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Mr.Columbine ~英雄の是非~  作者: Satanachia
2/4

第二章  「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」


 マンハッタンの郊外には、大きな要塞のような建造物がある。「合衆国英雄協会」の総本部である。

 ヒーロー、職員、アメリカ政府の人間と、その建物内は常に多くの人間が忙しなく行き来している。

 騒がしい雰囲気の中、ある部屋にて静かに佇む一人の女性がいる。藍色の軍服のようなコスチュームに身を包み、所々頭髪のそれとは異なる不思議な光沢を見せる灰色のローシニヨンが特徴的な女性。その顔は、アメリカ人とは違った凛々しさを象った繊細な美しいものである。

 その女性は、ロシア人だった。

「パロディー……」 彼女は手に持つある記事を見ながらふと呟いた。

「ヒーローなのか?〝紫色の瞳〟の男が遂に現れた!」

 そんな見出しの記事であり、顔面を鼻血で真っ赤に染めた、浮浪者の髪を掴んで引き摺っている、ボロボロのニット帽を被り、ロングコートを纏った男の後ろ姿が写された写真が大きく印刷されていた。

 世間はフェイクニュースと切り捨てているようだが、政府の人間は写真に写る浮浪者の顔が、今朝警察署の前に放置されていた男と一致する事と、記事を書いた記者が今までフェイクニュースを扱っていなかった事から信憑性が高いと判断し、急遽マンハッタンを担当するヒーロー達に召集をかけたのだ。

「何が目的なのか、そもそも何者なのか、分からないけれど、きっと彼は放っておく事が出来ない存在だわ……」

 ロシア人の女性は表情を曇らせる。「ツァリーツァ、来てくれるか?」

 その時、部屋に入って来た職員が彼女を呼んだ。

「あ、はいっ……! 今行きます!」

 彼女は記事を折り畳むと、近くに置いてあった自分の帽子を手に取った。

「とにかく、この記事を書いた人に会ってみないと……」

 そう言うと、ツァリーツァと呼ばれた女性は部屋を出た。


 2


 こんにちは。私の名前はブランです。ある町の小さな教会が運営する孤児院で働いているシスターです。

 私の働く孤児院には、理由は様々ですが時折子供が新しくやって来ます。寂しい思いをしている子達の助けになれるのは嬉しいのですが、新しい子が来るという事は、悲しい事でもあって、心が痛むばかりです。 これからするのは、孤児院に新しく来た二人の姉妹に関するお話です。

 何気ない、孤児院では普通の事だと思っていましたが……

 今思えば、これが始まりだったのかもしれません……。


 3


 日曜日の朝、教会では毎週日曜学校が開かれるので、私は授業の準備をしていました。

「皆さん、集まってください。シスター・ブランが待っていますよ」

 教会の外からは、大きな、それでいて穏やかな声が聞こえてきました。

 一緒に孤児院で働く、ブラザー・リエラの声でした。

 私も孤児ですが、リエラは私と一緒の時期にこの孤児院に来た事もあって、姉弟のように育ちました。虐待の罪で両親が逮捕された私は、家族の温かさを彼に教えてもらったと思っています。

