと考えた。
なんという名案。GJ!僕GJ!
で、それを実行しようと床に手を伸ばした瞬間、その先のカーペットに火炎放射器から放たれる炎がナイスタイミングで直撃。
(やっぱり、そうなりますよねーー)
と、頭の中で呟きながら僕は一目散に駆け出した。慣れないことはするもんじゃない。
そして恐怖はまだ続く。
四つ。先程のところで素晴らしいトリックでも使ってピンチを脱出してたらさぞ格好良かっただろうに、結局カーペット作戦が失敗に終わった後に僕の頭は何の機転も働くことはなく、ただ全力疾走しただけで火炎放射器の罠を潜り抜けた。なんと情けない。
というより、何故最初からそうしなかったのか。
まぁ結果オーライというやつなのだが。
それでもって、その先の部屋にあったものは。
なんだか、針のようなものがいっぱい付いている天井だった。
これはもう言わなくても分かるよね。この先の展開は、皆様のご想像のとおりです。
ズゴゴゴゴゴ、なんていう重低音と屋敷を揺るがす強烈な振動。
そうだよ、落ちてきたんだYO。
いやコレ、笑えない。実に笑えない。
落ちてくるスピードが異常に早い。
「ふっ、ざっ、けっ、んっ、なっ、ての!」
ここまで来たらもう認めるしかない。僕に知恵なんて立派なものはない。
自分がバカなことを認めるのも、今更気付いたのも、どちらも精神的にはとてもショックを受けるところだが、この際そんなことはどうでもいい。
できることは全力で走ることだけなのだ。どんなに長い時間頭をフル回転させたところで、どうせロクな作戦を思いつきやしないだろう。
こうなったら小細工は無しだ。脚一つで勝負してやる!
内心、この辺りから恐怖より楽しさという感情が勝ってきた。
なんの取り柄も無いと思っていた自分が実は走ることが得意で、それを武器に数々の難問を潜り抜ける。
今までに読んだ数多くの物語の主人公が頭に思い浮かぶ。
そういえば『レーベルト戦記』の三巻に、まさに今の僕と同じような心境を描いたシーンがあったな。
さしたる知恵も技術もないが、力と体力、そして根性で数々の罠を潜り抜け、竜王の城から財宝を盗み出す。
そしてその財宝を質屋で売り払い、そこで得た大金を餌にヒロインを口説き、結婚してハッピーエンドという物語だ。
ウホッ、それなんて武勇伝。すごく……カッコイイです……。
ただ、それだけ自分の体に自身がありながら、竜王を倒すことなく財宝だけ持って悠々と故郷に帰り、あまつさえそれを質屋に売り払い、挙句の果てにそこで得た金を利用して女性を口説くなどヒーローとしてどうなんだろうかということに関してはツッコミを入れてはいけない。
おっと、話がずれてしまった。
話を戻そう。
ここでひとつ説明をしておかなければならないことがある。
「泣き虫魔女を見に行かないか」と誘われたのに、何故さっきから僕一人しか登場していないのか、という件についてだ。
そして一人しかいないのに、何故この屋敷に入ってきてしまったか、ということも話しておこう。