 だから、今でも彼と共にこの場所で働ける事が私にとっての幸福でした。

「シスター・ブラン。おはようございます」

「きょうも、よろしくおねがいします!」

 やがて、リエラが沢山の子供達を連れて来ました。孤児院の子供達だけではなく、近所の子供達も参加するので、忽ち教会中が賑やかな雰囲気に包まれました。

「それでは、始めますよ」

 わたしが授業を始めようとした時でした。

『ほら、おいで』

 リエラが入り口側に体を向けて、しゃがみ込んでいました。そして、何故か彼はロシア語を話しているのです。

「ブラザー・リエラ、どうかしましたか?」

 私が聞くと彼は穏やかに微笑んで口を開きます。

「新しく参加を希望する子が来まして……少しだけ待っていてくれますか?」

 そう言って彼が手招きすると、少しだけ不安げに一人の女の子が扉から顔を覗かせました。

「……」

 トパーズのような綺麗な金髪と、快晴の空のような碧眼が特徴的な女の子で、そのお人形のような愛らしさに、私は自然と笑顔を向けていました。

「あら、いらっしゃい。どうぞ、入って」

「っ……」

 しかし、英語が分からなかったのか、女の子は少しだけ戸惑ったような表情を見せました。

『大丈夫。皆は怖い人じゃないよ』

「……!」

 すかさずリエラがロシア語でこう言ったので、女の子はゆっくりではあったものの中に入って来てくれました。

「シスターは普段通り授業を。僕が彼女に通訳しますから」

「ありがとう。助かります」

 優しく女の子の手を取って歩く彼を見ながら、私は改めて授業を開始しました。


「シスター、さようなら!」

「ありがとうございました!」

 授業が終わり、子供達が教会を後にしていきます。

「はいまた来週。気を付けて帰るのですよ」

 元気に駆けていく背中を見送ると、私は後片付けをしながらリエラの方へ目をやりました。

 リエラはロシア人の女の子と話していました。授業中にどんどん打ち解けていったようで、女の子もリラックスした笑顔を彼に向けていました。

「シスター・ブラン」

 彼女に『少し待っていて』と伝え、リエラがこちらに話しかけてきました。

「僕が見ていますから、暫く彼女をここにいさせてあげてもよろしいですか?来た時はお姉さんが一緒だったのですが、急に職場に呼び出されてしまったようで……」

「そういう理由でしたらいいですよ。司教様には私の方から伝えておきましょう」

「助かります」

 笑顔を見せて、軽く礼をするとリエラは彼女の方へ戻って行き、再びロシア語で彼女と話し始めました。

「やっぱり、違いますよね……」

 そんな彼の姿を見ながら、私の口からふとそんな言葉が零れました。

「あんなに優しい子が、誰かの事を殴るだなんて……」

 自分に言い聞かせるように呟きました。

 以前から色々な所で耳にする噂、そして今朝に見た、〝パロディー〟という男の記事。

 それがずっと、私の頭から離れませんでした。


 4


「あ……えっと……」

 わたしは、アキ。今わたし、凄くパニくっているの。

「少しだけ、お話を聞いてもよろしいでしょうか?」

 そう言って私の前に、大型新人ヒーロー・ツァリーツァが立っているからだ。

「は、はい……。一体何の話でしょうか?」

 わたしがどうにかして対応すると、彼女は話し出した。

「この記事についてです。知っている事を全て教えて欲しいのです」

「……!」

 パロディーの記事だった。そう、確かにわたしが書いた記事だった。わたしはそれを見て直ぐに状況を察し、冷静さを取り戻した。

「分かりました。信じてくれるかは分かりませんけれど……」

「感謝します。では申し訳ありませんが、本部までご同行願います」

 わたしは彼女の背を追いかけた。


「つまり、今回の記事は個人的な目的で書いたと?」

「その通りです」

 わたしはツァリーツァに自分の知りえる情報と考えを全て話した。

「彼は、わたしがジャーナリストである事を知っていました。その上で名乗ったという事は明確な目的があったと考えています。今まで誰にも姿を見せていなかった者が、こんな行動をしているのです。わたしはその目的が知りたい。ジャーナリストとしてではなく、曲がりなりにも彼に命を救われた者として、興味があるのです」

「そうですか」

 話を聞き終えて、ツァリーツァは難しい表情で腕を組んだ。

「それで、わたしは国家反逆罪にでも問われるのでしょうか?」

「え……?」

 記事を書く時に相応の覚悟はしていた。非合法でヒーローを名乗る彼は間違いなくルール違反者である。そんな彼をヒーローのネタを扱うジャーナルに載せたのだから、下手すれば犯罪を助長していると捉えられてもおかしくない。

「いえ、そんな事はありません。情報の提供を感謝しています」

 今にも死にそうな顔でネガティブな発言をしたわたしにツァリーツァは慌てた様子で首を振った。

「ただ、あまり危険な真似はしないで欲しいです。ジャーナリストは不意に知った事が命に関わるものですから」

「はい、肝に銘じます……」

 用件が片付いた事で、わたしは帰る許可をもらい、その場を離れる。

「気を付けて下さいね。彼はまだ、どんな人か分かりませんから……。何かあれば直ぐに協会へ連絡してください」

「分かりました」

 わたしは軽く挨拶をして部屋を出た。きっと、真面目な人なのだろう。去り際にチラッと見えた、頭を深く下げて礼をするツァリーツァの姿が少しだけ面白かった。


 5


『お姉ちゃん!』

 その言葉と共に満面の笑みを作って、女の子は走り出した。

『遅くなってごめんね、アリサ。いい子にしていた?』

 そう言うと、女の子とよく似たロシア人の女性は優しく彼女を抱き寄せた。

『ああ、お疲れ様です。お仕事はもう大丈夫ですか?』

 ゆっくりと近付きながら、リエラは女性に話しかけた。

「妹の面倒を見て下さり、ありがとうございます。ロシア語を話せる貴方が対応してくれたおかげで安心して妹を預ける事ができました」

 教会の近くで仕事の連絡を受けた女性にリエラがロシア語で対応した事から、今日女の子が日曜学校に参加する運びとなったのだ。

『いえいえ、お役に立ててよかったです。あぁ、あとロシア語で大丈夫ですよ』

 英語で礼を言った女性に対してリエラはロシア語で返した。女性は軽く頷くと、ロシア語でまた、礼を言った。

『お仕事で忙しい時は是非教会にいらして下さい』

『申し訳ありません。そうさせてもらいますね』

 女性は深く頭を下げながら礼をした。

『じゃあ、またねアリサちゃん。いつでもおいで』

『さようなら。リエラさん』

 リエラがしゃがみ込んで言うと、女の子も笑って手を振った。

『こんどは紫色、よういしておいてね』

 そして、女の子がそう言った。

『紫色?』

 その言葉に女性は首を傾げる。

『あぁ、アリサちゃんお絵描きが好きみたいだったのですが、紫色の色鉛筆がなくて描きたかったものが描けなかったんですよ』

『そう、ですか……』

 説明を終えて、リエラは再び女の子へ視線を向ける。

『ごめんね、次はちゃんと用意するからね』

『うん。やくそく』

 女性はほんの少しだけ怪訝そうな顔をしていたが、笑顔を見せる妹の顔を見て、元の挙動を取り戻した。

『アリサ。何を描きたかったの?』

 そして、穏やかに笑って妹に話しかける。

『教会のみんなの絵……。ことばはわからなかったけど、みんなやさしくしてくれたの』

『そう』

 少しだけ恥ずかしそうに答える妹に、女性が笑顔を向けた時だった。

『でも、紫色がないと、リエラさんのかおがかけないの』

『え……?』

 その言葉に女性は目を見開き、咄嗟にリエラの顔を見た。

『……!』

 その瞬間女性は硬直した。

『お姉ちゃん?』

『っ……、ごめん、何でもないわ』

 妹の声を聞いて我に返り、女性は立ち上がった。

『帰ろうか……』

『うん』

 妹の手を取り、女性はリエラに軽く礼をした。リエラも会釈をしようと、彼女の方へ視線を向けた時、

「変わった、色の目ですね……」

 英語で彼女はそう言った。

「……!」

 リエラは一瞬硬直したが、直ぐに笑顔を作り、自然な挙動を作り出した。

「よく言われます」

「……」

 女性は笑顔を見せたが、少しだけ鋭い視線を彼へ向ける。

「……」

 リエラもほんの少しだけ表情を変えた。

 紫色の瞳が、鋭く光った。


 6


 数日経った夜の事、警察署の前に一人のヒーローが立っていた。氷のように鋭い視線を周囲に晒し、静かに闘志を練り上げている。

「……」

 彼女はツァリーツァ。ロシアが生んだ大型新人ヒーロー。彼女が警察署の前から動かないでいるという知らせを聞いて、わたしは物陰からカメラを構えて彼女を観察していた。

 よく当たるわたしの勘が、スクープの匂いを嗅ぎ取ったのだ。

「貴方の忠告を破るようだけど、付き合わせてもらうわよ……」

 わたしがそんな事を呟いた時、彼女の雰囲気が一気に変わった。

「やはり、来ましたか……」

 彼女が見つめる先にわたしも目を向けた。

「……!」

 この展開を実はわたしも予想していた。夜の警察署にツァリーツァが現れるとしたら、彼女が最も危険視していた存在を待っている可能性も考えられたからだ。

「……」

 ツァリーツァの目の前に現れた〝そいつ〟は右手に握った、ガムテープで拘束された、失神している男の体を引き摺りながら、彼女を見ていた。

「さぁ、色々と教えてもらいますよ」

 ツァリーツァが睨み付ける先に、パロディーは立っていた。


「……先客がいるとは珍しい。あの記事を見て僕に会いに来たのか? 嬉しいねぇ……」

「そんなわざとらしい無駄話はいいわ。私の質問に答えて欲しい……」

 冗談交じりな態度を見せるパロディーに対し、依然氷のような静かな圧を向けるツァリーツァ。その空気にパロディーも鋭い視線を向けた。

「まぁ、いいよ。質問してくれても」

 そう言うと、パロディーは顎を引き、ロングコートのポケットに手を突っ込んで、彼女を睨み付けた。

 ツァリーツァも攻撃的な表情を張り付け、静かに口を開く。

「貴方は何者ですか?」

「ヒーローだ。名前は……今更だよな?」

 パロディーはそのままの調子で言う。

「政府公認のヒーローではありませんね? 貴方のしている事は立派なルール違反ですよ」

「違反ねぇ……。弱い人に銃を向けて金品を奪おうとする奴や、我欲の為に女性に乱暴を働こうとしている奴に注意をする……。それが違反か?」

「政府が認めた者だけがヒーローを名乗る、という〝法令〟を無視しているのです。どれだけ綺麗事を並べても、貴方のしている事は違反です」

 ツァリーツァが言うとパロディーは首を振った。

「犯罪者を〝正義の為〟とか言ってぶちのめす事も中々に質が悪いと思うがな。犯罪者が誰かに怪我を負わせて罰せられるのに対し、お前達が犯罪者の腕を折っても咎められないのは何故だ? やっている事は一緒だろう」

「何ですって……?」

 ツァリーツァの表情が曇ったけれど、パロディーは構わずに続ける。

「〝正しい行いの為〟というレトリックで人を殴るのはお前達みたいな政府の犬も一緒だろう? 何も変わらない。僕がやっている事はお前達のしている事を少し誇張しているだけで同じだ。それが違反か?」

「……」

 その瞬間ツァリーツァは黙り込み、明らかに雰囲気を変えた。

「僕を罰せられる者がもしもいるならば、そうだな……今まで罪を犯した事のない奴だけだ。人類が長い年月の中で作った〝模範的な善〟に準じて生きている奴だけ……」

「もういい。黙りなさい」

 直後ツァリーツァは臨戦態勢を整え、クヌートを握った。

「どうやら、我々とは正義の定義が違うみたいね。言える事は、一つだけ……」

「何だ?」

 パロディーもポケットから手を出して身構える。

「貴方の正義は、この社会では通らない!」

「そうかい……」

 クヌートが空気を引き裂いた時、パロディーは前方の〝敵〟に飛び掛かった。


 7


 数日前に戻る。

 教会のベンチでロシア人の女の子と、くせ毛の青年が話していた。

『お姉さんは、いつも忙しいのかい?』

『うん。おしごとにいったら、ぜんぜんかえってこないの』

 少しだけ俯いて、女の子は続ける。

『おとうさんも、おかさんもくるまにひかれてしんじゃったから、お姉ちゃんがおしごとにいかないといけないの』

『アリサちゃんの為なんだね……?』

 くせ毛の青年が尋ねると、女の子は更に表情を曇らせた。

『でも、さみしいの。もっともっと、お姉ちゃんといっしょにいたいのに……』

 しゅんとした様子で女の子は言った。

『そっか……』

 青年も静かにそう返した。

「ぁ……」

 夜の空気を切り裂くような激しい攻防に、わたしは息を呑んだ。

 わたしが見つめる先では、ロシアのヒーローと紫色の瞳の悪魔が激突している。

「……」

 わたしはカメラのシャッターを切る指を止める事が出来ないでいた。

 お互いの譲れない意思がぶつかり合っては反発を繰り返す。それはきっと、どちらが倒れても、真に〝勝者〟というものが現れるようなものではなく、ただただ、双方が意地を張る事をやめられないで起こる闘争であると感じた。

 この戦いはそんな戦いだった。


「ッ……!」

 ひたすらにクヌートを振りながら、ツァリーツァは焦っていた。

「……」

 先程からパロディーのコートを掠めるだけでクヌートが命中しない。しかし、そこではない。攻撃を避け続けながら、パロディーが少しずつ、確実に自身の方へ近付いてきている。それが問題だった。

 攻めているのはツァリーツァだが、その関係が彼の機嫌次第で簡単に逆転する。そんな気がしてならなかった。

「中々やる……。だが、もう目が慣れた」

 そう、彼が口にした時、ツァリーツァはその瞬間が遂に来たと本能的に察知し、身構えた。

「次はこっちから行こう」

 そして、パロディーは閃光のようなスピードで一気に距離を詰める。

(速い……ッ!)

「シッ……!」

 直後鋭いフックが飛ぶ。

(でも、甘い……ッ!)

 ツァリーツァはその拳目掛けて側頭部を思いきりぶつけた。

「……!」

 パロディーは思わず目を見開く。

(変な手応え……)

「ハァッ!」

 パロディーが一瞬硬直したのをツァリーツァは見逃さない。渾身の力でクヌートを振った。

「チッ……!」

 全神経を活性化させて瞬時に後方へ飛び退くパロディーだったが、ツァリーツァはそれを見計らったように被っていた帽子の鍔に手を掛ける。

「……!」

「食らいなさい……ッ!」

 彼女が投げた帽子はフリスビーのように回転しながらパロディーの右上腕部を通り過ぎた。

「ッ……!」

 そして、彼が着地したと同時に、洋服の縫い目が解れるように彼の右上腕部が裂け、血が噴き出した。

「一定の気圧で硬化する特殊繊維か……」

 傷口を軽く押さえながらパロディーは呟いた。

「一目で分かるなんて、驚いたわ……」

 体制を整えて、ツァリーツァも静かに言った。

(殴った時に違和感を覚えたのはそれが理由か……。帽子だけでなくコスチュームや髪にも不自然な光沢が見えるから、同様の物を仕込んでいるみたいだな……)

「全身装甲か……。面倒くさい……」

 構えを取りながら、パロディーは悪態をついた。

「まだやる気ですか? その傷は浅くはないでしょう?」

 その様子を見てツァリーツァは言う。

「神妙になさい。そうすれば手荒な真似はしないわ……」

「馬鹿か……?」

 彼女がそこまで言った時、パロディーは噴き出した。

「何、勝った気になっているんだ? この程度で、右腕を傷付けた程度で僕を抑えたつもりなのか?」

「何ですって……?」

 負傷する前よりも明らかに攻撃的なオーラを纏う彼にツァリーツァは目を見開く。

「遠慮せず攻めてこいよ。君が攻めてこないなら、次はもう少し強く殴るつもりだぜ?」

「……!」

 パロディーの言葉を皮切りにツァリーツァは思いきりクヌートを振り上げた。

「ならば、こちらも手加減はしない! 貴方を本気で拘束するわ……!」

「ああ、そうするといい……」

 ツァリーツァが本気の一撃を振り下ろす。

「君はきっと、後悔するだろうけどな……」

 直後、軟鉄が肉を弾く音が木霊した。


 8


「ぎゃあああああああぁぁぁぁぁあ⁉」

 静かだった夜の闇を吹き飛ばすような絶叫が響き渡り、わたしはカメラを落とした。

 普通の皮の鞭よりも威力に特化したクヌートを用いた本気の打撃はショック死する程の衝撃だろう。苦悶に満ちた声がその場を染める。

「……!」

 しかし、遠目から見ていたわたしよりも、その瞬間に驚いていたのは、他ならぬツァリーツァだった。

「なッ……!」

 それを見てわたしも状況を理解し、戦慄した。

「……すごいな。視力には自信があったんだが、鞭の動き自体は全く見えなかった……」

 悲鳴はパロディーのものではなく、彼がさっきまで引き摺っていた男のものだった。

「でもまあ……打つタイミングと狙った場所を目線が教えている」

 パロディーは命中のタイミングと同時に、自身が捕まえて来た犯罪者を盾にしたのだ。

「な……あ……」

 彼の予想外の行動に、ツァリーツァは頭が真っ白になったのか、そのままの体制で硬直していた。

「あ……」

 わたしはただただ、その様子を眺めなるだけで、何もできなかった。

 痛みに再び失神した男を放り投げ、パロディーは走り出す。

「ほら、よそ見するな……」

「っ……!」

 ツァリーツァが我に返った時には、もう目の前でパロディーが拳を握っていた。

「くっ……」

 動揺で生まれた隙を確実に突かれ、ツァリーツァは対応が間に合わなかった。

「シッ!」

 そのまま、鋭いフックがツァリーツァの頭に直撃した。

「ぐあぁ……ッ⁉」

 特殊繊維越しでもはっきりと伝わる衝撃にツァリーツァは悲鳴を上げて膝を付いた。

「くっ……あ……」

 ツァリーツァは立ち上がろうとしたが、パロディーの一撃は正確に脳を揺らし、彼女の身体機能を麻痺させていた。

「皮手袋には、砂鉄を仕込んである。皮と砂鉄が血液を吸えば重さが増して威力が上がる仕組み……言わば素手の間合いで使えるブラックジャックだな。安心したまえよ。後遺症の残らない場所を狙ったし、君の自慢の特殊繊維が守ってくれているからな」

「……!」

 ツァリーツァは彼の右上腕部の傷から流れ出た血が、彼の指先から滴っている事に気付いた。この一撃を叩き込むために敢えて攻撃を食らい、傷を作っていたのだ。

「まさか、人を盾にするなんて……」

 力が入らずに震える頭を上げてツァリーツァはパロディーを睨み付ける。

「卑怯……者……!」

「何を今更……君はいつもそのクヌートを犯罪者達に浴びせているんだから、別に気にする事じゃないだろう?」

「っ……!」

 パロディーの発言にツァリーツァが目を見開いた時、彼は続けて言った。

「君が僕を敵視していたのは、自分が信じていた〝政府の善〟が僕のロジックで崩されると思ったからじゃないのか?」

「……!」

 ツァリーツァは更に硬直する。

「君は今まで政府が定めたルールに従う事が適当と考えていたから犯罪者達をぶちのめす事にも抵抗がなかったし、クヌートなんて危険なものを躊躇せず振り回せた。だが、あのジャーナリストの記事を見て、君は僕のやっている事に、気付いてしまったんじゃないのか? 誇張しているだけで君達ヒーローが普段犯罪者達にしている事と同じだと」

「ぅ……」

「そこに君は、一瞬〝矛盾〟を感じてしまった。そうだよな、自分が信じていたものが、自分が嫌悪するものと変わらなかったんだからな。だから今の僕の行動にも動揺した」

「……」

 目を逸らすツァリーツァの前にパロディーはしゃがみ込んだ。

「君は僕に言ったな? 貴方の〝正義〟はこの社会では通らない、だったか? 確かに言っていたよな? 〝正義〟と」

「……!」

「結論、君は最初から僕に負けていた。君は僕と対峙した時に一瞬僕と君達の〝正義の共通点〟に気付いてしまった。それをも踏まえて初志貫徹できる程の執念が、所詮妹を養う為だけにヒーローになった君にはなかったという事だよ、〝エリカ〟……」

「……!」

 ツァリーツァは驚愕の表情を張り付けた。

「な……」

『ヒーローなんて辞めちまいな。人を傷付ける事を正当化する生き方が、君の妹の道徳に良い影響を与えると思うか? 有り得ん。君の妹は、君と一緒にいられればそれでいいってさ……』

 ロシア語でそう言うと、パロディーはツァリーツァのウィッグを外した。

『あ……』

 直後、トパーズのような綺麗な金髪が現れた。

『私は、どうすればいいの……』

 ツァリーツァだった女性は下を向いて、呟く。

『それは、数日前に言いました』

『……!』

 女性が顔を上げると、パロディーはマスクと帽子を外していた。その顔は、彼女の記憶にも残っていた。

『〝お仕事で忙しい時〟は是非教会にいらしてください』

 そう言うと、リエラは歩き出した。

『待って……』

『うちの孤児院は、国籍も職歴も、年齢も関係ありませんから』

 呼び止めようとした彼女に、それだけ言ってリエラはその場を離れた。

『……アリサ』

 近くの水たまりに映る自身の姿を見ながらツァリーツァだった女性は呟いた。


 9


決着までを見届けたわたしの元へ、パロディーだった男が歩いてきた。どうやら、私の存在にはとっくに気付いていたらしい。

「また会ったな。ジャーナリストさん」

「え……まぁ……」

 何と言えばいいか分からず、わたしが狼狽していると、彼の方が先に口を開いた。

「今回ばかりは記事にしないでくれよ? ヒーローがウィッグを外す時は、プライベートの時だ。彼女のような人気のあるヒーローは特にな」

「わ……分かってるわよ……」

 真剣な表情で、彼は私に念を押して去っていった。


 翌日、アメリカ全土は驚愕する事になる。

「あの方のパロディーに触れて、〝正義〟というものが分からなくなりました」

 その言葉と共に、ツァリーツァは辞職を発表した。


 日曜日の朝、授業の準備を進めていた時、

「シスター・ブラン」

 私の名前を呼ぶ声がしました。

「ブラザー・リエラ」

「昨日話していた件は……」

「はい。ばっちりですよ。ロシア語の授業、子供達も楽しみにしているのですよ」

 私が言うと、リエラは笑いました。

「では、特別講師の件も?」

「はい。皆楽しみにしていますよ」


 数分後に授業が始まり、子供達が目を輝かせる中で、リエラは笑顔で進めます。

「さぁ、始めましょう。ですが、その前に今日から皆と授業をしてくれる新しい先生に挨拶をしましょうか」

 彼に促されて一人の女性が前に出ると、子供達が喜びと期待の声を上げました。

「シスター・エリカです。よろしくお願いします」

 新しい授業の始まりに喜ぶ子供達に交じって笑う妹さんを見て、シスター・エリカは微笑みました。

































































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